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忘れものをさがしに ☆11“幼年の道”|徳井いつこ

 アッシジ行きの電車はなかなか現れなかった。
 アレッツォ駅3番線。赤いスーツケースにリュックを載せた小柄なシスターが立っている。
 私が乗るのは直行便だが、乗り換え便も多い。電車が滑り込んできたとき、さっきからちらちら見ても目を合わせなかったシスターに、勇気をだして尋ねてみた。
「アッシジ?」
「イエス」
 高い乗り口に荷物を上げるのに、シスターは若い男性を指定して手伝いを頼んだ。そして、くるりとふり向いて、後から乗り込む私の荷物を引き上げてくれた。
 途中のペルージャで長々停まっていた電車は、到着予定時間を過ぎてもガタゴト走り続けていた。いまかまだかと案じていると、上から声が降ってきた。
「電車が遅れてるの。いま停まる駅じゃなくて、次だからね!」
 先のシスターだった。
 アッシジの駅からどうするの? と尋ねられ、たぶんタクシーでと答えると、門まで送って行ってあげる、と言う。
「私たちの車があるから」
え、ほんと?と嬉しくなる。名前は? と訊くので、いつこと言う。あなたは? キャサリン。
 初めて降り立つアッシジ駅には、気持ちのいい青空が広がっていた。キャサリンは降りるときも私の荷物を下ろしてくれた。自分の荷物はまだ乗ったままというのに!
 日のあたるホームを、背の高いシスターが歩いてくる。笑っている。手をふっている。
 「ドイツの“お姉さん”といっしょに町の外の教会に暮らしているの」と彼女が言ったのは、姉でなくてシスターだったのだ!
 「こちら、いつこ」と知った人のように、キャサリンは紹介し、二人は私のホテルの住所をめぐって相談を始めた。
 アッシジは城壁の町で、ホテルに行くタクシー以外、車の乗り入れが禁止されているという。「門まで」と言っていたのはそれだったが、いつのまにか「ホテルの前まで」になっていた。
 「え、大丈夫?」
 「大丈夫なはずよ、たぶん。だって、ホテルに行く人を乗せてるんだし……?」と、背の高い”お姉さん”は言い、なにやら二人はこわごわ冒険に乗りだす子どものようになっているのだった。
 「あなた、前に乗りなさいよ、町の風景見たいでしょ?」とキャサリンが言い、赤い車のドアをさっと開けてくれた。
 「あれがサン・フランチェスコ聖堂。町の中心……」
 小高い丘にびっしりと家々がはりつき、幾つもの聖堂がそびえている。とうとう来たのだという思いが吹き抜けてゆく。
 あの雪をいただいた山は?
 「あれはモンテ・スバズィオ」とお姉さん。
 「冬がいちばん好き。人が少なくて、静かで……」
 イタリアに来て、初めて見る高い山だ。
 「サン・ダミアーノに行くには、この城壁の門を出てすぐ右に曲がってね。あとは一本道だから」
 オリーブ畑のなかに点々と黒い糸杉が立っている。聖フランチェスコが神の声を聞き、ひとりで石を積んで修復した廃墟の礼拝堂。そして聖キアラが息をひきとった修道院でもあった。
 「サン・ダミアーノには英語が喋れる人はいたかしら? ああ、あのアイルランド人がいる……!」
 聖フランチェスコを慕う人々が世界中から集まり、町全体が巡礼地のようになっているのだった。キャサリンとお姉さんはドイツ南部の共同体から来たという。
 「たしかこのあたり……? ここ? ここよ。たぶん、そう」
 シスター二人に送られて、私は目的地に到着した。
 わずかな触れ合いなのに、別れがたい。握手し、抱擁し、手をふる。なんとあたたかい贈りものだろう。
 二人の車が見えなくなると、さてと、周りを見まわした。ホテルらしいものは?
 え、ない? 見あたらない。
 が、銅像が立っていた。手をつないだ女の人と男の人。女性はすらりとして美しく、男性はいかめしい顔つきで手に布を掛けている。聖フランチェスコの両親像らしい。
 ホテルの住所は……“Chiesa Nuova”。ヌオーヴァ教会。まさにこの場所で、銅像の下には「聖フランチェスコの生家があった」と書かれている。シスターたちが門を越えて送ってきてくれたのは……そういうことだったのか。
 ふとさびれた建物のガラス戸が目に入った。「ご用の方は、Hotel del Prioriまで」と書かれた白い紙が貼られている。私が泊まる予定になっているのはアレクサンダー・ホテル。名前は違うが、「プリオーリ」に行ってみるしかなさそうだ。
 当該ホテルは筋向こうにあった。名前を伝えると、何のことはない、お待ちしていましたと易々チェックインできた。
 なんだったのだろう?

