見出し画像

本当の自由ってなんだ?って話(自由に関する考察)


 

「自由」という言葉ほど、困る言葉はない。

 のような気がしませんか?


 自由にしていいよ。
 と、言われると困ってしまう、そんな私なのです。

 多分、それほど自由を求めてないのかもしれません。


 かの尾崎豊さんは、「Scrambling Rock’roll」の中で、

 自由っていったいなんだーい!

 どうすりゃ自由になるかーい

 自由っていったいなんだーい!

 君は思う様に生きて いるか~ぃ


 と、叫んだりしてるのですが、

 ほんと、自由って何だーい!... なのです。

画像1


 

 そもそも「自由」って言葉自体は、昔からあるものらしいのですが、江戸末期に英語の「Freedom」や「Liberty」の訳語としてあてられたものです。

 なので、「自由」には旧来の意味と、「Freedom」や「Liberty」を表す意味があるんだろうと思います。


 福沢諭吉が、慶応2年(大政奉還の前年ですねw)に著した『西洋事情』では、こんな一文があります。

「本文、自主任意、自由の字は、我儘放蕩にて国法も恐れずの義にあらず。総て其国に居り人と交て気兼ね遠慮なく自力丈け存分のことをなすべしとの趣意なり。英語に之を「フリードム」又は「リベルチ」と云ふ。未だ的当の訳字あらず」

 諭吉は、「Freedom」や「Liberty」の訳語としてあてられた「自由」について、”未だ的当の訳字あらず”としながらも、訳語としての「自由」について、旧来の「自由」との違いを述べています。

”自由の字は、我儘放蕩にて国法も恐れずの義にあらず。”

 なるほど、「我がままし放題」が「自由」ってことではないんですね。

 そこは納得です。


 そもそも、日本では、「思想・良心の自由」や「表現の自由」みたいに、憲によって規定されてる「自由」もあって、大きな枠の中での「自由」が保証されているので、「我がままし放題」っていうのは「自由」じゃないですよね。


 じゃあ、「自由」って?

 字面から言えば、”自分が由し”とすることなんで、自らが決めていくってことなのかな... 
 「我がままし放題」ではないけど、自分の事は自分で決めていけること

 それが「自由」ってことなのかもしれませんね。


 ここで、冒頭の話にもどるのですが

 自由にしていいよ。
 と、言われると困ってしまう自分は、自分で決めることをさけてるのかもしれません。

 「自由」ってのは、自分の中にある言葉なのでしょう。


 時々、「自由」になりたいって言ってる人を見ると、今、この国に生きていて、さらに自由を求めるって、何言ってるんだろうという気持ちもあったのですが、この国に生きてるからこそ、「自由」を大切にしなくてはと思ってるのです。