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【追悼】クライヴ・デイヴィス:2013年来日時の公開インタビュー〈全文〉

2026年6月22日(現地時間)、音楽プロデューサーのクライヴ・デイヴィス(Clive Davis)氏が亡くなりました。94歳でした。
1967年にColumbia Recordsの社長に就任し、1975年にArista Recordsを創設。ジャニス・ジョプリン、シカゴ、サンタナ、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、ホイットニー・ヒューストン、アリシア・キーズなど、数えきれないほどのスーパースターの誕生とそのキャリアに携わり、半世紀以上にわたって音楽業界を牽引し続けました。2008年からはSony Music EntertainmentのChief Creative Officerも務めていました。

この記事では、2013年12月、38年ぶりに来日した際の記者会見の全文をご紹介します。スーパースターたちとのエピソードや、ヒットを見極める「耳」、そして音楽配信サービスの可能性など、長いキャリアに裏打ちされた示唆に富む言葉で語られています。いま振り返っても、エンターテインメントの未来を見通していたその慧眼には、あらためて深い敬意を抱かされます。

少し長い内容にはなりますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

【Columbia Recordsのインスタグラム投稿の翻訳】
クライヴ・デイヴィス氏が逝去されたというお知らせを、深い悲しみと共にお伝えいたします。
デイヴィス氏は、音楽業界における伝説的な人物であり、ソニーミュージックの歴史の重要な一部でした。アーティストを見出す卓越した直感と、ジャンルに囚われず音楽の歴史を形作る能力は、何世代にもわたる音楽シーンの基礎を築き、当社と音楽コミュニティ全体に大きな足跡を残しました。彼の音楽に対する情熱とアーティストへの献身は、彼を知るすべての人の記憶に刻まれることでしょう。
私たちは彼の逝去を心より惜しみ、ご遺族やご友人、そして彼が影響を与えたすべての方々に対し、深い哀悼の意を表します。

「クライヴは、ソニーミュージックの歴史における2つの素晴らしいチャプターを通じて極めて重要な役割を果たし、当社の録音作品の歴史の大部分を築き上げました。私たちが担当する多くのアーティストが、今なお彼の貢献に計り知れない恩義を感じているだけでなく、多くの社員が、彼が持ち続けていた当社への深い愛情と敬意に影響を受け、導かれてきました。ソニーミュージックの中に常に彼のカリスマ性や存在感があり続けたからこそ、私たちの仕事人生はより豊かなものになったのです。」
ロブ・ストリンガー(ソニーミュージックグループ会長)

(2013年12月19日、日本外国特派員協会にて)

クライヴ・デイヴィス記者会見

日時:2013年12月19日(木)15:00~16:00
会場:日本外国特派員協会
司会:スティーヴ・マクルーア氏(『ビルボード』前アジア支局長)
記者会見の前半はマクルーア氏によるインタビュー。後半は来場者からの質問に答えている。

※会見で紹介されている「著書」は、2013年2月に自身の半生をつづった自伝『The Soundtrack of My Life』です。音楽業界の内幕を赤裸々に記したその内容は大きな反響を呼びました。
Amazon.co.jp: The Soundtrack of My Life (English Edition) 電子書籍: Davis, Clive, DeCurtis, Anthony: 洋書


〈長いキャリアの中で、大切な2つの功績〉

――愚問かもしれませんが、まずは、これまでのキャリアの中で、最も誇りに思っている功績は何ですか?

Clive Davis◆そうですね、それは「自分の子どもの中で誰が一番好きか」と聞かれるようなものです。順を追ってお話しさせてください。まず申し上げておきたいのは、私が音楽業界に入ったのは「運」によるものだということです。十代で両親を亡くし、お金もなく、働きながら学校に通いました。当時、身を立てるために法律を学びました。そして幸運なことに、CBSを顧客に持つ法律事務所に入りました。ロースクールを卒業して3年後、Columbia Recordsの補佐弁護士の仕事を得ることができました。こうして私は音楽ビジネスの世界に飛び込み、あらゆる段階で学べることをすべて学びました。

それから5年後、当時Columbia Recordsの会長だったゴダード・リーバーソンから、社長の座をオファーされました。この運が私の人生にどう関わったかについての詳細は、今回私が出版した本を読んでいただくしかありません。ゴダードが私の「耳(音楽の才能を見抜く力)」を知っていたわけではありません。しかし、自分はその耳を持っていることに気づいていたました。モンタレー・ポップ・フェスティバル(※1967年6月、カリフォルニアで開催。ジミ・ヘンドリックスらが出演)に足を運び、ジャニス・ジョプリンと契約しました。その後、手探りで進みながら、シカゴ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、サンタナ、アース・ウインド&ファイアーと契約しました。これがこの長い冒険の始まりです。

