エキタグです。(ブルベですか?ついに近鉄沿線・赤ライン完結!)
エキタグです。
エキタグとは、駅のデジタルスタンプのことです。
おもしろそうだったので、やってみました。
遂に完結です。
眺めておいてください。
帰るなら、いまだ。
だが何故か。勝手に降りてこられた側もご迷惑であろう私の中の藤井隆(またの名をマシュー南氏)が、ナンダカンダと叫んできまして。
《訳:前回、ナンダカンダとありまして。》
帰る方向とは、真逆の。
残りのエキタグを取りに行きます。
そして。取りに行く気のなかったエキタグも。
こうなったら取りに行きます。
やるって決めたら、あとは自然と身体を動かすだけでした。
《訳:やりたいことやるべきですと言われましたので。やってみました。》
今回はだいたいこんな感じです。
黒四角内のいちばん左、布施から、奈良方面へ向かいます。ちなみにとっくに日は暮れております。始発は逃したとはいえ、(顔面のおえかきがたのしくなっちゃって。予定より1時間半の遅刻をしたのが、同じ日だとは思えない。)既にスタートから10時間以上は経過しております。
近鉄沿線反復横跳びヤロウです。

河内小阪です。
司馬遼太郎記念館があるそうです。
既に日は暮れておりますので、しかも雨が降っておりましたので。駅周辺に何があるのかまでは、あまり分かりませんでした。

司馬遼太郎記念館と、
小坂城という建築物があるらしいです。
お城?否、建築物です。
『歴史的な背景の無い城郭風建築物である』
というウィキペディア大明神さまのユーモアに笑いました。
ぱっぱっ、行きます。
『明日』というフレーズを一旦、捨てて
進むべき(帰るべき)方向とは逆方向へ。
こうなったらすきなだけおやりなさい。
いくぞ。世界はそれを何と呼ぶのかは愚問だぞ。
若江岩田です。
自分の中でいちばん覚えにくい駅名です。
漢字の草冠と山冠が、ぱっと見ぃ、路線図上で同じにも見えます。まえだまえだのような。若江さんと岩田さんがコンビを組んだみたいな駅名ですね。
どうやら「若江」という地名と、「岩田」という地名をガッチャンコ。ペン・パイナポー・アポペンしているようです。(何故スマートに「くっつけているようです」と言えない。)
あと、石田(いしだ)と書いて、(いわた)と読む
『石田神社』というところがあるそうです。
戦国時代くらいの頃。生まれていないのであまり詳しくはないのですが。この辺りを畠山さんだったか。北畠さんだったか。某かさんが、シマにしていたそうです。(※シマ…縄張り。龍が如くにハマった事による後遺症です。もっとましな語彙は各々で当てはめてください。)
そこからすったもんだ。畠山さんから…長…長なんとかさんが治めたそうです。この名前に聞き覚えがあって調べたところ、(聞き覚えがあって調べたのであれば、ちゃんとフルネームで載せておきなさいよという真っ当なご指摘は胸の奥に閉まっておいてください。)
茶器は命よりも重いで有名な。
(有名じゃない。有名だけど、そんなカイジの台詞のようなことは言ってない。)
茶釜と共にGo to havenをした
松永(久秀)の、在りし日の上司でした。
三好長…なんとか。ファースト天下人・長さんです。

東花園です。
むっちゃブルベですね。

駅の柱です。ラグビーをする方にとっての聖地です。

瓢箪山駅です。
かわいい駅名ですね。
エキタグのきつねさんが持っているのは、千成り瓢箪かしら。
知ってるお稲荷さんより、
階段が少ないなあと思いました。
(…京都の総本山とは比べないでください。)

元々はこの辺りに古墳があったそうです。その上に秀吉がお稲荷さんを持ってきたとかで。瓢箪山稲荷神社だったかな。なむか、そういうのがあるそうです。
駅前には、あっちこっちに瓢箪のオブジェがあります。交番にも瓢箪のオブジェがあって、もはやひょうたんなのか。交番なのか。分かりません。(…は?)
全国でも珍しいらしく、国道の上に商店街とアーケードがあります。故に朝の7時〜20時くらい迄は、国道だけど、車の進入禁止らしいです。
瓢箪山稲荷神社の、斜め前の道の。ちょっと急な坂をタモリさんが見たら。「◯◯ですねえ」と。きゃっはうふふしそうな。駅周辺が、ブラタモリロードっぽい雰囲気です。見る人が見たら、とってもたのしいエリアだと思いますが、わたくしにはまだよく分かりません。

