未熟な少年から「大人のヒーロー」へ。孤独な4年間とピーターが貫く「優しさ」 『スパイダーマン:ブランド・ニュー_デイ』感想
※本記事には映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』および『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレが含まれますでご注意ください。
全人類の記憶から自分の存在が消え去った、衝撃のラストから続く映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』。
そこで描かれたピーター・パーカーの姿は、これまで私たちが見てきた「少しお気楽でトラブルメーカー」からは大きく一変していました。
最愛のメイおばさんを失い、親友のネッドや恋人のMJの記憶からも消え、文字通り世界でたった一人きりになったピーター。本作は、彼が孤独の中で戦い続けた「空白の4年間」を経て、ヒーローとしての成長を描くと共に、ヒーローになったが故の寂しさ、そして、そこから進む新たな一歩を描く作品となっていました。
かつての「未熟さ」と、自発的なトラブルを起こさない成長
『ホームカミング』から始まったMCU版スパイダーマンを振り返ってみると、これまでのピーターはその「未熟さ」が常にどこかに漂うヒーローだったように思えます。ヒーローとしての強い正義感や優しさを持ちながらも、若さゆえの焦りや選択の誤りから大きなトラブルを引き起こし、最終的にはアベンジャーズやストレンジといった周囲の大人たちの助けを借りて解決する姿が強く印象に残っていました。
しかし、本作『ブランド・ニュー・デイ』で描かれたピーターの戦いぶりは、これまでとは明らかに異なっていました。
皆の記憶から消えてからの約4年間、彼は誰に頼ることもなく、たった一人でニューヨークの平和を守り続けてきました。スコーピオンやヤミノテといった凶悪な脅威と交戦し、主要な犯罪組織を撲滅していく中で、かつてのような失敗やトラブルメイクは影を潜めています。スパイダーマンらしい、軽い態度は見せつつも、自らの選択と行動で責任を全うする彼の姿には、一人立派に自立した『大人のヒーロー』としての風格が漂っていました。
世間の「冷たい視線」から「愛されるヒーロー」への逆転
この4年間の積み重ねが最も胸を打つ形で結実するのが、物語終盤の描写です。
前作『ノー・ウェイ・ホーム』において、スパイダーマンはミステリオの策謀やストレンジの魔術の件も重なり、世間やメディアから激しい賛否と疑惑の目を向けられていました。ヒーローでありながら街から追われるような苦しみを味わっていた彼です。
しかし、今作で負傷し入院したスパイダーマンのもとに届けられたのは、街の子供たちや住民からの無数の「お見舞いの絵」や、彼の無事を祈る人々の温かい姿でした。
「誰からも名前を忘れられ、存在を消されてもなお、街を守り続けた」 その孤独な4年間で彼が積み上げてきたものは、決して無駄ではなかった、それを実感させる展開。
名誉も承認も求めず、ただ純粋に街と人々を守り続けた結果、スパイダーマンは名実ともに「ニューヨーク市民から真に愛されるヒーロー」へと返り咲いたのです。かつての過酷な境遇を見てきたものとして、この変化は胸を撃つ展開でした。
「ピーター・パーカー」を取り戻す一歩
さらに映画のラスト、自分と似た境遇のジーンとの交流や、フランク(パニッシャー)たち、そして、記憶を失ってなお、かつてのように触れ合えたネッド達のとの久々の交流を通じて、ピーターは「スパイダーマンという孤独な存在」として閉ざさざる負えなかった心を少しずつ開き始めます。
蜘蛛の力の暴走という、一歩間違えればヴィランになってしまってもおかしくはない状況の中、スパイダーマンとピーター、そのどちらも自分であると受け入れ、戦いに臨んだ彼。
特に印象に残ったのは、その力でパイプに刺さりそうな敵すらも救った一瞬。ノーウェイ・ホームで、数多のヴィラン達を救うという優しい選択の結果、悲惨な結末を迎えてしまったピーターが、今、改めて優しい選択を守り通せる力を手にしたことを示しているようにも見えたシーンでした。
マスクの下にある「ピーター・パーカー」としての自分をも受け入れ、再び人と人との繋がりを紡いでいこうとする彼の姿は、長く暗いトンネルを抜けたような爽やかなもの。
過酷な孤独を乗り越え、強さと優しさを兼ね備えた大人へと成長を遂げたピーター・パーカー。彼のこれからの活躍が楽しみになる映画でした。
▼ ネッドの記憶やラストシーンまで含めた感想はこちら!
私の運営する、ブログ「人鳥日記」では、ラストシーンでネッドの記憶が戻ったのかについての考察や、パニッシャーとの「スタテン島での貸し」についての話などもまとめています。