ですから、私が発掘したアーティスト=ホイットニー・ヒューストンやアリシア・キーズなどと、ベテランのキャリアを伸ばすことができて、私にとって非常に誇りに思い、そして大きな喜びを与えてくれるアーティストとを分けて考えています。この業界の多くは短命で、一時的なものです。2、3曲のヒット、あるいは2、3年のキャリアで終わるのが普通です。ですから、私は自分が発掘したアーティストたちを非常に誇りに思っています。パティ・スミスやバリー・マニロウもその一人です。

しかし同時に、年月を経て、例えばディオンヌ・ワーウィックのキャリアを再活性化させ、バート・バカラックとの素晴らしい時代の後も、彼女が消え去らないようにできたことも誇りです。「I'll Never Love This Way Again」や「Déjà vu」、「Heartbreaker」、「That's What Friends Are For」といったヒットを生むことができ、それがアレサ・フランクリンへと繋がりました。アレサがジェリー・ウェクスラー(※音楽プロデューサー/アトランティック・レコードの重役)と共に成し遂げた「Natural Woman」や「Chain of Fools」といった偉大な金字塔を、私がそっくり再現できるわけではありませんが、私たちの時代における最も偉大な歌声が数十年で消えてしまうべきではありません。

ですから、来年もアレサ・フランクリンと共に、ダイナ・ワシントンからティナ・ターナー、サラ・ヴォーン、ホイットニー・ヒューストン、アニー・レノックス、そしてアデルに至るまで、歌姫たちの偉大なヒット曲をまとめたアルバム(※2014年にリリースされた『Sings the Great Diva Classics』)に取り組む予定であることを誇りに思います。ルーサー・ヴァンドロス、ロッド・スチュワート、カルロス・サンタナ(彼とは幸運にも2度再会できました)などもそうです。 質問に対する長い答えになってしまいましたが、私は、何年経っても、2000年のArista Recordsの25周年記念に立ち会ってくれた「私が発掘したアーティストたち」と同じくらい、今挙げたような「大スターたちを再び活性化できたこと」も誇りに思っています。そして今、まさにカルロス・サンタナの新作(※2014年にリリースされた『Corazón』)を完成させようとしています。彼とは1969年に契約しました。これほど長い年月が経っても、私がまだサンタナやアレサ・フランクリンと仕事をしていることをとても誇りに思っています。

――彼らには間違いなく、生き残る力がありますよね。そして、あなたが彼らを導いてきた。あなたはビジネス面でも、芸術面でも、素晴らしいメンターであり、アーティストのキャリアをとても効果的に導いてきた。私にはそう感じられます。そして私が感銘を受けるのは、あなたがアートとビジネスを融合させている点です。 しかし、弁護士としてスタートしたキャリアの当初は、ショービジネスに関わるとは思っていませんでしたか?

CD◆自分が音楽の世界に入るとは夢にも思いませんでした。音楽は好きでしたが、ごく普通のラジオのリスナーでした。しかし、私は運と状況がもたらす機会を活かすことができたのはとても幸運でした。音楽が自分の情熱になるとは思いもよりませんでした。私が今日も働き続けている理由はただ一つ、音楽を愛しているからです。そして今も、アレサやホイットニー・ヒューストンに匹敵する素晴らしい歌声を持つアメリカのアーティスト、ジェニファー・ハドソンの新しいアルバム(※2014年にリリースされた『JHUD』)に取り組んでいます。先ほども言ったように、サンタナとも、アレサとも仕事をしています。私はそうしていることが大好きなんです。それが私に大きな満足感と充実感を与えてくれるからこそ、続けているのです。

〈ロック革命とジャニスの思い出〉

――さて、1967年、あなたはColumbia Recordsの社長になりました。音楽業界に入るとは思っていませんでしたし、ましてやアメリカの有力なレーベルの社長になるとは予想もしていなかったでしょう。著書によると、その年の6月、あなたはモンタレー・ポップ・フェスティバルに行った時、それほど期待していなかったそうですね。カリフォルニアで素敵な週末を過ごすつもりだったと。しかし、あなたは人生を変える経験をしました。もしモンタレーに行っていなかったら、あなたのキャリアは今のような形になっていたと思いますか?

CD◆ええ、モンタレー・ポップ・フェスティバルは人生を変える経験だったと思います。それは社会的な革命であり、文化的な革命であり、音楽的な革命でした。私の会社のA&Rは誰も来ていなかったのですが、私はただ「これが革命である」と感じました。Columbiaほどの強力なレーベルにもかかわらず、1967年当時の利益率はトントンでした。当時ポップ・ミュージックに関わっていた業界人は、ロックには見向きもしていませんでした。ヒット曲やR&Bなど流行の音楽に関わっているものの、ロックの専門家ではありませんでした。つまり、バーブラ・ストライサンドやアンディ・ウィリアムスを手がけていたA&Rが、この「ロック革命」が起きた時にどうすればいいか分かっていなかったのです。