《お墓ではなく、石碑らしいよ。》
瓢箪山駅のホームにありました。
全国的に知名度があるのかないのかは分かりませんが。楠木正成の、息子のお墓です。石のみです。
駅のホームのアスファルトの下に、人骨があるわけではないらしいです。(ややこしいのでやめていただけませんかという心の声は、ここだけのお話にしておいてください。)近所に、なんとか寺(写真をよく見ると『往生院』と記載してありました。)というのがあって。
そこに眠ってるらしいです。
お墓ではなく石碑だと言われましても、初めて降りた駅で歴史にそこまで興味のない方が見たら、驚くと思うのですが。

息子さんでした。
名前は、楠木正行。
覚え方は、四條畷でヤーヤー・ヤー。ヽ(*´∀`)ノ…つら、ららら。
《パピーは大きい楠木。くすのきJrは、小楠木。》
それは昔。昔と言っても、今回のエキタグを巡る旅では、西暦3桁代を行ったり来たりが長かったので(飛鳥時代・奈良時代をゆる~くおしゃべりすることが多かったので)。それ程 昔でもない、4桁代の1300年頃。(そう。感覚がまひしております。)
鎌倉幕府の終わり頃。
逃げ上手の若君が、間もなく活躍するであろう頃。
御恩と奉公の、
『働いてくれてありがとう。これ、御礼(褒美)の土地だよ。』
と、あげる土地もそろそろなくなってきたなあという頃。
時の尊き方々が、渡る世間は帝ばかりで、もめに揉めておりました。(…急になにがはじまった。)
いづれの帝の御時か、(あなたそれ言いたいだけでしょう。ええ。言いたいだけですとも。)
いつ頃の帝が御在位している時だったか。くっきりはっきり残っておりますので、あえて記すこともありますまい。
次にお統べりあそばされる、主を。
(ふざけてますか、いいえ。これでも学んだことを自分の言葉でおしゃべりするのに、いっしょけんめい )もとい、帝を。どなたに なさるのかで
揉めるものですから、
大覚寺統と持明院統という2つの派閥に、
まだ倒れていない鎌倉幕末の、
(役職がお高いという意味で)偉き御方が、
「もうさぁ、そんなに揉めるなら、
(大覚寺統と持明院統)順番こっこで。
代わる代わる。順番に。帝になりなよ。」
ということで。
一旦話が落ち着きそうだったのに、
「やだー!おで(俺)がなるー!
そしておで(俺)の次は、
おでの息子が帝になるー!
順番こっことか やだあ。」
と。
何とも個性豊かに自己主張をした、全くもって和を以て貴しとなさない帝がおられました。
(…雪丸。出番です。噛みつきなさい。…🐕️?🐾🐾 ※雪丸…聖徳太子のペット)
おまけにその帝、武力をもって
幕府に変わり お統べりあそばされようと。
2回ほど鎌倉幕府に挙兵します。人望と、感謝の気持ちは、生まれるときにお母さまのお腹の中に置いてきたのでしょうか。
さりとて。
一応は鎌倉幕府も、元寇でモンゴルを追い払う程には、武力はありましたので。こちらは、こちらでお強く。
どちらの言い分が正しいとか。
間違っているとかではなく。
人はそれぞれ「正義」があって。
争い合うのは仕方ないのかもしれない。
だけど、ぼくのきらいな「彼」も。
彼なりの理由があると思うんだ、と。
古の頃からのDragon Nightでありまして。書き手は基本的に見切り発車で文章を書いておりまして。
そして帝は、2回とも。
おきれいに…見目麗しく。
平成敗残兵すみれちゃん以上に。負けましてぇ。
帝は惨敗。
だめだ。この帝。れっつ・島流しと。遠くの方へと追いやられるのですが中々におしぶとく。そこだけは見習いたい程に逞しく。いつか自分が都に返り咲くことを、成り上がることを夢見ておりました。
そんなメンタルおチンピラなバイタリティ溢れるアグレッシブがお過ぎる帝にも、味方が現れます。
その味方こそが、先程からお名前が出てきておりますフリーランスの豪族楠木正成さんでした。大きな楠木パパでした。
東西南北で言えば、東の方に位置する小さな島国にはかつて。実際に、『北』と『南』と呼ばれる王朝が存在しておりました。
長い長い時を経て。
正成くんの息子で正行くんの弟でもあるクスノキくん(名前教えてよ※たぶん、まさのり)によって。
又、ぼくの「正義」がきっと
彼を傷付けていたんだねと。ぽつぽつと。
気づき始めた、各々の人により。
当時、生まれた子供が還暦を迎えるくらいまで続いた長い長い戦が、和睦へと向かっていきました。
まあ、生まれておりませんので詳しいことは知りませんけれども。(*´∀`*)
続いての駅はこちら。
枚岡です。
牧岡 ☓ 枚岡◯です。
なむか、この駅めっちゃ こわかったです。
夜だからだと思います。
余裕があったら、次の駅の額田で降りたかったのですが。額田にはエキタグはないのですが、ただなんとなく。額田王と何か関係があるのかなあと気になっただけです。寒かったのと、もう遅い時間なのでやめました。
(※額田王とは、万葉集のアイドルです。和泉式部と対談をしたら、話が合いそうだなあと個人的に思っているだけです。)




