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実るほどに頭を垂れると踏まれるので、向日葵のように笑いを高めよう
大阪に生まれると、学校から帰ったあと“吉本新喜劇”でお笑いを学ぶことになる。
子供の中で笑いを取るのは簡単だ。
誰かの失敗や欠点を針小棒大に叫べば良いだけだからだ。
そこにデリカシーは一切なく、面白ければ何を言っても許される空気で充満している。
勢いイジメにも発展する。
そんなお笑い小僧たちは、やがて思春期を迎え唐突にお笑いから卒業する。
お笑いより、スポーツやファッションがモテると気付くからだ。
そして何より、“笑い"は時に人を傷付け、リスクが高いと知るからだ。
実際、昔の同級生に高校や社会人になってから久しぶりに会って驚くことがあった。
思わず「キミ〜、あんなにオモロかったのにどないしてん」と心の中で呟いてしまった。
きっと何かしらの事情でお笑いから降りたのだろう。
そして彼等の大半は、美貌も偏差値もスポーツ実績もない、ただの何も持たざる者に成り下がっていた。
確かにお笑いは難しい。
誰かの言葉尻をトリガーに風刺をしても、俺を馬鹿にしたのかと誤解される。
お笑いは危険。
お笑いはプロの領域。
誰かを笑わすと誰かが傷つく。
「でもお笑いを簡単に棄てるなよな。昔のオマエ格好良かったし、好きやったのに」
横山やすし、島田紳助、松本人志。
最後はお笑いに足を掬われる。
でも、私はお笑いを捨てたくない。その尖りが仮初めの大きさを与えてくれるから。
決して丸くなるな。確かにカドはないけど、その丸は摩耗し過ぎてとても小さい丸だ。
実るほど頭を垂れる稲穂は踏まれるだけ。
私は向日葵のように太陽に向かって尖り続けたい。
seidakun
#お笑い #イジメ #陽キャ #陰キャ #器