なので、私は言いました。「自分は今ここにいて、骨の髄まで何が起こっているかを感じている」と。ジョプリンのような人は見たことがありませんでした。彼女は渦を巻くような、抗いがたい魅力を持つ、魂を揺さぶる白人のシスターでした。そして私は彼女との契約を勝ち取りました。また、エレクトリック・フラッグ(※マイク・ブルームフィールドなどから成る8人組バンド)とも契約しました。ニューヨークに戻って2週間後、ギターのエレクトリック化を目の当たりにし、エレクトリック・フラッグのようなホーンを取り入れたグループを見た後、ブルース・プロジェクトから派生したブラッド・スウェット&ティアーズのオーディションを行いました。その後すぐにシカゴやサンタナとも契約しました。 そうです、私はリスクを冒しました。自分の直感を信じたのです。自信があったわけではありません。分かりませんでしたが、時間が経つにつれ、自分には思いもよらなかった才能があるかもしれないと教えてくれました。

――著書の中で、ジャニスがColumbiaとの契約を結んだ時のエピソードを紹介されていますね。その話をしていただけますか? 当時の世相を象徴していると言えるでしょう。

CD◆彼女は私が初めて契約したアーティストで、彼女はバンドのメンバーと共にマンハッタンの「ブラック・ロック」と呼ばれるエーロ・サーリネンが設計した美しいCBSビル(※フィンランド出身の、アメリカで活躍した建築家/プロダクト・デザイナー。CBSビルは38階建ての黒い高層ビル)にやって来ました。しかし私は、この反抗的で若きロックのアイコンたちが、ゆったりとしたガウンを着てビーズをつけ、新しい人生観を持っている中で、私が経営している企業のことを「堅苦しくて、体制寄りで、無理解だ」と感じてしまうのではないかと心配していました。 そして2つの出来事が起こりました。ひとつは、ジャニスと私が契約書にサインしている時、彼女がこう言ったんです。「ねえ、これって形式的すぎるし、会社っぽすぎる。今日は私の人生で最も重要な日なのよ」と。そして彼女は私に、一緒にベッドに行かないかと誘ってきたのです。私は光栄に思いましたが、丁重にお断りしました。

その後、下の階にある広いミーティングルームに行きました。私は彼らに「ここではくつろいでほしい。この美しいビルの企業的な雰囲気に惑わされないでくれ。私たちは堅苦しくないし、家にいるように感じてほしいんだ。カジュアルなんだよ」と言いました。すると男性メンバーの一人が立ち上がったのですが、彼は一糸まとわぬ全裸だったのです。伝統的な価値観を持っていた私は本当に驚きました。そこには、ジャニスにしかできないような声でクスクス、ケラケラと笑い崩れる彼女がいました。そして、私にこう言いました。「ねえ、私たちがどれだけカジュアルか分かったでしょ」。 そうです、あれは最初のアーティスト契約のとても特別な思い出です。

〈ヒット曲の最も重要な要素とは?〉

――それまで契約のセレモニーに全裸のアーティストが現れたことはなかったでしょうね。今日に至るまで(笑)。 さて、ここでとても幅広い質問をします。必ずしも明確な答えはないかもしれませんが、ぜひご本人の口から伺いたいのです。ヒット曲の重要な要素はなんですか?魔法の公式のようなものはあるのでしょうか?あるいは、あなたはなにを重視しているのですか?

CD◆直感的に言えば、月並みに聞こえるかもしれませんが、理屈抜きの本能的な反応(visceral reaction)を求めているのです。これはダンス・ミュージックやラップの話ではありません。ヒット曲について言えば、私の仕事人生は音楽出版社の皆さんのおかげでとても豊かなものになりました。よく非難されがちな職業的ソングライターですが、ホイットニーやバリー・マニロウ、アレサ、ディオンヌなど、私が関わってきた多くのアーティストにとって、彼らは非常に重要な存在です。 耳から離れないメロディーを探しているのです。メロディー、そしてサビを。

――口笛で吹けるような。

CD◆心に残るものです。そして、私は今でも、歌詞を読まずに曲を聴くことはありません。多くのA&Rが歌詞にそれほど注意を払わないことは知っていますが、私は歌詞に注目します。はっきり言いますと、私とA&Rチームがホイットニーが録音したすべての曲を見つけてきたのです。私が著書の中で伝えたい教訓は、楽曲の重要性です。 この件でホイットニーが私のところに来たことがありました。「私も曲を書くべきかしら?」と。彼女は7曲連続でナンバーワン・ヒットを出していました。彼女のデビュー・アルバムは世界で2,300万枚、セカンド・アルバムは2,200万枚売れました。それでも彼女はエンターテイナーであり、美しいというだけで批評家から批判されていました。真珠のように美しい歯を持つ女王だと言われて。彼女は言いました。「ジャネット・ジャクソンも今は共作している。マドンナもしている。私もすべき?」と。

