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「コナン」はいつの時代なのか?――『工藤新一最後の事件』と、30年続いたアニメの時間の歪み

※「名探偵コナン エピソード0」のネタバレを含みます
※この記事は、以下の会話をもとにAIが作成した記事です


『名探偵コナン』30周年企画の一環として放送された、『工藤新一最後の事件』――いわゆる、水族館で事件が起き、蘭の携帯電話が水没し、その埋め合わせとして新一が「都大会で優勝したら遊園地に連れて行く」と約束するまでを描いたエピソードをようやく見た。

結果的に、作品そのものよりも、「コナン世界の時間とは何なのか」ということを考えてしまった。

水族館事件と、“最後のデート”の補完

このエピソードで面白かったのは、あの遊園地デートが、単なる偶然の外出ではなく、新一なりの「埋め合わせ」として描かれていた点だ。

蘭の携帯を壊してしまった負い目があり、その償いとして遊園地へ行く約束をする。しかも、新一は事前にデートコースの下見までしている。

普段の新一は、推理に夢中で女心に鈍感なキャラクターとして描かれることが多い。しかし実際には、完全な鈍感人間というより、「照れくさくて不器用」なタイプなのだろう。

だからこそ、後から見ると切ない。

本人としては、

「都大会で優勝して、約束を果たして、今日は楽しいデートだ」

くらいのつもりだったはずなのに、その日の終わりには毒薬を飲まされ、人生そのものが変わってしまう。

あの遊園地デートは、いま見るとかなり悲劇的な場面である。

しかし、これはいつの話なのか?

ただ、見ていて妙な違和感があった。

「これ、いったいいつの時代の話なんだ?」

ということである。

そもそも『名探偵コナン』のスタートは1990年代だ。連載開始は1994年、アニメは1996年。

つまり、本来の工藤新一がコナンになる直前の世界は、90年代後半のはずである。

ところが、このエピソードでは、どう見ても現代のスマホ文化が混ざっている。

最初は蘭の携帯がガラケーっぽく見えた気もするのだが、いつの間にかスマホ的な描写になっている。そして事件では、動画撮影によるアリバイ工作が重要な要素になっていた。

しかも、その動画を撮っていたスマホが「タッチパネル式だからこそ」犯人だとバレる。

これはかなり現代的なトリックだ。

静電容量式タッチパネルを前提にしている以上、少なくともスマホ時代の発想である。

さらに動機も、「リベンジポルノをばらまくと脅されたから」。

もちろん、類似の犯罪自体は昔から存在した。しかし、「リベンジポルノ」という言葉や、“動画をSNSで拡散する恐怖”が社会的に共有されるようになったのは、やはり2010年代後半以降だろう。

つまり、

  • 新一と蘭の空気感 → 90年代青春ラブコメ

  • 黒の組織の雰囲気 → 初期コナン的ハードボイルド

  • しかし犯罪やガジェット → 2020年代

という、不思議な混合状態になっているのである。

「サザエさん時空」の極北

もちろん、これはコナンだけの問題ではない。

長寿作品では、キャラクターは年を取らないのに、テクノロジーだけが更新される。

いわゆる「サザエさん時空」だ。

しかしコナンの場合は特に極端である。

なにしろ、作中ではまだ半年程度しか経っていないはずなのに、現実では30年が経過している。

そのため、

  • ガラケー時代

  • スマホ時代

  • SNS時代

  • 動画配信時代

が、全部「同じ半年」の中に押し込まれている。

だから今回のような“新一時代の前日譚”を現代風にアップデートすると、どうしても奇妙な歪みが生まれてしまう。

むしろ、30周年企画なのだから、いっそ徹底的に90年代で統一してもよかったのではないか、とも思った。

ガラケー、PHS、公衆電話、ハンディカム――そんな世界観で作ったほうが、「工藤新一最後の日」のノスタルジーはもっと強く出た気がする。

それでも燃える、初期コナンの音楽

とはいえ、音楽演出は非常によかった。

オープニングがTHE HIGH-LOWSの『胸がドキドキ』、エンディングがZIGGYの『STEP BY STEP』、さらに挿入歌として『運命のルーレット廻して』まで流れる。

これだけで、一気に「あの頃のコナン」に戻される。

最近のコナンというと、どうしても倉木麻衣の印象が強い。もちろん、それはそれで“中後期コナン”を象徴する存在だ。

しかし、自分にとってのコナンは、やはりTHE HIGH-LOWSなのだ。

100年ぶりの世紀末に
泣けと言われて僕は笑う

子供のころにわかりかけてたことが
大人になってわからないまま

この歌詞、意外なほどコナンに合っている。

新一/コナンというキャラクターそのものが、「子供と大人の境界」に立っている存在だからだ。

そしてエンディングでは、歴代アニメや映画の映像がパッチワークのように流れていく。

そこには、30年間の『コナン』そのものの変化が見える。

初期のコナンは、もっと顔が丸かった。

今のコナンは、顎が尖り、線もシャープになった。

作品そのものが、30年かけて少しずつ変化してきたのである。

――もっとも、その30年分の変化が、作中では「半年くらい」の出来事なのだが。

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