 2階の部屋の窓からは、いま渡ってきた通りと、ヌオーヴァ教会の屋根が見えた。
 「人は二度生まれる」と言ったのは、誰だったか……。
 一度めは肉体の誕生、二度めは精神の誕生。
 二度めの誕生で、人は自己の本質のなかに目覚めるのだ。
 父親と母親は、両方の誕生において欠かせない存在となる。
 第二の誕生のために、宮沢賢治が質屋の父を必要としたように、聖フランチェスコは織物商人の父を必要とした。
 フランチェスコの父ベルナルドーネは、豪華な布地と毛織物を扱う商売で財を成しただけでなく、プロヴァンスの宮廷に赴いて吟遊詩人の歌とともに妻となる女性を見つけた。フランチェスコの母、ピカの奥方。母は生まれたばかりの息子に、聖書の中にあるヨハネから、ジョヴァンニという名前をつけた。洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネ。父はその名を取り去り、別の名前をつけた。フランスから来たフランチェスコ。プロヴァンスのフランチェスコ。
 聖フランチェスコの第一の誕生は1182年だが、第二の誕生はいつだったのだろう?
 言うまでもなく、それには父親が深く関わっている。フランチェスコが24歳のとき、父が息子を訴える裁判を起こした。店の商品と金を不当に持ち出し、司祭たちに与えたかどで、金品の返却と、財産の相続放棄を求めたのだ。父は雄弁で、息子は寡黙だった。
 フランスの詩人クリスティアン・ボバンは、小説『いと低きもの−―聖フランチェスコの生涯』のなかで、このときの息子の心の声を書く。

 「あなたはわたしの父だ。だが、わたしが生まれたときからの父に過ぎず、それはごくわずかなことだ。わたしはあなたよりずっと以前に、さらに上流にさかのぼって、すべてをやり直す。永遠の水源に還る鮭のように、源に還る」

 「わたしを見よ、わたしは旅立ち、幼年の道を行く。あなたにはわずかな金の借りがある。神に差しだすため、あなたから取ったからだ。物の値段を知るあなた、物の値段しか知らないあなた、見なさい、わたしは衣服を捨て、あなたと、司教と、裕福な人びとの前で、裸になる。この敷石に脱ぎすてられた布の堆積を見なさい。そして、手にもって確かめ、値段をつけなさい」

 あの父親の銅像が手に持っていたのは……商いの布ではなく、フランチェスコが裁判で脱ぎ捨てた衣服だったのだろうか?
 父親は物質とともに残され、息子は霊性の道に生きた。大人から幼児へと逆の成長を遂げた。
 ボバンは語る。

 「アッシジのフランチェスコ、木にして人、花にして人、風にして人、土にして人であるフランチェスコ……(中略)
 彼は燕たちに話しかけ、狼たちと語りあう。石との集いに顔を出し、木々との討論会を開催する。全宇宙と話しあうのだ。なぜなら、すべての存在は愛のなかに言葉の力をもっているから、並外れた愛のなかではすべての存在に意味があるから」