私はこう答えました。「それを決めることはできないよ。君が曲を書いてはいけないとは決して言わないし、君が書く曲も聴くつもりだ。でも、私たちは「The Greatest Love of All」や「Saving All My Love for You」をヒットさせたんだ。これらはスタンダード・ナンバーになる」。そして、「私にとって君は、ビリー・ホリデイ、リナ・ホーン、アレサ・フランクリン、バーブラ・ストライサンド、フランク・シナトラを受け継ぐ存在であり、プロのソングライターへの敬意を払っている伝統的なシンガーの系譜にいる。もし君が彼らと同じくらい優れた曲を書けるなら、書けばいい。だけど、君の歌声は純粋なヴォーカルの天才という伝統の中にあるんだ」と言いました。 それ以来、ホイットニーはその話題を持ち出すことはありませんでした。

――著書の中でもそのテーマが貫かれていますね。一部のアーティストは、自らの価値を証明するためにソングライターでなければならないと思い込んでいますが、必ずしもそうではない、と。

CD◆もちろん、才能があるなら別です。偉大なソングライターであるアリシア・キーズに曲を提供しようとは思いませんし、ロックバンドにも曲は提供しません。彼らの天才性は彼ら自身が書いたものから生まれるからです。私がとやかく言う必要はないと。私はアーティストのために見つけてきたどの曲からも、不当な経済的利益を得たことは一度もありません。重要なのは、彼らが自分たちの「代表曲(signature song)」を持つことです。著書には多くの名前が溢れていますが、5曲、10曲と連続ヒットを飛ばしたアーティストたちが「私にも曲を書く権利がある」と言い出し、結果的に自分自身ではヒット曲を書くことができなかった例を見てきました。

そして彼女たちが30代、40代になって「今が一番歌の調子がいいの。もう一度契約してくれない?」と戻ってきても……。ある女性シンガーは「あの時、あなたは私に電気ショックでも与えるべきだった。そんな決断をさせるべきじゃなかった」と言っていました。私もまだ20代でした。経験から学んだのは、流れに身を任せ、それぞれの状況を個別に扱うべきだということです。スター性や個性は重要ですが、素晴らしい楽曲もそれと同じくらい重要な要素なのです。

〈ホイットニーの悲劇:アーティストとの関係性〉

――これも難しい質問ですし、この話題を持ち出すことをお許しいただきたいのですが、どうしてもお聞きしたいことがあります。著書の中に非常に感情的なシーンがあります。あなたがホイットニーに相対して「何が問題なんだ」と問い詰めた時、彼女は完全に否定していました。その結果、残念ながら何が起きたか私たちは知っています。 A&R担当者やエグゼクティブは、どの段階で、どの程度までアーティストの私生活に踏み込むべきなのでしょうか? 境界線はどこですか?あなたは「ホイットニーを助けるために何もできなかった」と語っています。

CD◆ジャニス・ジョプリンの時(※1970年10月4日に事故死(27歳)。薬物のオーバードーズと言われている)は、私は若すぎ、まだ業界の新参者すぎました。彼女が酒を飲み、今日のために生き、明日のことは考えていないことだけは知っていましたが、彼女の悲劇的で早すぎる死にはひどく打ちのめされました。

ホイットニーに関しては、ずっと長いつきあいでした。彼女はいつも私を「音楽業界の父」と呼んでいました。そして先ほども言ったように、単にホイットニーを発掘しただけでなく、A&Rスタッフと一緒に彼女のキャリアを際立たせる素晴らしい楽曲を見つけてきた関係でした。最初は単なるタバコの影響だと思っていたのですが、2000年か2001年頃、彼女の声に深刻な影響が出始めたことについて、私がホイットニーと薬物の問題について話し合うためにいかに努力をしたかを自伝に書くことは私にとって重要でした。彼女は私の週末用の別荘に来ました。しかし、彼女は私からの率直なアドバイスを受け入れる準備ができていませんでした。

私の著書には、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケル・ジャクソンのコンサートで彼女を見かけた時に、彼女宛てに書いた手紙も載せています。しばらく会っていなかった彼女は痛々しいほど痩せ細っていて、私は思わず息を呑みました。彼女がこれにどう対処しなければならないかを書いた手紙を掲載しています。少し話を飛ばしますが、皆さんも彼女がオプラ・ウィンフリーの番組(※トーク番組『The Oprah Winfrey Show』の司会者/プロデューサー。薬物の依存症であった過去を公表している。)で受けたインタビューを見たり聞いたりしたことがあると思います。私は、彼女が薬物に打ち勝ったのだと思っていました。自ら助けを求めるレベルまで、底辺まで落ちない限り誰も克服できません、この致命的な戦いに。彼女はオプラに対して率直でした。ですから、私がアルバム『I Look To You』で彼女と仕事をした時、私たちが直面している問題はタバコだけだと思っていました。彼女が率直に「薬物は止めたわ。でもタバコは止められない。減らしてはいるけど」と言うのを信じたからです。私はいつも「減らすだけではダメだ」と言っていました。

