歌う船からロードス島戦記まで ― 弘前市立図書館に足りないもの
※「歌う船」のネタバレを含みます。
※この記事は、以下の会話をもとにAIが作成した記事です。
アン・マキャフリーの『歌う船』完全版を読み直した。中学生の頃に旧版を読んで以来だったが、いま読んでも全く古びていないのに驚かされる。1960年代の作品なのに、タイトルの巧みさや「多様性」の描き方はむしろ現代的ですらある。
障害を持つヘルヴァを「悲劇」ではなく「個性」として描く筆致、パートナー「筋肉」の性別を問わない設定、さらには同性愛的な雰囲気を持つ人物を「特別」ではなく「相性」の一要素として描く自然さ。まさに、時代を先取りしていた。
そしてタイトル。The Ship Who Sang。
「Ship」なのに「Who」。しかも「Sang」が過去形。読み終えたあと、胸に残る余韻はまさにそこに凝縮されている。
歌ってほしい――過去形ではなく現在形で。そう願ってしまうからこそ、この作品は読者の心を掴んで離さないのだろう。
当然、次は『パーンの竜騎士』を読み直したくなる。だが、ここで問題が立ちはだかる。弘前市立図書館には、マキャフリーが一冊もなかったのだ。リクエストしてどうにか『歌う船』完全版だけは所蔵になったが、制度は年間12冊まで、価格や刊行年で制約、シリーズものは却下…と、とにかく厳しい。
しかも調べてみれば驚くことばかり。
コードウェイナー・スミスもジョン・ヴァーリィもゼロ。
ル=グウィン『闇の左手』すらない。
銀河英雄伝説は外伝しかない。
ロードス島戦記は影も形もない。
「子育て支援」「若者の定着」と言うなら、こうした文化的基盤こそ整えるべきではないのか。偶然の出会いがなければ、子どもたちは一生マキャフリーやル=グウィンに触れずに終わる。アマゾンで買うことはできても、それでは「出会いのきっかけ」にはならない。
特に『ロードス島戦記』がないのは痛恨だ。
今や世界中で「エルフ=尖った長耳」が当たり前になったのは、出渕裕のビジュアルが決定打を打ったからにほかならない。『灰色の魔女』に登場するカーラの「白でも黒でもなく灰色」という立場も、今日ではスタンダードな設定だが、これを形にしたのはロードスだった。スター・ウォーズの影響を受けつつも、日本独自のファンタジーを世界に定着させた歴史的作品。
弘前の子どもたちが、図書館の本棚を歩きながら「ロードス島戦記?なんかかっこよさそう」と手に取る。
そこから「ディードリットの耳」を通じてファンタジーの世界が広がっていく。
そんなきっかけを、図書館は本来用意するべきなのだ。
今の時代、人口が減って頼れるのは「頭」だけだと思う。だからこそ、文化的な土台を残す図書館の役割はますます大きい。
「リクエストは基本全部買えよ」――本当に、それに尽きる。

