もう一つの『私の孤独な日曜日』
こちらの本を読んで、「私は孤独を愛しているのかもしれない」と思えたので、「孤独」についてもう少し書いてみようかなと思いました。
「孤独」というのは、きっと誰の中にもあるもので、それは、独りでいても、誰かといても、消えてなくなりはしないもので、独りでいる時に強く感じるのか、誰かといる時に強く感じるのか、それが人によって違うのかなと思います。
私はおそらく「孤独」であることを愛していて、人より「孤独」であることに耐性があり、「孤独」であることに「恥」や「外聞」や「体裁」などを気にしない性質を持っているのだと思います。
きっと「孤独」を楽しむ才能があるのかもしれないです。私が持っている才能ってこれかもしれない…と今気づきました。
以前、姉に「あんなところで独りでいてどうしたのかと思った」と言われたことがあります。
姉夫婦が入った飲食店に、私に似た人が独りで食事をしていたそうで、それを見て上記のことを思ったそうです。
それを言われた時は、「今日はそこ行ってないよ〜ははは〜」と流しましたが、確かにそこに独りでいることもあるな〜なんて思ってました。でも、「どうしたのかと思った」と思われるほど「どうもしない」し、それは私にとって「普通」のことでした。そんな風に「独り」でいることばかりです。「独りでいること」は「友だちと過ごすこと」と同じくらい私には「普通なこと」なのです。
小学生の頃、独りで本屋さんにいることは日常茶飯事だったし、中学生の頃、独りで隣の大きな街の音楽会に独りで行くことも普通にできた。高校生の頃、独りで服を買いに行くことや飲食店に入ることが増えた。一人カラオケにも行くし、映画は一人がいいし、テーマパークにも行くし、旅行だって行ける。そんな風に独りで楽しめることが増えていにました。
でも、なんでかなって考えてみました。
小学校高学年か中学生か、友だちや家族や他人との間に「どうしようもない分かり合えなさ」があることを知って、それがとても寂しくて、その寂しさと上手く付き合う方法を試行錯誤していたら、いつの間にか「『独り』を楽しめるようになっていた」のだと思います。
高校生の頃、友だちに「あなたは独りでも大丈夫そう」と言われたことがあります。その頃はまだ「寂しさ」と葛藤していた頃でもあったので、「そんなわけない」と思いながらも「そうかもしれない〜」なんて笑って返しておりました。今は、「なんやかんやあの子の言うとおりだったな〜」なんて思っております。
独りでいることは「何かあったのかも」と思わせるのかもしれないですし、「寂しそう」に見えるのかもしれないですし、「映えない」のかもしれないです。
でも、特別に何かあるわけではないし、そこにいること、それをすることを全力で楽しんでいるし、自分の中ではめちゃくちゃ映えている休日を過ごしている。
そんな『私の孤独な日曜日』もあるよ、と思ったりもしたのです。
あともう一つ、本の中には「月曜日が来ることに絶望」している人が何人か登場しますが、私も以前は「月曜日」や「休み明け」、というか「休日以外」=「仕事の日」に絶望する人でした。でも今は「月曜日が来ること」に絶望していないことにも気づきました。「仕事が好き」「好きな仕事をしている」というわけではないです。寧ろその逆。
だけど、休日も仕事の日も全部が「人生の時間」で、「『人生の時間』の中に『好きと思える時間』をどれだけ増やせるか」ということを意識するようになってから、「仕事」も「好きを増やすための時間」と考えられるようになって、それから月曜日が来ることを意識しなくなったかもしれません。
全てが地続き。
本当は「仕事の時間」も「好きの時間」に変えられたらいいのでしょうけれど。それを見つけることが私にとっては至難の業。今はこれが最善だと思っています。
そんな風に365日生きています。
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