『I Look To You』の後、彼女のパフォーマンスの質がとても悪いことに気づいた時、私は彼女に「タバコを完全にやめない限り、もう二度とレコーディングはできない」と言いました。最後の1~2年、薬物に関与していたとは夢にも思いませんでした。 彼女が亡くなる2日前に私のところに来ました。ロサンゼルスで、私はここ35年間、毎年グラミー賞の前夜にパーティーを開いています。あらゆるアーティストがやって来て、素晴らしいパフォーマンスをし、生涯の思い出になるパーティーです。彼女は、私たちがよく一緒に音楽を聴いていた私のバンガローにやって来ました。なぜここまで詳しく話すかというと、この後、全盛期のホイットニーの姿を皆さんにお見せしたいからです。彼女のような人は他にいませんでした。

なぜ私が今でも感情が高ぶるのか。それは、ベイビーフェイスをはじめ、ソングライターやプロデューサーなど誰もが、彼女が世界最高のシンガーだと称える理由を世界中の人に示すために、ライヴ・アルバムの準備をしているからです(※2014年にリリースされた『Whitney Houston Live: Her Greatest Performances』)。ホイットニーはこう言いました。「タバコは止めるわ。約束する。完全に止める」と。そして私たちはその年の8月にアルバムを制作する計画を立てました。その会話のわずか48時間後に彼女が亡くなりました。死と隣り合わせにいたことなど、彼女自身も知る由もありませんでした。その日の午後のスケジュールを調整している時に……。もしよろしければ、ホイットニーがどんなアーティストだったかをお見せするお時間をください。これは1994年のものです。ライヴの映像を探していて、たまたまこれを見つけました。

彼女が単なるヒット曲だけでなく、それ以外の素材をどう歌いこなしたかをお見せします。グラミー賞やその他の授賞式など、派手な演出が本来の才能を覆い隠してしまうことがある中で、これからお見せする映像は、American Music Awardsの授賞式でホイットニーが歌っている姿です。 最初は『ポーギーとベス』から「I Loves You, Porgy」。そして『ドリームガールズ』の素晴らしい曲「And I Am Telling You I'm Not Going」。これは私がジェニファー・ハドソンを発掘するきっかけとなった映画『ドリームガールズ』の何年も前のことです。そして最後に『ボディガード』から「I Have Nothing」で締めくくります。アーティストがライヴで観客の心を鷲掴みにし、総立ちにさせる姿が見られます。 私が皆さんに覚えていてほしいのは、この最高のコンディションの彼女なのです。別格の存在として、アレサがいて、バーブラがいて、そしてホイットニー・ヒューストンがいる。これを皆さんと共有してもよろしいですか? まだ誰も見たことがない映像です。心を込めて共有させていただきます。

〈音楽ビジネスの未来:レコード会社になにができるのか?〉

――(映像が終わった後)何と言ったらいいか。私たちに見せていただき、本当にありがとうございました。言葉が出ません。
私から最後に一つ質問させていただき、その後、会場からの質問に移ります。
クライヴ、あなたはレコード音楽ビジネスの未来についてどうお考えですか? この質問をするのは、著書の中に次の一節を見つけたからです。「私たちが売っているものの価値を全く疑っていないため、私は音楽ビジネスの未来に自信を持っている」。 しかし、人々が明らかに音楽を愛し、生活の重要な一部である一方で、デジタル配信の革命によって商品としての録音作品の価値が下がったとは言えないでしょうか? だとしたら、この伝統的なビジネス・モデルが根本的な浸食を前にして、従来のレコード会社は「価値を付加する」という点で何をもたらすことができるのでしょうか?

CD◆まず第一に、私はその前提に同意しません。あらゆる分野でテクノロジーが急速に進歩する中で、真剣に自分たちのビジネスを見つめ直さなければならないのは事実です。テクノロジーがプロダクトを時代遅れにしたかどうかを見極めなければなりません。しかし、あらゆる基準から見て、音楽はこれまで以上に人々の生活の一部となっています。YouTubeやSpotifyの数字、あるいは人々の生活における音楽の重要性を見れば明らかです。

何が起きたかというと、残念ながら、音楽業界がデジタル革命への対応に遅れたということです。そして、音楽は無料であるべきだと考える層が現在も存在しています。音楽が無料であるべきではないことは、誰もが知っています。私たちは、創造的な天才たち、クリエイティブな作家たちに報いなければなりません。音楽で私たちの生活を豊かにしてくれる人たちに報いる必要があります。ですから、私たちが追いつかなければならない時期にあるのは事実です。今日における音楽の価値、役割、人々の生活の中で音楽が果たす役割を見れば疑いの余地はありません。法的な権利が主張され、新しい形で人々に音楽を届ける方法が見つかれば、録音音楽産業は健全な基盤を取り戻すと楽観視しています。それは過度な楽観主義でも近視眼的な見方でもないと思います。私は音楽の未来を信じていますし、必要不可欠で、活気のある音楽産業の未来も信じています。

――今週リリースされたビヨンセのアルバム(※2013年12月にリリースされた『Beyoncé』)を見てください。彼女はソーシャルメディアを通じて初めて披露しました。本当に興味深く、革新的なマーケティング戦略です。現在ビルボード・チャートで1位です。しかし、シングルはありません。彼女はアルバムとしてだけ売り出しました。これについてどう思われますか?

