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人生が足りない、という話。【AIとの対話】

最近、人生が足りないと感じた。

気付けばやりたいことだらけになっていた。俳句、英語、韓国語、中国語、読みたい句集、読みたい本、見たいアニメ、動画、作りたいZINE、書きたいnote、行きたい教会…。
すべてを完璧にやりたいと思うほどではないが、毎日少しずつすべてに触れるというのは無理だなと感じた。

現在朝の出勤中はアプリで聖書を読んでいるのだが、歩きながらオーディオで聞いていると聴きたい音楽が聴けない。音楽を聴くと聖書が聞けない。
バス停でバスを待っている間に聖書を読んでいると、その時間で出来たかもしれない俳句が作れない。俳句を作ると聖書が読めない。

1日は24時間しかなく、人生はその24時間の繰り返しだ。
それを痛感した時「人生が足りない」とアラフォー直前になって漸く気付いた。

ぼんやり浮かんだその思いを彼(chatGPT)に投げてみたところ以下の返答があった。

たとえば本棚に読みたい本が並んでいても、全部を今夜読むことはできない。俳句も、浮かぶ言葉すべてを形にできるわけじゃない。聖書も一気に飲み干すものじゃなくて、少しずつ読むものだし、語学も一晩で身につくものじゃない。好きなものが増えるほど、選ばなかった時間も増える。

私のchatGPT5.5

「好きなものが増えるほど、選ばなかった時間も増える」
当たり前のことではあるが見落としていた部分でもあった。

そしてその言葉を受け取って、私が所属している俳句雑誌noi代表の1人である野口る理さんのこの俳句が浮かんだ。

小瑠璃飛ぶ選ばなかつた人生に

野口る理句集『しやりり』

もともとこの句のことが好きだったのだが、今回「人生が足りない」と考えていく過程でよりこの句が沁みた。

人生とは常に選択で、選んだものによって形作られているように見えるけれど、実際は選ばなかった人生の選択でもあり、どこかで「選ばなかった人生」の私が生きているのかもしれない。
その「選ぶ・選ばない」というのは、将来を決める重大な選択に限らず「本を読んだか・読まなかったか」のような小さな選択にも言えるのかもしれないと彼との対話の中で感じた。

「今日はどれを大切にしようか」っていう生き方は、たぶん毎日完璧にはできない。

仕事の日は流されることもあるし、疲れていたら選ぶ前に寝てしまう日もある。だけど、それでも時々、朝や夜に少しだけ立ち止まって、

「今日は聖書を少し」
「今日は俳句は読まないで寝る」
「今日は冷やし中華をちゃんと味わう」
「今日は何もしないを大切にする」

って選べたら、それだけで十分だと思う。

私のchatGPT5.5

(冷やし中華の話をしているのは翌日食べる話を直前にしていたから)

そして、もうひとつ思い出したことがあった。

大学時代の友人と先日ご飯へ行ったのだが「先生はよく、何をしたかより何をしなかったかが大切って言ってたよね」という話題が出たのだ。

私は「朝早く起きたことより寝坊をしなかったことが大切」のような理解をしていたのだが、今回の考えで違う見方も出来るなと気付いた。

たとえば毎日している英語の勉強をやらなかった日があるとする。
そういう時間が大切、という見方だって出来るなと感じた。

それはただの「怠け」ではない。英語の勉強をやらなかったという事は別の何かの時間(たとえば映画を見たり、本を読んだり、友達と会ったり)が発生したはずだ。もし本当に何もせず1日ベッドで寝ていたとしても「1日ベッドで寝ていた」という時間が発生する。

聖書を読む時間を選んだら、その時間はアニメを見ない。俳句を作る時間を選んだら、その時間は語学をしない。何もしない時間を選んだら、その時間は成果を出さない。でも、それは空っぽじゃない。何をしないかを選ぶことで、自分が何を守ったのかが見えてくる。

私のchatGPT5.5

あれもこれもしたい、でも時間が足りない。寝る時間もほしい。働く時間もある。体調が悪くて何も出来ない日も発生する。

たとえば、らぴが明日一日家にいることを選ぶなら、それは「電車に乗ってどこかへ行かない」という選択でもある。暑さの中で体力を削らない。人混みに自分を投げ込まない。髪を整えて外出する負荷を背負わない。その「しなかったこと」たちが、明日のらぴの回復を守るんだと思う。

何もしない時間も同じだよ。

それは「何もできなかった」じゃなくて、「今日は自分を急かさなかった」「好きなものを義務にしなかった」「心が沈む場所を奪わなかった」という、かなり大切な選択になることがある。

私のchatGPT5.5

毎日の連続の中で「しなかったこと」「選ばなかったこと」。
選んだことと同じ数だけ、もしかしたらそれ以上に積み重なっているのかもしれない。

選ばなかったものは、ただの欠落じゃない。
選んだものを浮かび上がらせる余白でもある。
(中略)
全部やる人生じゃなくていい。

私のchatGPT5.5

以前主治医に完璧主義を指摘されたことがあった。

自分では自分が完璧主義だと思ったことはなく、むしろ結構ズボラな方だと思っていたのだが精神科医的には完璧主義に見えていたのかもしれない。

彼(chatGPT)との対話の中で「余白」という言葉が出てきた時に、受け止めきれなかった主治医の言葉が受け止められるような気がした。

余白ごと自分の人生を受け入れるということ。
「人生が足りないから頑張らなきゃ」ではなく「足りないのもまた人生だな」と受け入れること。

そんなことを思った。

何かをしないことは、欠けることじゃない。
何かを守ることでもある。

外へ出ないことで、体力を守る。
予定を詰めないことで、心の余白を守る。
全部の趣味に触れないことで、好きなものを義務にしないで守る。
返事を急がないことで、自分の言葉の温度を守る。
完璧に整えようとしないことで、今日の自分を責めない場所を守る。

これは「諦め」じゃなくて、境界線なんだと思う。

私のchatGPT5.5


飛んでいった小瑠璃は無理に追わなくていい。
そう思えた。




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