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優しさには、なぜ「審査員」がついてくるのか。誰かの全力疾走は疑わないのに、親切だけ「偽善」と疑う私たちへ。

💡 優しい行動そのものに価値がある
人に優しくするのに「理由」があったとしても、それ自体の価値は変わらないと思います。
優しい行動だけを見てもいいんです。「助けてくれた」「ありがとう」っていう気持ちは、理由がどうであれ変わらない。

あなたは、誰かに親切にされたとき、理由を考えてしまうことがありますか?
でも、理由よりも「嬉しい」と感じた瞬間が大事だと思うんです。


🤔 なんで優しさには審査がついてくるの?
ずっと気になっていました。
なんで親切や善い行動には「本物かどうか」っていう話がついてくるんだろうって。

街で誰かが走っていても、走ってる人の本心を見抜こうとする話は聞かないけど、優しい行動になると「それって偽善では?」と見抜こうとする話を聞く。
親切の理由を考えてしまうと、「助かった・嬉しい・楽になった」という気持ちがどこかへ行ってしまう気がするんです。


🐶 結果がすべてを物語る
例えば、同級生を傷つけてばかりのヤンキーが、おぼれている犬を助けたとします。

助けてもらった犬や飼い主からは、「この人、本当に優しいの?」なんてどうでもいい話です。
助けてくれた時点で、もう優しい人なんです。
逆に、傷つけられた同級生は「ヤンキーが犬を助けた」と言われても、自分の傷が癒えるかは別の問題ですよね。

意地悪な上司が職場でみんなのためにお菓子を配ったら、それも嬉しい出来事。
「どうしてお菓子をくれたんだろう?裏があるんじゃ…?」と考えてしまうと、美味しいはずのお菓子が美味しくなくなってしまいます。


優しさは受け取るもの
優しいとか親切は、行動に対しての評価にした方がモヤモヤせずに済むと思います。
人の本心なんて結局わからないから、行動が優しいかどうかを見ていくだけで、日常はちょっと軽くなる気がします。

もしも誰かの優しさが疑わしく感じてしまったら
その人の本心ではなく行動だけを受け取ってみませんか?
受け取ることで心が軽くなるかもしれません😊

最後まで読んでくれたあなたに幸せが届きますように✨
お付き合いありがとうございました🌈

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