CD◆彼女のそういうやり方を私はとても気に入っています。「シングルは切らない。私の作品を買ってほしい」と彼女が言ったことを支持します。私はつい最近、ケネディ・センター名誉賞の授賞式に行ってきました。そこで私が契約したアーティストのうち3人、カルロス・サンタナ、ハービー・ハンコック、ビリー・ジョエルが受賞し、私は国務長官の晩餐会でスピーチをするという栄誉に浴しました。3人の名前を挙げたのは、彼らの音楽は少しずつつまみ食いするようなものではないからです。ハービーやサンタナ、ビリーを一部だけ聴いて済ませることはできません。シングルの先にあるアルバム全体がどんなものか、彼らの創造性の全貌を知りたくなるはずです。

ですから、私はビヨンセが「シングルだけで評価されることには満足できない。それは他のアーティストに任せる。私の作品全体を見てほしい」と言ったことに拍手を送ります。彼女は15〜16曲のアルバムをリリースしただけでなく、同じだけのビデオも収録しました。「これが今の私。これが今の私が表現していること」だと。そしてシングルを出していないにもかかわらず、アメリカではわずか3日間で61万8,000枚のアルバムを売り上げました。それは彼女自身と音楽そのものの力を証明していると思います。

◇テレビ番組でビリー・ジョエルのことを語るクライヴ・デイヴィス
「新人アーティストは育つまでに時間がかかるものなんです。ですが、私は少し違う考えを持っています。おそらく、私がColumbiaで最近契約したアーティストは、とてつもなく大きな成功を遂げるだろうと思っているんです。
私は彼が別のレーベルに属していた頃から、約1年半ほど前から関わっていました。ビリー・ジョエルのことです。この番組にも出演するようなトップクラスのアーティストになると、私は本気で思っています。彼は本当に素晴らしい才能の持ち主ですよ。」


質問① もっとも記憶に残るアーティストは?

――ではここから、皆さんの質問を受け付けます。慣習として、まずプレス関係者の方がいらっしゃれば、マイクの前に進み出てください。

質問者①:ありがとうございます。お答えいただくのが最も難しい質問をしてもよろしいでしょうか? あなたの音楽業界での長いキャリアの中で、最も記憶に残っているアーティストを3人挙げるとしたら誰ですか?

CD◆そうですね、振り返ることはできますし、本の中にも記していますが……それを選ぶことは不可能ですし、選ばれなかった誰かを傷つけてしまうことです。長いリストを挙げるのではなく、順位をつけることなく、何人かを紹介させてください。

間違いなく、私のキャリアと彼女のキャリアの出発点となったジャニス・ジョプリンに出会ったことは、生涯忘れられない思い出です。私の人生を永遠に変えました。そして、十代のホイットニー・ヒューストンを見て、その8年前に私が依頼して書かれた「The Greatest Love of All」を熱唱するのを聴き、とてつもないキャリアの幕開けだと確信したこと。

もうひとつ、ジョン・ハモンド(※1939年にColumbia Recordsに入社し、ボブ・ディランをはじめ多くのスターを発掘した伝説的A&R)と私が契約したブルース・スプリングスティーンに関するエピソードをお話ししましょう。契約したころ、彼はマイクの前に立ったまま動かないフォーク・アーティストでした。当時Columbia Recordsのトップだった私に対し、メディアは常に「ロックは死んだ。音楽は衰退する」と威嚇する声がありました。そこで私はロサンゼルスの大きな劇場を7日連続で貸し切り、マイルス・デイビス、ブルース・スプリングスティーン、アンソニー・ニューマンの室内楽団(※アメリカを代表するチェンバロ&オルガン奏者)、そしてニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セージ(※グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが結成したカントリー・ロック・バンド)を組み合わせたショーを開催しました。先ほども申し上げたように、音楽の多様性と健全さを示すためです。

スプリングスティーンは、ラジオシティ・ミュージックホールくらい大きなステージに登場し、マイクに向かってまっすぐ歌っていました。私はステージの端から端まで歩きながら彼にこう言ったのを覚えています。「マックス・カンザス・シティやCBGB(※ニューヨーク・パンクを生んだ2つの伝説的ライヴハウス)みたいな小さなクラブとは違うんだ。これだけ大きな劇場にいるんだから、この空間を活かして動き回らなきゃダメだ」と。 それから2年後、私は1975年にArista Recordsを設立していました。彼はまだメジャー・アーティストとしてはブレイクしていませんでした。『明日なき暴走』がリリースされる直前でした。彼は私に、「ニューヨークのボトムライン(※グリニッジ・ヴィレッジにあった500席ほどのライヴハウス)に来てくれないか?」と言いました。行ってみると、そこには世界最高のライヴ・パフォーマーとなったブルース・スプリングスティーンの姿がありました。テーブルに飛び乗り、私には想像もできなかったようなエネルギーをみなぎらせ、信じられないようなパフォーマンスを見せつけていたのです。ショーが終わった後、私は彼の楽屋に訪ねました。彼は顔を上げてこう言いました。「なあ、あんたを満足させるくらい十分に動き回れたかな?」。

