ゲイと家族 第10回|活動家高校教師との恋|戸川悟
大学時代、一番強く記憶に残る交際相手といえば、私立高校の教員をしていたゲイの活動家、渋谷(仮称)だろう。
ゲイ雑誌の文通欄で知合った当時27才位の渋谷は、英語教員の傍ら、同性愛男性を主とした権利擁護のNPO団体で活動していた。
彼は同性愛者であることを理由に、母親との関係がうまくいかず、強くぶつかってしまうことをよく愚痴っていた。
さらに彼は、高校の時に語学留学をした米国ユタ州で、モルモン教徒の家庭にホームステイをしていた際、同性愛者であることをカミングアウトして衝突した経験のある強者だった。そのホームステイ先で、ゲイであることを理由に差別的な扱いを受けたと、彼は非常に憤っていた。
渋谷は筋肉質で背が高く、精悍な美貌を持ち備えていて、どこか三島由紀夫を彷彿とさせる男性の魅力を持っていた。そんな彼に私は恋焦がれ、兄のように慕い、当初は「ついていきたい」と感じていたし、実際彼も私のことを非常に好いてくれた。
今でもよく覚えているが、ゲイ雑誌『アドン』の文通欄を通して初めて会った日、新宿三丁目の老舗のスペイン風居酒屋「どん底」で私たちは時を共にした。
彼の美貌と優雅な身のこなしに私は心を引き付けられ、思わずオードブルの1つを楊枝で刺して、少しおどけて彼の口元に差し出し、「アーん!」と言って食べさせてみたのだ。それが彼にはことのほか嬉しかったらしく、付き合い始めた後も、「アーん!」をやってほしいとねだられたものだ。
しかし一方で、彼にはどこか独善的なところがあり、自分が同性愛者であることを必要以上に回りに好戦的な口調でアピールするような姿勢が、私にはついていけなかった。
米国で受けた差別体験で傷付いたことには共感できたものの、一般的にとても保守的なモルモン教徒の家庭に入った立場で、あえてゲイであることをカミングアウトして、ホームステイ先の家族と揉める必要があったのかについては、当時の私にも疑問に感じたものだ。
渋谷は会うごとに、差別されてきたゲイの権利の復権のためにいかに戦っているのかについて、私に熱っぽく語った。
一方、私は同性愛者だからといって、当時の日本で差別を強く受けているとは感じておらず、彼の訴えにはどこか違和感を禁じえなかった。それは自分が決別するに至った左翼運動での、活動家の教条的で他の意見や主義主張を受入れない、頑ななセクト主義に近いものを感じさせた。
付き合いも徐々に彼が一方的に決めたことに私が従うようになり、結果的にしんどいものになっていたのは否めなかった。たとえば、渋谷が大晦日から元旦にかけて鎌倉七福神巡りをしようと言い出した時、私はかなり抵抗を感じたのだが、それに渋々従って一晩寝ないで極寒の夜を過ごした時のしんどさはその典型例だろう。
ある時、渋谷が所属していたNPO団体が、研修で東京都の公共宿泊施設を利用した。その際、同じ施設に宿泊していたキリスト教団体のメンバーから、お互いの紹介を行って以降、からかいや嫌がらせを受け、さらには同施設を再度利用しようとした際に断られてしまう事件があった。
当時彼らが受けた不当な差別的扱いは裁判にもなり、マスコミでも取りあげられ、東京都を被告とした裁判に彼らは勝訴した。
私も実はこの同性愛者の権利擁護に関する研修に、渋谷から参加するよう誘われていたのだが、自分がそうした活動にエネルギーを注ぐ余裕はなかった。
何らかの大義を背負って社会運動をすることには、左翼運動の経験から、反射的に抵抗を感じてしまうようになっていたのだった。
事実、大学3年になってから開花した私のゲイとしての交際の目的は、純粋に男性との情緒的な繋がりたる恋愛を成就させることであり、それが実現すれば十分だった。自分が同性愛者であることを自覚して、それに嘘をつかず正直に生き、そう行動しようと思えていたし、それが自分にとって自然だった。
すでに平成に入る前後の80年代の日本では、同性愛者が自己を偽らずに、ありのままに生きることを選択できる空気は芽生えつつあった。
渋谷が言う「男性同性愛者への差別」には、欧米のゲイ男性に代表される性的少数者が受けてきたキリスト教的な価値観の入った厳しい差別的経験を輸入しているものに、どこか感じられた。
日本で生まれ育った私自身のそれまでの人生において、同性愛者として大きくあからさまな差別を受けて苦しんだ経験は明らかに乏しかったと言える。
異性愛であることが疑問の余地なく前提であった当時、自分が同性愛者だと人に気軽に言える社会的環境ではなかったとはいえ、あからさまな差別は同時に実感できなかったのが心理的な現実だった。
教条的かつ独善的にどうしても感じてしまう渋谷の議論を聞かされていくうちに、私の彼への恋愛感情は、いつのまにか冷めていった。
当時の私は、会う人すべてに自分が同性愛者であることを伝える必要はないし、それに不快感を抱く価値観を持つ人に、あえて同性愛者の生き方を受容するよう強要もできないだろうと考えていた。
実際、いくら世の中が変わってきたとはいえ、自分が同性愛者であることを友人にカミングアウトする行為は、まだまだ当時は一般的ではなく、ごく少数の人に限られたものだったように思う。
その中にあり、私は大学時代に親しくなった友人には、自分は同性が好きであることを伝えていたし、相手を選んで伝えていたとはいえ、ほぼすべての友人たちが、躊躇なく、それを好意的に受け入れてくれたのは感謝すべきことだろう。
渋谷に私が日本語講師としてアメリカに渡ることになったことを伝えた時、彼は「別れるなんて嫌だよ! 行かないでよ!」と涙ながらに訴えてくれた。そう言われると申し訳ない気持にもなり、私にまだ残っていた彼への恋慕の情が揺さぶられた。
しかし、彼とのパートナーシップを貫徹するだけの愛情は、すでに自分の中に残っていなかったのだ。
こうして私の大学3年以降の恋愛の模索は、年単位で続く長期の安定したパートナーとしての関係を作れないまま終わった。
私は、パートナーのいない日本語講師としてアメリカに渡ることとなったのだった。
(つづく)
著者プロフィール
戸川悟(とがわ・さとる)
1967年生まれ。ゲイ男性。東京の大学を卒業するも就職して不適応を起こす恐怖感からアメリカ中西部の田舎町にわたり、小さなカレッジで日本語講師を2年間務める。その際、社会学修士号を地元の州立大学で取得。帰国後27歳で、外務省傘下の国際協力機関に就職したが短期で退職。その後、HIV感染者やエイズ罹患者を支援するボランティア活動を経て、精神障碍者の支援を行う福祉相談員として26年間勤務している。
これまで2人の男性と長年の相方となったが、現在は独り身。生涯の伴侶となるような新たな関係を追い求めている、還暦に手が届きそうなおじさん。
