「氣」という文字を引いて感じたこと
モヤっとした一文字との出会い
オンラインコミュニティの仲間たちとリアルで集まった日。
筆文字が得意な仲間が一文字ずつ書いた作品にお菓子を添えて、
人数分用意してくれていた。
それを袋に入れて順番に引いていくという、
なんとも粋な演出だった。
みんなで一斉に見せ合いっこ。
愛、絆……どれもパワーワードを引いていて
それぞれが「今の私にぴったり」と自分に当てはめて喜んでいた。
そこで私が引いたのは「氣」だった。
正直、直感で「堅苦しい」「孤独」「気合い」みたいなものを感じてしまった。あまりよくない印象。
みんながうれしそうにしている中でひとりひそかにモヤっとしていた。
今思えば、あの時の私は「氣」という旧字体ではなく
ただの「気」として受け取っていたのだと思う。
文字の意味を知らないまま、自分の中にあるイメージだけで解釈していた。
「氣」の意味を知り直す
そのモヤっとを抱えたまましばらく経ったある日
先日、他のコミュニティの方にその話をした。
するとこんなことを教えてもらった。
「『氣』という文字には八方末広がりに『与える』というイメージもあるよ」
文字の意味を調べてみるのも良いと。
そうか。
他にも良い意味があるのに私はネガティブなイメージを選んでいたのだ。
そこで改めて
「気」と「氣」は実は別の字だ。
「気」は戦後に簡略化された新字体。
一方「氣」は本来の旧字体で、中に「米」が入っている。
米は八方に広がる形をしていて、いのちの糧、エネルギーの源。
武道や気功、東洋医学で「氣」が使われるのも、そこに広がりと循環の意味が宿っているからだという。
「与える」という言葉に反応した理由
特に意味を教えてくれた方からの
「与える」という言葉に、私は反応した。
今、私は商業出版を目指しながら伝えたいことが少しずつ見えてきている。それはnoteやXで発信しながら形にしていきたいと思っていること。
そのテーマは「反芻」。
ネガティブなイメージを持たれがちなその言葉を、
良い意味へと広めていきたい。
そう考えたとき、「氣」という文字が急に違って見えてきた。
私自身がエネルギー源となって反芻の持つ本来の力を八方へ広めていく人。
あながち悪くない。むしろ、ぴったりじゃないか。と
モヤっとで終わらせない
モヤっとしたら、そこで終わりにしない。
一度立ち止まって、別の角度から眺めてみる。
意味を調べてみる、誰かに話してみる、時間を置いてまた向き合ってみる。
そうやって頭の中でのモヤモヤがぐるぐるしている状態から
外に言語化して深めていくことを
私は勝手に「意識的反芻」と呼んでいる。
「氣」という一枚の紙が、そのことをあらためて教えてくれた。
ネガティブな捉え方も、向き合い直すことで、自分を動かすエネルギーに変わる。
それが、私の考える「意識的反芻」の力なのだと思っている。