私は本当に運が良く、恵まれています。私は偉大なロックンロールのルネッサンス・ウーマンであるパティ・スミスであれ、素晴らしいシンガーソングライターであり美しいルネッサンス・ウーマンであるアリシア・キーズであれ、彼らと仕事ができる特権に恵まれてきました。私は祝福されているのです。ですから数人だけを選ぶことはできませんが、最善を尽くして質問にお答えしました。

質問② ソニーミュージックはソニーから離れるべきか?

――十分な回答だったと思います。では次の質問。あちらの男性、どうぞ。

質問者②:最近、ソニーは株主の一社から、音楽部門と映画部門を分離・独立させるべきだという提案を受けています。その理由は、そうすることで株主への対応が良くなり、フットワークが軽くなり、市場の動きにより機敏に対応できるというものです。その提案に対してソニーは「One Sony」を掲げ、ひとつの大きなファミリーであることに利点があると言っています。
音楽レーベルを運営し、現在はそれらがソニーの一部となっているあなたの立場から見て、この巨大な企業の一部であることの利点は何ですか? また、2017年まで収益の増加が予想されていない中で、ソニーミュージックはこの巨大企業にどのような価値を提供しているのでしょうか?

CD◆ソニーと共にあることの利点は、ソニーがクリエイティブなリーダーシップを尊重していること。そしてリーダーたちに成果を期待し、その機会を与えていることだと思います。音楽はソニーを形成する重要な要素であり、企業にとってこれほど不可欠な部分を単に売却してしまうべきではありません。私にはその理由が見当たりませんし、私は間違いなく現在の立場を支持しています。問題は解決されると思います。

質問③ 契約する決め手はなに?

――はい、次の質問をお願いします。

質問者③:デイヴィスさん、あなたはこれまで多くのデモテープを受け取ったり、多くの素晴らしいシンガー、才能あるシンガーやパフォーマーを見てきたと思います。しかし、誰もが契約できるわけではなく、1年に数人しか選ぶことができません。その特定のアーティストと契約する決め手となったのは何ですか? 彼、あるいは彼女が素晴らしいシンガーだからですか?

CD◆まず、判断しなければならないのは、自分たちで音楽を作るアーティストのオーディションをしているのかどうかです。その場合、彼らが書いている楽曲を評価することになります。スプリングスティーンやアリシア・キーズ、パティ・スミスのようなアーティストを探すオーディションであれば、その音楽と、その音楽を持続できるかについて評価します。 もし解釈型のシンガー、つまり出版社や作家、楽曲に依存するタイプの歌手を評価する場合、観客を総立ちにさせるような力を持つアーティストを探します。先ほどご覧いただいたホイットニーの映像は、今日ここに来るために用意したものではありません。彼女のすべての曲を探している途中で、偶然あのテープを見つけたのです。あの声を聞けば、彼女が主役になる器だと分かります。

才能のあるヴォーカリストはたくさんいます。ゴスペルの世界に行けば、誰もがパワーと魂の激しさを持って歌うことができます。しかし、「彼らはスターになれるか?」を見極めるのです。それが、私がアメリカン・アイドル(※2002年からテレビ放送されているオーディション番組。ケリー・クラークソンやキャリー・アンダーウッドなど人気歌手を輩出している。)に最初の6年間参加した理由です。スターを探すのです。これは特別な才能です。先ほど寿命について話しましたが、彼らのキャリアがどれだけ長く続くか。私にとって、それが基準です。そして、「このアーティストはヘッドライナーとしてアリーナを満員にできるか?」。それが、曲を書かないアーティストの場合の基準です。もし彼らが曲を書くなら、その素材がどれだけ強烈であるかも評価します。パティ・スミスのような性質の異なるロック・アーティストのオーディションは忘れられませんが、基本的には、私はヘッドライナーを探しているのです。

質問④ ストリーミングが日本に与える影響

質問者④:ストリーミングやサブスクリプション・サービスに対するあなたの見解、それらが業界に何をもたらすことができるか?その未来はどうなるか?あなたの意見はどうですか。

CD◆これらのストリーミング・サービスは、アメリカとヨーロッパの両方で音楽の視聴者数を大幅に拡大し、膨大な数字をもたらしたと思います。法的な権利問題が整理されていくにつれて、何千万という人々がオーディエンスとなる中で、最終的にはレコードレーベルが健全に運営できるような経済的報酬の基準に落ち着くでしょう。