なむか、紀元前の頃からある、
ロング・ロング・アゴー&ロング・ヒット・パワースポットな。知る人ぞ知る、神社っぽいです。
待合室の子どもの写真がとりあえずこわかったです。
アマテラスさんのお孫さん(?)と言われている方(名前忘れた、かみさん)と。
天岩戸の時、アマテラスさんを出そうと 岩の前でお祭りをしようぜと言ったなんとかさん(こちらもかみさん。)が、祭られているそうです。ロックフェスの主催者ですね。
石切さんの神社でも思ったのですが。
近鉄沿線にある神社の鳥居に張り巡らされている綱が、独特の締め方をしているなあと思いました。
なむか、お社の建て方というか、建築様式が
出雲っぽかったり。
枚岡神社の、番地のさいごに「出雲」と入っていたり。
北野天満宮の牛なでなでみたいな。鹿なでなでがあったり。菊の紋があるということは、宮内庁が管轄なのかなあとか思ったり。参道が所々、芦ノ湖の九頭龍神社に似ているなぁとか思ったり。
いろいろ不思議だなあと、思いました。
あと、やたらと所々で手塚治虫の火の鳥がぼやっと浮かびました。何巻のこのシーンとかそういう事ではなくて。ぼやっと。あれっと。不思議だなあと思いました。
石切です。
生活指導の先生がいる場所です。
もとい、石切神社の阿行と吽形が少し変わっておりまして。どちらかが剱を、どちらかが矢を持っております。矢を持っている方が、なんとなく。生活指導の先生に見えます。(※意見には個人差があります。)

長いよお。
寒いよお。
暗いよおお。
ここから一気に大和西大寺に向かいます。

本日、3回目の大和西大寺です。
ちなみに大和西大寺のお手洗いはとてもきれいです。
なむか見付けました。
アリサさんです。

さて。問題です。
ここからわたくしはどこへ行くでしょう。
答えは。

着きました。
新田辺です。
新田辺は、一休さんのお寺がある所です。
一休さんはアニメにあるように、帝のお子さんですが、お母さまが一休さんが5歳の頃に仏門に入れます。故に、お寺には菊の紋があり、現在でも宮内庁の管轄だそうです。

寒いよおお。
お腹減ったよお。
ここで何を思ったのか。
一瞬 間違えて再び奈良方面へ戻りそうになりました。(鉄道系youtuberの)西園寺さんの長万部駅での終電を逃して、途方に暮れた『西園寺の長万部』として語り継がれる動画が一瞬頭に過ぎり、本気で帰れないところだったと、かなり焦りました。
22時を過ぎていたので。準急に乗ろうが各駅に乗ろうが、次に来た電車が先に京都に着くという感じでした。
着きました。
エキタグ、近鉄沿線。ラストはこちら。
京都です。




雨上がりで更に寒く。アスファルトも濡れておりました。ライトアップされた京都タワーをおそらくほぼ初めてくらいで眺めました。眺めている場合ではありません。ここから。歩きます。『右足と左足を交互に前に出せば、いつか辿り着きます。』西園寺節です。心から、我、われに思ふ(あほだな)と。あほはあほでも、動かざるあほより動くあほになってみるのもわるくはないなあと思いました。


ちなみに。奈良のお土産です。自分用です。
食べてしまった後なのですが、この写真の右のやつが美味しかったので是非。お餅の中にあんこが入ってて、自分用で・少量で良くて、ちょこっとだけお土産がほしいという方におすすめです。抹茶以外にも何種類かありました。カップに4個くらい入っております。
左側は豆菓子でした。

おわり\(^o^)/
最後までお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。
そしてこんなすてきな冒険のきっかけをくれた鉄道系youtuberの西園寺さんとZAKIさんにも感謝したいと思います。
またあそぼうねえ〜ヽ(*´∀`)ノ♪
前回はこちら。

(前回モノレール編では翌日筋肉痛になったので。)

