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自我と真我の間で

いったい何のために生きているのか、この思いを明確にすること。

それが、人生の分岐点となることでしょう。

生きるために生きるのか、それとも命を輝かせて生きるのか、その違いを明らかにすることで、自我と真我で生きる道を選択することとなります。

ちなみに自我とは、思考が生み出す自分であり、真我とは魂と一致した自分です。

自我は、常に安心安全の道を歩もうとするものです。

だからこそ、無事に生きることを選択するようになっています。

しかし、生きるために生きると、生きるのがつまらなくなっていくものです。

なぜなら、安心安全の道には、心が躍るようなこと生まれることがないからです。

つまらないということはマンネリを感じるということであり、マンネリを感じているとそれがストレスとなっていきます。

その一方で、毎日しても飽きずに喜びを感じる、そういったことをしていると生きることが楽しくなって意欲的になり、ストレスを感じることもなくなっていくものです。

生きることが楽しく意欲的になれる。

これが真の自分で生きるということになります。

理想の自分を思い描いたとき、誰もがそんな自分を想像することでしょう。

だからこそ、こういった状態になれるということは、非常に尊いことであるのです。

「つまらない」という言葉には「値打ちがない」という意味があるのに対し、「尊い」という言葉には「価値がある」という意味があります。

つまり、楽しさを感じながら自分の命を輝かせられるようになることは、とても尊く価値があることなのです。

命を輝かせるというと大げさな感じもしますが、意欲的になれるということは、命を有効活用できているという実感であり、こうした実感を得られるだけで命が輝き出すのは当然のことなのです。

そして、命を輝かせて生きられるようになると、真の自分である真我で生きられるようになります。

真の自分で生きるには、シンプルに楽しさを感じられることをしていくことが近道なのだと考えます。

とはいえ、今の社会はこうした思いを遮るシステムが構築されています。

お金がないと生きていけないという集合意識が、我々の固定概念となっています。

誰もが自分の好きなことをして命を輝かせたいと思っているのにも関わらず、それを阻むシステムが長い年月をかけて構築され、それが大きな壁となっています。

個人的なことでいうと、僕がやりたいと思うことは、そのほとんどが周囲からの反対を受けることばかりでした。

そんなことでは金にならない、生活していけない。

そういったことをさんざんいわれながら育ち、しかも僕自身にもそれをする勇気を持つことができずに、結果として楽しさを感じられないことをすることとなり、日々、マンネリを感じながら生きる歳月を重ねてきてしました。

マンネリを感じながらつまらないという思いを持って生きていると、自分に値打ちがないと感じるようになり、やがて自分を卑下するようになっていくものです。

自分を卑下する思いは、ネガティブなことばかりを考えることで生まれるものであり自我を肥大させていきます。

自我を英語に言い換えるとエゴになります。

エゴは悲観的な思い、否定的な思いによって、負の自分を拡大させていくものです。

自信がなく悲観的であるのにも関わらず、批判的、攻撃的な自己中心的な自分になってしまうと、日常で起こる出来事が悪いことばかりになっていきます。

原因と結果は直結します。

物事を批判的に見ていれば、批判したくなるような出来事が次々と起こってくのは当然のことです。

一度、こうしたループにはまってしまうと、そこから抜け出すことが大変になり、どうすれば現状を打破できるのかさえも分からなくなり、自暴自棄になっていきます。

心の中では何か夢中になれることをしたいと思っているのに、したいことが見つからない、見つかったとしてもそれで生活していくことは難しい、そんな矛盾する思いの間で右往左往する日々が、毎日繰り返されていきます。

そういった思いで過ごしていると、やがて免疫力が落ちていき体調を崩すこととなり、それをきっかけに人生の軌道修正をすることなります。

いったい自分は何のために生きているか、そういったことを問い直さなければならなくなっていきます。

今までのような生き方ではもう限界だ。

生き方を変えなければならない。

あとは、やりたいと思うことをやっていくしかない。

そういった思いを胸に、勇気を最大限に振り絞って夢中になれることをすると決意するのです。

自我と真我、どちらで生きた方がいいかといえば、当然、真我の方です。

なぜなら、真我で生きれば魂と自分を一致させることができるようになるからです。

真我で生きれば人生を上向きになっていくのは当然のことです。

しかし、そこに向かっていくには勇気がいります。

長年蓄積してきた情報によって築かれた自我の思いが恐れを抱くからです。

真我で生きるということは、この命を喜ばせて生きるということであり、自分を満足させていきれば、人生の流れがよくなっていくのは自然なことです。

しかし、そこに向かっていくには自我を振り切る勇気が必要になってきます。

自我が生み出す思考は、この体を持った自分を生き延びさせようとすることです。

しかし、自分を生き延びさせようとするだけでは、楽しさや喜びを感じられず、意欲的になることもできず、結果として、そのストレスによって免疫力を下げることとなり、自身の寿命を短くさせてしまうことでしょう。

だからこそ、勇気を出して真我で生きられるようにシフトしていく。

真我で生きるというとは、自分は尊い存在であり、価値があるといった思いを持って生きるということです。

自我と真我の間で迷うなら、真我に近づけていける方を選択する。

こうした決断が、とても大切になってくるでしょう。

何のために生きているのか、それはこの命を有効に使っていくことです。

命を有効に使うということは、まずはこの自分を楽しませる、そこが出発点となります。

自分を楽しませるということは、結果的に周囲の人を楽しませることとなります。

人は楽しんで生きている人、意欲的に生きている人に関心を持つものです。

それは、人の本性である真我が楽しんで生きている人や意欲的に生きている人の姿に刺激を受けるからです。

人には誰にでも真我の自分が内在しているため、周りに真我で生きている人を見つけると心がざわつき始めます。

楽しんで生きている人や意欲的に生きている人を見ていると、この命を有効に使って生きていきたい、この命を輝かせて生きたい、そんな思いが芽生えてきます。

自分も楽しみながら意欲的に生きていきたい、そう考えるようになっていくのが自然なことなのです。

だからこそ、勇気を持って、この命を有効に使えるような選択をしていく。

自我ではなく真我を選択していく。

自我と真我の間で迷ったら、真我の方に向かって生きる。

こうしたことが、生きることの醍醐味となるといっていいでしょう。

自分の中に存在する真我に気づいて、そこに近づいていく。

その道のりは不安定なものかもしれません。

しかし、心は常に喜んでいます。

命を輝かせて生きられるようになれば、必ず人生の見え方が明るい方へと変わっていきます。

自我と真我の間で、心が揺れ動いたなら真我の方を選ぶ。

そうすれば、後悔することなく生きていくことができるでしょう。

自我と真我の間で葛藤するとき、人は飛躍のチャンスを得るのです。



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