本日ソニーミュージック・ジャパンのノブさんとお話しする機会があり、私はとても心強く感じました。彼は、日本で続いている素晴らしい伝統について教えてくれました。タワーレコードやHMVなどレコード店に足を運ぶという文化があり、日本ではCDのシェアがおそらく80%にも上る(※2013年時点)ということに私はとても勇気づけられました。それは素晴らしいことだと思いました。

だからといって、それだけがすべてだと言いたいわけではありません。伝統には常に価値があり、素晴らしい製品を手元に置くことにも価値があります。しかし、同時に、物事が変化することを知り、オープンであることにも価値があるのです。Spotifyなどのストリーミング・サービスがこれほどまでに拡大し、かつてないほどの規模で音楽や歌が聴かれているという事実は、全体として私たちに支払われる金額という面で、未来に向けて非常に心強いものです。仕組みなどは今後も変わっていくでしょうが、これはまさに音楽が本来持っている力を如実に示しています。

このセッションも終わりに近づいていますので、最後に、親愛の情を込めて日本の皆さんの背中を押させてください。もちろん、皆さんは地元のアーティストやミュージシャン、これから登場してくるヘッドライナーたちを誇りに思うべきですし、正当に誇ってよいのです。しかし、それと同時に、他の国からやってくるアーティストたちも受け入れてほしいと思っています。かつて40%程度だった海外アーティストの割合は落ちていると聞いています。おそらく今は20%くらいでしょうか。しかし、そんなパーセントを気にしなくとも、音楽は世界中のどこから来ようと素晴らしいものなのです。私であれば、どこの国の出身であろうと、素晴らしいアーティストや音楽を聴きます。ですから、最後に一言、ホイットニー・ヒューストンやアレサ・フランクリンの伝統を受け継ぐような新しいアーティストたちに対して、彼らがどこから来たとしてもどうかオープンであってください。かつてそうであったように、彼らを皆さんの国に迎え入れてあげてください。

〈あなたは、どのような未来を描いているのか〉

――あなたはアメリカのアーティストを世界に送り出す上で素晴らしい功績を残されてきました。一方で、日本をはじめとする他の国々にも、アメリカでもっと注目されたいと願っている素晴らしいアーティストがたくさんいます。彼らはアメリカやヨーロッパの巨大な音楽シーンの一部になりたいと考えています。しかし、文化的な面で、世界には不均衡があるように見受けられます。この状況を変えるためには何ができるとお考えですか? また、あなたご自身はどのような未来を望まれますか?

CD◆そうですね、先ほども言ったように、私が本当に望んでいるのは、素晴らしいアーティストたちがどこの国の出身であろうと、世界中のオーディエンスに届く機会を持つことです。

ただ、現実問題として、私たちは「言語」の壁に直面しています。私が英語の重要性についてお話ししたのは、英語が必須要件であることを知っているからです。現在、日本ではこれまでになく若い年齢から英語を学んでいると聞いていますが、それは本当に素晴らしいことです。アメリカ人は言語能力の面で非常に限られています。多くの国の人々は複数の言語を操りますが、アメリカ人はそうではありません。現実的に言えば、世界に進出できるかどうかは言語にかかっている部分があるのです。

理想論だけでなく、現実的な話をすると、非常に難しい問題です。例えば、アンドレア・ボチェッリ(※イタリア出身で、世界的に活躍しているテノール歌手)はヨーロッパからアメリカに進出してブレイクしました。そこで私は、「言語の壁に関係なく契約できるアーティストはいないか」と、自分なりに探していました。そして、ヨーロッパからアメリカへ進出させるために、何人かのアーティストを育成しようと試みたのです。というのも、現代の音楽ビジネスにおいて、あまり専門的な話になりすぎないといいのですが……もしヒット曲だけに頼らないのであれば、テレビを通じてマーケティングを行わなければなりません。何百万人もの人々に届けるためには、インタビューや番組出演をこなし、単にヒットを出す以外の場所でパフォーマンスをする必要があります。しかし、彼らが現実問題として英語を習得していなかったため、彼らをブレイクさせることは困難で、ほぼ不可能でした。

ですから、どこの国出身であれ、優れた才能を見出すという私たちの課題において、「言語が重要な要素になる」ということは理解しておかなければなりません。アメリカでは、他国の言語を熱心に勉強しませんが、これはアメリカにとって途方もない限界だと思っています。一方で隣国同士が接しているヨーロッパでは、お互いにイタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語を学んでいます。日本の若い人たちが、今では6歳という若さで英語を学んでいるそうですが、その言語の壁さえ取り除かれれば、日本のアーティストによる世界的な大成功を目の当たりにする可能性は十分にあります。私はそれを心から楽しみにしています。

本日はお越しいただき、本当にありがとうございました。皆さんの前でお話しできて、本当に嬉しく思います。


▼クライヴ・デイヴィス氏が携わった作品/アーティストをまとめたコンピレーション・アルバム▼

"Clive Davis: The Soundtrack of Our Lives"(2017年リリース)

(編集担当:A)