SOIL派遣帯同者の視点 / 後藤ひろひと
2025年8月、SOILはエディンバラとロンドンにて、海外派遣プログラムを実施しました。現地で開催されたのは、海外のフェスティバルディレクターやプロデューサーを前に、日本の9団体が自作品をプレゼンテーションするピッチイベント『Japan Selection by SOIL2025』。 各団体からは演出家やプロデューサーなどの「帯同者」が同行し、作品の売り込みやネットワーキングのサポートを行いました。本記事では、その帯同者の一人・後藤ひろひとさん(TBS所属の篠﨑勇己の帯同者)が綴る、エディンバラ滞在のルポをご紹介します。

後藤ひろひと
山形県出身。通称「大王」。劇作家・演出家。 唯一無二のセンスで、日常の中に潜む狂気とユーモアを鮮やかに描く。 『パコと魔法の絵本』や、名作舞台『人間風車』、『ダブリンの鐘つきカビ人間』など数々の話題作で観客を魅了し続ける。 舞台上でも筆の上でも、“面白い”を真剣に追いかける生粋のエンターテイナー。
関西国際空港からアムステルダム行きの飛行機に乗り14時間ほど飛びながら考えた。SOILとは一体何をする組織なのだろう?ピッチと呼ばれるプレゼンは一体どんな人たちが聞いてくれるのだろう?TBSの篠﨑勇己という男はなんでまた見た事もないはずの参加型映画『エル・ニンジャvsサイボーグドラゴン』を海外にアピールしたいと思ったのだろう?そしてなによりも。エディンバラ空港に着いたら私はどこに行けばいいのだろう?考えてみたら泊まる場所すら聞いていない。けども不思議なものでこの歳になるとちょっとした事で涙が出るくせにかなりの不安にも心拍数は上がらない。
まぁ行けばなんとかなるのだろう。
アムステルダム・スキポール空港に到着したが乗り換え便まで2時間ほど時間が空いた。特にする事もなく、ふと天井を見上げると、とても面白い時計があったので動画などを撮影し、覚えたてのインスタグラムに載せたりして時間を潰した。やがて乗り換えを済ませ90分ほどのフライトでエディンバラ空港に到着し入国審査を受けた。
「お仕事は?」
「脚本家です。」
「入国の目的は?」
「フリンジです。」
「え?じゃあもしかして何かショーをするの?
「いやいや。プレゼンなのよ。」
「プレゼン?演劇の?」
「映画の。」
「映画?どんな映画?」
「まずは観に来たお客さんをエキストラとして撮影してね。」
「ほうほう。」
「・・・うん。まぁ。今ここで言葉だけで説明するのはものすごく難しいんだ。」
「なんかそうみたいだね。成功を祈るよ。」
「ありがとう。」
「ようこそエディンバラへ!」
私が観客参加型の映画を考案し、初めて上演(上映?)したのは前世紀1998年のことである。遊気舎という劇団による会場ビル全てを使用するイベントとして行い、おとなしく礼儀正しい日本人がうっかり自分たちが出演してしまっている映画を観て叫んだり拍手をしたりする様がとても感動的だった。その後、遊気舎でもう1本。そして「デルシネ」というジャンル名を考案した上で吉本興業のプロデュースでもう2本を製作した。吉本興業版では最小人数のチームを組み、大阪、東京、そして沖縄の様々な箇所を巡業した。人口600人の沖縄の離島での興行は島をあげての大イベントとして迎えられ生涯忘れられない興奮を経験した。つまり私はこの企画に関して誰よりも熟知しているのだが、いかんせん言葉での内容説明が難しい。この日はその難しさを入国審査で痛感した。果たして外国人に向けるピッチは成功するのだろうか?
