あなたの夏が、美しく澄んだ時間でありますように。

夏になると、私はなぜか海を目指したくなる。
あなたもそうだろうか。
日常の喧騒から離れ、ただ広く、透き通った青を目の前にしたとき、私たちの胸を満たすのは「解放感」という単純な一言だけではないはずだ。
私にも、忘れられない海の記憶がある。
大学受験の真っ只中、焦りと不安で胸がいっぱいになったとき、私は衝動的に自転車にまたがり、ただただ海を目指してペダルを漕いだ。息を切らしながらたどり着いた先に広がっていたのは、どこまでも青く、静かに佇む海だった。
なぜあのとき、私は海を見ずにはいられなかったのか。
今振り返ると、あれは「自分の中に溜まったノイズを削ぎ落とし、思考をクリアにするための儀式」だったのだと思う。
受験勉強も、そして大人になってからの仕事や人生も、私たちは常に何かを「足そう」としてしまいがちだ。
知識を足す。成果を足す。新しいスキルや評価を足す。
足すことでしか、自分の価値や前進を確認できないような錯覚に陥るからだ。
しかし、足し算ばかりを続けていると、頭の中には「他人の評価」や「失敗への恐怖」といった雑音が澱(おり)のように溜まっていく。
自転車を限界まで漕いで辿り着いた海の前で、私の心に浮かんだのは「何をもっと勉強すべきか?」という足し算の問いではなかった。
「自分は、本当はどうしたいのか?」
周囲の期待や世間体を取り払ったあとに、ぽつんと残る「自分だけの純粋な覚悟」や「譲れない想い」。
海という巨大なキャンバスは、私たちが余計なものを手放し、自分の原点(n=1)に立ち返るための「静寂の余白」を提供してくれていたのだ。
何かを本気で頑張ろうとするとき、人は必ず壁にぶつかる。そして、その度に思考は濁り、自分がどこに向かっているのかが見えなくなる。
だからこそ、私は今でも「ここぞ」という覚悟が必要なとき、無性に海が見たくなるのだと思う。
思考を透明にするとは、問題を放棄することではない。
雑音に塗れた頭からは、誰かの借り物の答えしか生まれない。一度頭の中を完全にクリアにし、静けさの中で自分の内面と向き合うからこそ、腹の底から納得できる「自分だけの解」が見えてくる。
あの日、波の音を聞きながら腹を括った感覚。それは、どれだけ年を重ねても変わらない、私の強固な原動力になっている。
忙しない日々の中で、ずっと濁った頭のまま走り続けることは難しい。
本気で挑む人ほど、思考を透明に戻す「静寂の1コマ」が必要なのだと思う。
私にとってそれは、あの日の自転車の記憶であり、このどこまでも透き通る海を見つめる時間だ。
もし今、あなたが何かに迷ったり、大きな挑戦の前で足がすくみそうになっているなら。ほんの少し立ち止まり、余計なノイズを削ぎ落とす時間を自分に許してみてほしい。
濁りを削ぎ落とした先に見えるあなたの「素顔の覚悟」は、これから続く物語を力強く推し進める原動力になるはずだから。
あなたの夏が、自分自身の原点に立ち返る、美しく澄んだ時間でありますように。
ではでは👋

