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音楽あれこれ⑪ 過ぎ去ったものが、静かに触れてくる──Roy Hargrove「Speak Low」

この演奏には、どこか触れてはいけないもののような静けさがある。
音は前に出すぎることなく、消えきることもなく、わずかな余白を残して空気の中にほどけていく。

その余白に、ふとした瞬間、記憶が重なる。
思い出そうとしたわけでもないのに、幼い頃の光や、もう会えない人の気配、遠く離れた場所の空気が、静かに立ち上がってくる。

自分の中にあったものが、そっと浮かび上がってくるようだ。

ハーグローヴの音は、すべてを満たそうとはしない。
フレーズは言い切られず、どこかで手放される。
その“足りなさ”は、不思議と欠落にはならず、むしろ何かを受け入れるためのやわらかな場所をつくっている。

彼が大切にしていた「抽象であるほど理解に近づく」という考え方は、この演奏の中で息づいている。

意味を与えないこと。
決めつけないこと。

その静かな選択によって、音楽は閉じることをやめ、聴く者それぞれの中へと、ゆるやかに開かれていく。

そして、この“開かれ方”は彼自身の演奏の中だけにとどまらない。
ハーグローヴは、当時、自らのバンドや作品の中で、ロバートグラスパーなど、若きミュージシャンに多くの機会を与え続けてきた。

ただ、彼がしていたのは何かを教え込むことではなく、各プレイヤーに裁量を与え、音が生まれる余地を差し出すことだったのではないか。

すべてを決めない。
埋めきらない。

その空間の中で、他のプレイヤーは自分の音を見つけていく。その積み重ねが、やがて音楽の外側へと広がっていく。

私が彼の音を熱心に聴き始めたのは、晩年だったと思う。ほどなくして彼はこの世を去り、その時間の短さに、どこか取り残されたような感覚が残った。

けれど、そのあとで出会ったロバート・グラスパーの音は、不思議なほど自然に身体に馴染んできた。

それは偶然ではなかっただろう。ハーグローヴが残した余白が、別の形で、彼の音楽の中に流れ続けている。

この曲は、ひとつの感情にとどまらない。
あるときは懐かしさとして、あるときは痛みとして、そしてまた別のときには、ただ穏やかに響く。

そのときの自分が、そこに映り込んでいる。

ハーグローヴは、何かが生まれるための余地を、そっと差し出している。

その余地の中で、私たちは過ぎ去った時間に触れ、失われたものを取り戻すことなく、ただ静かに受け止める。

音楽が終わったあとも、触れていた温度のようなものだけが、しばらく残り続ける。

それは言葉にはならない。
けれど確かに、そこに何かがあったという感覚だけが、やさしく、静かに、心の奥へ沈んでいく。


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