空港を出ると問題の男、篠﨑勇己がボッサボサの頭に無精髭でまるで地元の物乞いのように立っていた。特に会えてよかった的な感動もなく「じゃあ行こう」程度の言葉を交わしてトラムに乗った。まずは宿泊場所に向かおうではないか。降車駅はプリンセス・ストリートだと言う。「確か名古屋にも同じ名前でずいぶん柄の悪い場所があったよな。」と到着早々あろう事か愛知県の話題に興じながら車窓から見える明かりを眺めた。
「僕も来たばっかりなので」とまぁまぁ道を間違えながら彼にいざなわれて深夜に到着したのが「ダロック・コート」という名の古い建物だった。そこはホテルなどではなくエディンバラ大学の学生寮だそうで4つか5つの部屋と共用スペースが1セットとなった物がいくつもの棟にいっぱいある造りだった。他の棟を一度も訪れなかったので想像で書いてしまったが、みんな「うちもそんな感じです」と言っていたので多分そうだ。大学関係の建物が並んでいるので安全な地域に思えたのだが近所には救世軍オフィスや職業安定所などがあり、職も夢も無さそうな人たちが路上に座り込み、よからぬ物を飲んだり吸ったり売ったり買ったりしていた。適度なスリルは大歓迎だ。日曜の夜の酔っ払い達の叫び声を子守唄にその晩は眠りに就いた。
翌朝、共用スペースにて大阪から持参したインスタントコーヒーを作って飲んでいると、前の晩に軽く挨拶を交わしただけのルームメイトである劇団範宙遊泳の山本卓卓君がタオルを首にかけ歯ブラシを持って現れた。改めて互いに自己紹介を済ませ、あれこれ話していると「そろそろ集合ですよ」と言われた。なんだ?何の集合だ?特に予定表のような物ももらっていないし、篠﨑君とは前の晩、栄のプリンセス大通りの話ぐらいしかしていない。今回の日本からの派遣団の中で自分がそれほど重要人物でない事には薄々気づき始めていた。なのでここはひとつ呼ばれてもいないその”集合”に参加して少しでもSOILの人たちに受け入れてもらうべきだと考えた。
「ついて行っても怒られないかなぁ?」
「怒られるわけないじゃないですか。」
数十分ほどの近所の案内だと卓卓君が言うので私は飲んでいたコーヒーを片手に持ったまま彼の後をついて行った。普段は何に使っている場所だったのだろう?すぐ近所の大学施設の庭が楽しそうに飾られ、食べ物屋台や劇場として使われる貨物コンテナが並び、フリンジ会場として朝から人が集まっていた。ところが篠﨑君はいない。私は自分のポジション以上に彼のポジションも心配になって来た。そんな時。
「お久しぶりです!鹿目です!」
何年か前に愛知県で出会った作家の鹿目由紀ちゃんが話しかけてくれた。猛烈な疎外感の中で知り合いに会えたのはものすごく嬉しかった。前の晩、名古屋について語っていたのはこの再会の予兆だったのだろうか?ダロック・コートを出たところで「ハロー!」と声をかけて来た謎の中国人は彼女が主催する劇団あおきりみかんの俳優、松井真人君で日本人だと教えられた。
寝起きのTシャツに飲みかけのコーヒーを手に持った状態だったのに、案内してくれる人物が興に乗ったため、その市街ツアーは2時間に及んだ。しかしそれはなかなか勉強になる時間だっただけでなく、一気に知り合いが増える貴重な機会となった。そしてなによりも私はそこで初めて「フリンジ」というのが何なのかを知ったのである。
私が暮らす部屋の共用スペースは誰言うとなく「大王の間」と呼ばれた。
