CPCCに落ちた不甲斐ない話
ショックと悲しみと無から少し立ち直って、ちょっとだけ言葉にしてみる力が湧いてきたので、言葉にしておこうとnoteしている彫金作家でコーチのぐっちです。
書くのが辛い。ほんとだったら、もっとカッコいいこと書きたいし、成功している話を書きたい。今日は、”2年間の素晴らしい道のりの完了を書くつもりでいた日”だった。それがまさか、こんなことになるとは思ってなかったけど、それも自分のために残しておきたい。自分の気持ちはすぐに忘れるし、変わってしまう。忘れないためにも、この貴重な悲しい気持ちは文字にしておきたい。でも落ちたなんて書くの、みっともないなという葛藤と、もしこれが誰かに何かが起こるならば、それもまた“コーチとしての使命”だ、と恥ずかしさを蹴散らして奮い立たせて書いてみたい。
“CPCCの試験に落ちた”
私がこれだ!と思って二年前から学び始めたCTIコーアクティブコーチングの認定試験CPCCという資格。国家資格ではないけれど、コーチングをするものにとって、なかなか取れない認定試験だと思っている。私自身はコーチングをする上で、とても価値がある資格だと思っている。
生後4ヶ月の子どもを抱いて、2020年の8月から取り組んできた。ものすごく、ものすごく勉強してきたと思う。自分で有償クライアントを探してきて、試験までに130時間近くセッションした。課題は全て全力で取り組んだし、講座の音声は文字に起こして、読み返したり、大事なところに線をひいたり、シャドーコーチングをもした。デモコーチングの音声(見本セッションのようなもの)は、ほぼ毎日、夕食を作る時と洗い物をするときに聞いて、寝かしつけするときは、他のプロコーチのラジオを聞いたりした。仲間同士の練習会も20回以上参加したし、自分自身で10回以上企画した。学びを深めてきたつもりだった。できうる限りのことをやって、臨んでだつもりだった試験に、落ちた。
そのまんま率直な気持ちはどうか
いま、どんな気持ち?と聞かれると、もうよくわからない。何が悪かったのか、何ができなかったのか、何が足りなくてこういう結果になってしまったのか。ずっとぐるぐるしている。「できている」と思っていたし、「体に染み込んでいる」と思っていた。コース途中のファカルティ(講師のような役割の人)からのフィードバックは決して悪くなかったし、むしろよくできていると言われていた。仲間からもぐっちのコーチングはいいね!とか、すごく深いところまでよくできているとか言われていた。
筆記試験も一発でパスしたし、途中の理解チェックもなんなくクリアした。ここに来るまでも、何度かスランプがあって、辛い壁があって、それも飲み込んで大きくなったつもりだった。何より、家事と育児の合間に時間をとって、自分で言うのもなんだけど、めっちゃくちゃ頑張った。もうこれ以上、何をやったらいいだよ!っていうぐらい、やった!つもりだった。
何をやればいいんだよ!何がたりないんだよ!
しつこいけど、ここまですごく「努力した」と自負している。正直、もうしっかり体得しているから、私から出てくるものは、ちゃんとコーアクティブコーチングなんだ!ぐらいの気持ちがあった。血と汗が、コーアクティブコーチングでできているから、そんな私から発せられるコーチングは、コーアクティブコーチングなんだ!ぐらい思っていた・・・。
そして、そんな気持ちで臨んだ試験は、不合格だった。
奢りがあったのかもしれないなぁ
不合格通知を突きつけられて3時間。正直まだ全然受け入れられない。ちーとも受け入れられない。悲しいし、悔しいし、「まだダメ!足りない!まだ仲間には入れられないよ」なんて言われているような気もするし、もっと修行してこいよ!と撥ね付けられた心境だ。でも、このショックな環境の中、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、なにかを見出すとするならば、
「わたし、奢りがあったのかなぁ・・・」
「できてるって、舐めてたのかな」
「これから出会う誰かに、この経験をが役に立つのかな」
「CPCCが取れたときに、とても大事にするように試練なのかな」
そんなことをほんのちょっとだけ考えている。ほんのちょっとだけ。
一発で合格したかったし、ここからまた試験対策をするのも正直苦しいし、今まで携わって応援してくださった方々に、「実は落ちたんです・・・」と言って、「そうか・・・辛かったですね、でもこの経験は学びになりますよ」と言われて、「そうですね。ここから何か学びを得ますね」という会話を繰り返すのも正直辛い。
一つ学んだことは、本当に落ち込んだときに、「この経験はあなたにとって学びになりますね」という言葉は、とても思いやりに溢れた素敵な言葉だけど、案外ツライということ。優しいし、思いやりに溢れた言葉だからこそ、落ち込んだときは辛いということ。じゃあどんな言葉があるのか、どんな関わりができるのがいいのかもわからないけれど、なんでも当事者にならないとわからないなーってこと。
めちゃくちゃ頑張ったといえる試験に落ちた3時間後の私が言えることは、「一生懸命頑張ったことに不合格になったことを体感しているので、同じような経験を持った人に思いっきり共にいることができるぞ」ということぐらい。いまのところ、それぐらいのよかったことしか見当たらないけど、まあきっと「この経験は私にとって何かの学びになりますね」だ。いつかそれも言えるようになるかな。今は到底無理だけど。
こっからどうするのか、わたし!
あぁーまさか、不合格になるなんて。
受け入れ難い。悲しい。辛い。逃げ出したい。諦めたい。
このまま終わりにしてしまいたい。
そんな感情が10のうち、8ぐらいなんだけど、残りの2の前を向く気持ちを奮い立たせて、こんな恥ずかしいことを書いている。コーチとして優秀で、すごいスキルを持っていて、一発で試験に合格しちゃうような姿でありたいな、と思っていたけれど、受かってないのに「受かりました〜」と書くこともできないし、そのままそっとスルーすることもできないので、みっともない、失敗した姿をそのまんま書いてみた。
後ほど、試験をしてくださった試験官から愛あるフィードバックがある。きっとそこを経て、今の10のうち8の負の感情の割合は変わるだろう。でも、今は、とにかくこんな気持ちだ。すんなり合格できなかったけれど、私が「育児をしながら自分の夢や目標を実現したい人」にコーチングをしたいことは変わらない。そう。それは変わらない。合格はしなかったけど、私の中身は、昨日と今日は変わらない。むしろ、痛みを知って優しくなったぞ!
試験にはダメだと言われたけど、娘は待ってたよ!と言ってくれる
世の中のお母さん、人生うまくいかないもんですね!不合格通知を受け取ったどん底の30分後に、慣らし保育で初めて15時まで頑張った娘を迎えに行った。マスクで顔が隠れていて本当によかった・・・と思いながら。そこで、先生にしがみついて、私の顔をみたら、ママ〜と泣きながら寄ってきてくれた娘を見て救われた。あぁ、少なくとも私はこの子には必要とされてる。全力でYES!と言ってくれている存在がある。かなり救われた。
もうちょっと。諦めずに頑張ってみよう。もう一回、立ち上がってみ・・・よう・・・今、わたし、そんなところ。みっともないけど、そんなところ。
チックショー!

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