孤独と、“繋がる”のあいだ
プールで泳ぎながら、孤独と孤立の違いや、人にとっての居場所について、あれこれと思いを漂わせていた。

(画像はイメージです)
私は、孤独を「親友」とか「愛している」とは言えないな。けれど、一人の時間があるからこそ、過去の行いや傷をそっと眺めてみたり、気持ちと思考を整理したりできる。息を吸い、整える時間としては欠かせない。
大人になり「愛している」とか「大好き」と言ったり、言われる場面がある。
それは相手に向けて自身の想いを伝えるという意味と、相手と私との関係性を“繋がる”試みでもあり、営みでもあるんだろうなとふと思う。
その手をどう握ったり離したり、その糸をどう結ぶ解くかは、双方に委ねられているのだけど。
同じ温度や強さで繋がりつづけるということは、難しいのかもしれない。
けれど、双方の温度が馴染んでくることはあるよね。感情もそうだね。
同じようにありたい、と願い、悩むことはけして悪いことではない。
けれど、違うからこそ感じ、想像してチューニングし合うという営みもひとつの愛だと思うよ。
RYOJIさんのこちらの記事で、台湾で制作された短編映画について知る。
観終わった後、いろんな感想が浮かんだ。
そういえば、最近、冗談でない場面で「愛している」と言えていない。
折を見て怪獣に伝えてみよう。