エディンバラのパブでビールを飲んだら1杯に7〜8ポンドほど支払う事になる。円安は止まらず1ポンドが約200円だ。つまり居酒屋チェーン土間土間で1,680円の2時間飲み放題コースを頼むのとエディンバラで飲むビール1杯はほとんど同じ値段というわけである。そのため誰もが自然と近所のコンビニやスーパーマーケットで安い缶ビールなどを買い込むようになり「夜にあの部屋に行けば後藤ひろひとと鹿目由紀が必ず飲んでいるらしい」という噂を頼りに”大王の間”にやって来るようになった。ルームメイトである劇団あはひの大塚健太郎君や、数日後にはウォーリー木下君なども現れて、とにかく飲んで語り合った。”大王の間”では多くの仲間が生まれた。皆でその日の昼間に何をしたか?どんな演劇を観たか?を熱く語り合った。近年の下北沢でそこまで演劇を語るとまぁまぁ嫌われるのだがエディンバラではそれが忘れられないほど楽しい時間となった。だが皆がフリンジにおける演劇の感想を語る中、私だけがエディンバラのサッカーチーム、ハート・オブ・ミドロシアン(通称ハーツ)のホームスタジアムや映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』のロケ地であるドゥーン城の感想などしか語れなかった。
到着から4日目。天窓からエディンバラ城が見えるピッチ会場でリハーサルが行われた。どのチームもよく出来た映像資料が用意されており、代表者は巧みな英語で説明を行っていた。劇団鹿殺しはその日もエディンバラでの公演を抱えており、慣れた感じで段取りだけを説明してクールにリハーサルを終えていた。あおきりみかんの松井真人はリハーサル後に「何が言いたいのかわからない!」とスタッフからものすごく叱られたらしい。その晩、大王の間に現れる客が激減した。聞けばウォーリー木下などは自分の部屋の共有スペースでスピーチのための英語レッスンを受けていたそうだ。ピッチの本番まであと2日。次第にSOIL全体を猛烈な緊張感が覆っていった。
だが私だけは翌日にネス湖に行く事で頭がいっぱいだった。
観客をエキストラとして撮影し、あらかじめ撮影した映画の中に編集で挿入し映画を完成させる。そんな奇妙なショーは言葉だけでは説明できない。しかもピッチでの持ち時間はたったの10分。この短時間にこの企画を最も端的に説明するにはそれをその場でやって見せるしかない。我々はピッチの観客(?)を映画の予告編に出演させてしまおうという作戦を立てた。
「面白そうだから僕、自腹でエディンバラ行きますよ!」
映像作家のムーチョ村松君がイカれた男で助かった。もし私と篠崎君だけだったら我々のピッチは最悪にみじめなものになっていただろう。ムーチョ君はあろう事か娘と息子を連れ、夏休み家族大旅行としてエディンバラに現れた。
大盛り上がりの劇団鹿殺しによるパフォーマンスで始まった全9組によるピッチはそれ全体がショーとして成立していた。『舞台未来少年コナン』からは演出家のインバル・ピント女史が登壇し、とても想いのこもったスピーチが披露された。期待していた松井真人によるピッチは叱られて反省したせいか実にまともな内容に変わっていた。フィーリングだけで話す彼の英語(っぽい言語)が私は大好きだったのに。なにしろ歓声もあれば笑いも起こる、とてもいい雰囲気のピッチが進行した。
そんな中。いよいよ我々の名が呼ばれた。まずは私が1人で中央に進んだ。
「こんにちは皆さん。日本から来た映画監督の後藤ひろひとです。今日は皆さんに私の最新映画の予告編を見てもらおうと思ったんですが・・・残念ながら完成させる事ができませんでした。ごめんなさい。なのでまたどこかでお会いしましょう。さようなら。」
後に聞いたところによるとピッチの原稿というのをしっかり作成して事前に提出しなければいけなかったらしいのだが、なぜ私だけいわゆるアドリブによるフリー・スピーチが許されたのか?今もってわからない。
「いやいやいや!もし皆さんが!今からエキストラとして出演してくれるなら。今ここで撮影して予告編を完成させてお見せする事ができるんですが・・・どうします?」