 ずっと見たいと思っていたジョットの絵「小鳥に説教する聖フランチェスコ」は、サン・フランチェスコ聖堂の下部聖堂にあった。
 沈んだ色調の画面が、群れ集う小鳥たちの白と、身を傾けるようにして説いている聖フランチェスコの光輪を輝かせている。
 下の聖堂から上へ、上の聖堂から下へ、何度も上り下りしたのは、ジョットとシモーネ・マルティーニの絵が階段から間近に見えることを発見したからである。
 ジョットの描く木の姿、石の姿、空飛ぶ天使はどこか寓話的だった。イコン画家になる前は羊飼いだったという話が思いだされた。
 聖堂からの帰り道、コムーネ広場でローマ時代の遺構を見たりしているうち、日がすっかり傾いてしまった。大急ぎで道を上へ上へと登ってゆく。城塞ロッカ・マッジョーレで夕日を見ようと決めていたのだ。
 風景が見えてくる。はるか彼方まで伸びてゆく裾野、ウンブリアの平原。白い煙を立ち昇らせている家々、聖堂……。オレンジ色の輝きが、世界を光と影に分けている。
 アッシジの丘に立ち、この情景を眺めているのが不思議だった。夢が現実になっている。それは自分が夢見たから。
 太陽が山に食い込み、溶け入り、最後の光の欠片が消えてしまったあとも、丘の上に立っていた。
 地平線の色がますます赤みを増し、雲が踊りはじめる。聖フランチェスコがつくった「太陽の賛歌」が思いだされた。
 歌のなかで、主の似姿として太陽が讃えられ、次に風と火が兄弟として、月と星、大地が姉妹として讃えられる。そして最後につけ加えられた一節は、驚くべきものだった。
 「わが妹たる死ゆえに、主よ、讃えられてあれ……」
 私たちの肉体の死もまた、祝福。この宣言とともに、死の向こうまで愛を投げかけた聖フランチェスコは、ひとり残らず「死」で終わる人間の道行みちゆきに、消えない光を点した。
 風の冷たさに気がつくと、丘の上にいるのは、私だけになっていた。先週降ったという雪が残る急斜面を、足元を気づかいながら下りてゆく。
 ふと見あげると、城塞がそびえる草地の上に、白い満月がぽっかり浮かんでいた。


〈文〉徳井いつこ Itsuko Tokui

文筆家。神戸市出身。同志社大学文学部卒業。編集者をへて執筆活動に入る。アメリカ、イギリスに7年暮らす。手仕事や暮らしの美、異なる文化の人々の物語など、エッセイ、紀行文の分野で活躍。自然を愛し、旅することを喜びとする。著書に『スピリットの器――プエブロ・インディアンの大地から』(地湧社)、『ミステリーストーン』(筑摩書房)、『インディアンの夢のあと――北米大陸に神話と遺跡を訪ねて』(平凡社新書)、『アメリカのおいしい食卓』(平凡社)、『この世あそび――紅茶一杯ぶんの言葉』(平凡社)、『夢みる石――石と人のふしぎな物語』(創元社)、『星の味――輝くコトバを旅する』(地湧社)がある。
【X (Twitter)】 @tea_itsuko

〈画〉前田昌良 Masayoshi Maeda
画家。絵画制作だけではなく、木、針金、鉄、鉛、真鍮など様々な材料を駆使し「小さな動く彫刻」と称する手で触れて遊べる立体作品を制作している。 東京藝術大学大学院修了。77ギャラリー、小川美術館、雅陶堂ギャラリー、日本橋高島屋美術画廊、横須賀美術館などで70回以上の個展を開催。2002年~2007年には雑誌『別冊文藝春秋』の表紙絵を担当し、「アルネの遺品」「遺失物管理所」「別れの色彩」(新潮社)、「猫を抱いて象と泳ぐ」(文藝春秋)など多くの本の表紙を担当。