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平野真美作『蘇生するユニコーン』を観て

東京藝術大学博士審査展にて

『蘇生するユニコーン』

筆者は普段、エンタメ作品のライティングを専門としていて、美術評論などをするライターではない。しかし、幻想や架空、虚構の中に生きる動物を愛する者として、今回の東京藝術大学博士審査展に足を運ばなければならないと思いたった。それは、平野真美さんの作品『蘇生するユニコーン』と『ランド・ストランディング』が展示されているからだ。

平野真美作『蘇生するユニコーン』

『蘇生するユニコーン』は予てより気になっていた作品で、存在しないユニコーンという生物を掘り下げ、その骨格や臓器、筋肉の付き方まで研究し、現代に蘇らせるという作品だ。展示されていた仔馬ほどのユニコーンは生命維持装置に繋がれ、機械音を立てながらも辛うじて生きている――そう感じさせるものだった。もう科学の発展した現実世界では、幻想の世界の生き物は生きられないのだろうか。そんな考えにも浸れるのが『蘇生するユニコーン』だ。

平野真美作『蘇生するユニコーン』

今回の東京藝術大学博士審査展で展示されていたユニコーンは2体目とのことで、平野真美さんは再制作したことを新陳代謝と呼んでいた。2014年からはじまったこのライフワークとも言うべき、命の表現は、平野真美さんの考える活き活きとした様子だけではなく、死に際の僅かな呼吸の様子も生命の不思議さを物語るものではないかという思想を形にしている。

生命維持装置と制作に用いられた道具たち

頭蓋骨をはじめ、肝臓や肺、腎臓など臓器も展示されていた。幻想の世界の動物を蘇らせる上で、平野真美さんは実際の動物の解剖や寺院などに残っている解剖学の歴史を調べたとのことだ。実在の動物と地続きな要素が、幻想世界とのグラデーションを生み、私たちの世界でユニコーンがゆっくりと死に向っている姿を表現している。手のひらから、夢や幻といったものが零れ落ちているような感覚になったのは筆者だけだろうか。

3体目の『蘇生するユニコーン』のための設計図と頭蓋骨
肝臓など臓器もつくられた
肺や腎臓を観て、これが生命維持装置につながれ、腹を上下させ、血を循環させているのかと物思いにふけった。

また、平野真美さんの代表作のひとつが自身の飼い犬の闘病中の様子を模した『保存と再現』だ。そこでも命とは何かを問いかけていた平野真美さんだが、『蘇生するユニコーン』に関しては、その瞳に答えがあるような気がした。生命維持装置に繋がれ、ようやく呼吸が出来ているユニコーンの瞳は吸い込まれるような何かがあり、命の灯火がゆっくりと燃えている様子が感じられた。これは消えゆくものなのか、それとも今燃え上がっているものなのか。それを考えるのも、『蘇生するユニコーン』の問いかけではないだろうか。

平野真美作『蘇生するユニコーン』

『ランド・ストランディング』

『蘇生するユニコーン』が生きることを表しているのならば、それと対になるように死にゆく様を表しているのが3体の合成獣からなる『ランド・ストランディング』だ。『ランド・ストランディング』は地面を意味するLandと座礁を意味するStrandedを組み合わせた造語だ。山羊や子羊を思わせる合成獣たちは現実世界で生きられなかったのか、朽ちていっている。

平野真美作『ランド・ストランディング』
平野真美作『ランド・ストランディング』
平野真美作『ランド・ストランディング』

幻想世界と現実世界がグラデーションのように変化していく様子を、ユニコーンになることができなかった合成獣が死にゆく姿で表現したのは非常に興味深かった。現実世界に流れ着くも、本来の生息地ではない、理想を失ったこの世界では生きていけなかったのだろうか。平野真美さんが『ランド・ストランディング』の3体の合成獣を迫害の象徴、彷徨う私たちの鏡と表現したのには惹かれた。芸術は面白い。久しぶりにそう思える作品だった。

『蘇生するユニコーン』もそうだったが、『ランド・ストランディング』も成獣ではないように思える。生まれたての子羊や子山羊を参考にしたのだろう合成獣たちは、若々しい命や理想が迫害され、現実では生きられずに消えていく様子を思い起こさせる。しかし、その最後の炎は輝き、朽ちていく亡骸は次の世代を育んでいくのではないだろうか。筆者としては、理想郷ではない現実でいきるものとして、命で未来を明るく照らせるかどうかの問いかけがあるようにも感じた。

誕生と死亡

つながる一つの輪

平野真美さんは『蘇生するユニコーン』と『ランド・ストランディング』を通して、生命の神秘は活き活きとした姿だけではなく、死にゆく生き物の呼吸にもあるとした。それを作品で観たとき、筆者は大学時代に「生まれることと死ぬことは同義である」と大学の講師から聞いたのを思い出した。私たちは現実世界、この世に赤ん坊として生を受ける。そして、人それぞれではあるが、多くの人々が歳を取って死んでいく。この2つは並列のものという考え方だ。

誕生はこの世への入り口であり、あの世からの出口
死亡はあの世への入り口であり、この世からの出口

画像で表現してみるとわかりやすいかもしれない。誕生するということはこの世ではないどこかから、この世に出てくることを意味する。それに対して死亡するということはこの世から、別の場所に出ていくことを意味する。つまり、両方ともこの世とあの世をつなぐ出入り口を通過することでしかないのだ。そのため、誕生と死亡は近い存在と言える。