そこにいるのは俳優ではないにしても全員が演劇関係者だ。みんな実に楽しそうにエキストラの仕事に興じてくれた。わずか5分ほどで2カットを撮影し、ムーチョ君は急いで編集に入った。カメラマン兼編集技師であるムーチョ君を「セニョール・ムーチョ」と呼んでこき使う設定もアドリブながらしっくりいっていた。
「じゃあ編集の間に我々のプロデューサーが概要を説明します。ご紹介しましょう!昨日床屋に行った男!篠﨑勇己です!」
エディンバラ空港ではホームレスのようないでたちだった男がピッチの前日にはさすがに散髪していた。小綺麗になった彼による説明を2分ほど経たところで、もうムーチョ君から完成の合図が出た。
「どうやら完成したようです。それではご覧いただきましょう!私によります最新作映画予告編!タイトルは『エル・ニンジャvsサイボーグドラゴン』です!」
実に馬鹿馬鹿しい予告編が始まった。主人公は正義の覆面レスラーその名もエル・ニンジャ。そんなヒーローを倒すべく生まれた悪の発明品が謎の博士によって発表される。予算が無かったので演じているのは私だ。
「見よ!これがサイボーグ・ドラゴンだ!」
布を取り去るとそこには明らかに偽物のブルース・リーが現れる。それを見て立ち上がり拍手をする謎の学会員達。それこそが先ほど3分で撮ったエキストラ映像だ。「美しいバレリーナがステージ上で感動のダンスを終えた瞬間」という演出で撮影したものだから泣いている者までいる。それに対してエキストラ出演者たちから更に大きな拍手が起こった。これだ!この馬鹿馬鹿しさこそが我々が海外に持ち出したいと願った作品の本質だ!
つまり我々のピッチは大成功となった。勝利を分かち合うべくムーチョ君に拳を突き出したら彼は握手だと思ったらしくパーで握られた。まだまだ意思疎通に問題のあるチームだ。そして不本意ながら私は日本から来たコメディアンだと思われたらしく、終了後の軽いパーティでは篠﨑君が「いいえ、あの人はとてもちゃんとした劇作家なんです。」と弁解して回ってくれた。
会場からほど近いバーで打ち上げが行われた。皆はそれぞれよほどの苦難を乗り越え、長きに渡って綿密に準備を行ってきたのだろう。互いの健闘を讃え合い、スピーチ中に涙する者もあった。楽しいながらも実に感動的な打ち上げであった。キャッシュ・オン・デリバリーのパーティだったので私はここぞとばかりに偉い人を見つけては7ポンドのビールを奢らせた。カミさんの所属事務所の社長もいたので「いいピッチだったでしょ?じゃあビール奢ってよ!」とねだった。10日近くエディンバラで過ごしたせいで私の中にはそうしたスコットランド魂が目覚めていたのである。飲んだ勢いでエディンバラのサッカークラブ、ハイバーニアンFCのホームスタジアムまで3kmほど一人で風に吹かれて歩いた。それはリーズという場所にあった。エディンバラが生んだバンド、ザ・プロクレイマーズが名曲『サンシャイン・オン・リーズ』で歌った街だ。SOILが何かも、ピッチが何かも、どこに泊まるのかもわからなかった私だったが、エディンバラは生涯忘れらない愉快な思い出と共に生涯忘れらない場所となった。
朝5時に起きて。まだ薄暗い中。誰にもさよならを言えずにダロック・コートを出た。私一人だけが大阪からの参加だったため別スケジュールでの帰国だったのだ。まだ眠っているエディンバラの街をトランクケースを引いて歩いた。プリンセス・ストリート駅からトラムに乗り、あの晩と逆ルートで空港に向かい、アムステルダム空港で乗り換え、そして日本へと飛んだ。篠﨑君は今度はロンドンでピッチを行うべくイングランドに向かったようだった。ムーチョ君はキャンピングカーをレンタルし娘と息子とスコットランド一周に出かけたと連絡があった。私は半日以上かけて大阪の自宅に戻り愛猫を愛でた。
アムステルダムの空港で行きに撮影しインスタグラムに載せた時計の動画が、今見ると1200万回再生と表示されている。どういう仕組みでそんな事になるのか私にはまだわかっていない。