昔は子どもはある程度の年齢になるまでは神のものとされ、幼くして亡くなることは神のもとへと帰るだけと評した。そして、一定以上歳を重ねた人物は長老など尊敬を集めるような立場となる。赤ん坊と老人、どちらも神秘性を持っている。古くから、人類は生と死を近いものとして考えていたと、その講師は筆者に教えてくれた。

去りゆくユニコーンたち

『蘇生するユニコーン』と『ランド・ストランディング』は、この世に幼い姿で現れた幻想生物であるが、この現実世界に迫害されて死という形であの世に去っていく。その過程を人間が延命させ、理想が自分たちのもとから去らないでくれないかと懇願するのを表現しているのではないか。筆者はそう感じた。人間は理想郷を追って必死になるが、その方法は生命維持装置に幻想の世界の動物を繋ぎ、機械で何とか生きながらえさせるしかない。

今にも瞑りそうな『蘇生するユニコーン』の瞼は、ユニコーンがそのまま永遠の眠りにつき、私たちは二度と夢や幻と出会えなくなるような不安感を抱かせる。眠らないでほしいという思いが、腹を切り開き、透析で血液を循環させ、肺を無理矢理上下させることに繋がっている。あのチューブの一本に通るものはユニコーンの血や空気だけではない。現実世界から失われていく夢ではないかと感じた。

しかし、『蘇生するユニコーン』の制作過程で生まれた『ランド・ストランディング』は既に半分朽ちている。もう合成獣たちはこの世から去っていく最中にあり、幻想の世界は失われつつあるのだ。だが、前述の通り、誕生と死亡は表裏一体のものである。そのため、私たち人間は朽ちていく合成獣たちに命の輝きを見出すことができ、去っていく最後の姿に幻想の世界を見ることができるのかもしれない。

実写版『ヒックとドラゴン』で観た幻想生物への情熱

皮膚を下を創り上げたクリエイターの想い

話は少し逸れるが、幻想世界の生物をこの世に蘇らせるための情熱について語ろう。2025年に公開された実写版『ヒックとドラゴン』では、Framestoreのアニメーターたちがナイト・フューリーのトゥースをはじめとしたドラゴンたちを生態から練り上げっていった。その際、彼らは骨格に始まり、腱、筋肉、脂肪の付き方まで計算し、その上に皮膚を貼り付けて鱗生やしていった。

アニメ版「ヒックとドラゴン」シリーズを実写版にすることで、幻想世界の生物を現実にいると観客に思わせるためにアニメーターたちは、比喩的とはいえ、トゥースの皮膚を剥ぐところから制作を始めた。そう、グレン・マッキントッシュたちアニメーターたちは「ドラゴンに期待しているファンを失望させない」ように医学・解剖学の視点から制作を開始したのだ。

幻想世界という理想郷がその手から零れ落ちていかないように、骨を組み立て、腱を張り、筋肉と脂肪を被せた。それによって生命の神秘が映像の世界で再現された。平野真美さんの『蘇生するユニコーン』は死にゆく姿に生命の息吹を感じさせた。それに対して、実写版『ヒックとドラゴン』では動き回る姿に生命の息吹を感じさせたのだ。両者は対極に位置するようで、同じものである。

これは前述の通り、誕生と死が同じあの世とこの世の出入り口を行き来していることに似ている。生命の絶頂にある空飛ぶドラゴンを表現することは、朽ちていく合成獣を表現することに近いのだと考えられる。『ランド・ストランディング』での亡骸の表現が、トゥースの姿を創り上げることと同じ要素があると筆者は感じた。

幻想生物を“すくいあげる”ということ

これまで数多くの芸術家やクリエイターたちが、この汚れた世界から去ってしまった幻想世界の生物たちを呼び戻そうと苦心してきた。その中で、平野真美さんの出した答えの一つが、延命治療でこの世にわずかに残ったユニコーンの命が手のひらから零れ落ちないように掬い上げることだった。

ディーン・デュボア監督やグレン・マッキントッシュたちは映像作品である実写版『ヒックとドラゴン』という新しい世界を創り上げることで、現実から去ってしまった幻想生物のドラゴンたちを救い上げた。生命の表現こそ違うが、生と死を通して幻想世界の生物たちをこの世に連れ戻そうとした。

これは「ハリー・ポッター」シリーズのスピンオフ作品である「ファンタスティック・ビースト」シリーズでの見られた演出手法で、そちらではニフラーという魔法生物を産み出す際、骨格から計算して筋肉、皮膚、体毛を被せている。解剖学という“死を分解”する知識が、幻想世界の生物に活力を与えているのだ。

彼らの情熱がある限り、どんなにこの世界から迫害されても、座礁したとしても、幻想世界の生物たちが帰ってくる場所は無くならないことだろう。そのためには、命について考えなければならない。幻想世界という架空や虚構の世界の生物を考える上で、私たちは現実の世界の生物を考えなければならないのだ。

命について考え続ける。この姿勢を捨てないことを『蘇生するユニコーン』と『ランド・ストランディング』、実写版『ヒックとドラゴン』などの作品たちは問いかけていると感じた。私たちは、常に考え続けなければならないのだ。それが、幻想世界や理想郷と現実世界を繋ぐ唯一の術だと痛感した。

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