#21 哲学とは整理整頓だ
このマガジンでは、哲学者のヴィトゲンシュタインの言葉をお題にして、思いつくままに文章を書いて気づきを得るということをしています。
今回は「哲学とは整理整頓だ」いう言葉をお題にして、思いつくままに文章を書いていきます。
ヴィトゲンシュタインは、「哲学とは整理整頓だ」という言葉に次のような思いを込めています。
哲学と科学を何にたとえよう。
たとえば科学とは、重い煉瓦(レンガ)を一つずつ運んできては正確に据え置き、やがてそこに頑丈な家を建てることに似ている。
哲学は散らかりほうだいになっていた部屋を見て溜息をつき、それから少しづつ整理整頓していくことに似ている。しかも途中でゴミを捨て、家具の位置を変えたりインテリアを工夫したりする。
そして雑然とした部屋をすっきり爽快にすることなのだ。しかし、終わったと思ったったとたん、別の人がやってきてあれやこれやと別な方法で整理し始める。
科学と哲学、そこに宗教を加えてネットでその意味を調べるとこうなります。
科学‥‥一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動
哲学‥‥人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問
宗教‥‥神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰
人間の思想の流れを歴史で見ると、「宗教→哲学→科学」となると考えられます。では、この「宗教→哲学→科学」の変遷は何を意味しているかというと、不確定なものを除いていくという流れになります。
宗教の定義である、「神または何らかのすぐれて尊く神聖なもの」とは、いわば目には見えないものであり「不確定なもの」です。哲学の「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」は、こういった不確定性を除いた上で、真理を見つけ出そうとする試みだったりします。
また、科学の「一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動」は、宗教に含まれる「不確定なもの」は、対象外になっていて触れられることはありません。
もちろん、だからといって現在の人間の思考のあり方が、科学一辺倒ではなく、私たちは科学的知識と宗教的思想、哲学的思考を持ち合わせて生きていたりします。
では、なぜヴィトゲンシュタインが「哲学とは整理整頓だ」といっているのかというと、哲学には宗教や科学にあるような一貫性のなさを指摘しているといっていいでしょう。
なぜかというと、宗教は、ブッダやキリストというような人達がが残した「教え」が一つの原理となって一貫性を作っています。また科学には客観的事実を積み重ねるという一貫性があるため、過去から今に至るまでの研究結果をひとつの形として読み取ることができます。
しかし、哲学にはそういった基本のとなる軸がないため、様々な人が様々な視点で「人生・世界、事物の根源のあり方・原理物事」を語っていいるため、そこに一貫性が感じられず、一見すると散らかり放題に見えるため「整理整頓」が必要だといっているのだと考えます。
さらに、ヴィトゲンシュタインは哲学を「ある人が整理整頓しても、他の人から見ると、その整理の仕方ではダメだといって、さらに整理を仕直してしまう」ことから収拾がつかないとっています。
おそらく、こういった哲学が持つ無秩序さが、分かりづらさになっていて、哲学は難しいというようなイメージを私たちに持たせているのかもしれません。
そういった意味では、宗教や科学の方が一貫性があるため、イメージがしやすいように思います。
ヴィトゲンシュタインは科学を「頑丈な家」と例えていて、哲学を「散らかり放題の部屋」といっています。
では「宗教」を私なりに建築物にたとえるなら、「たくさんの部屋がある家」という感じでしょうか。
なぜかというと、宗教のひとつの宗を大きな家とすると、そこにたくさんの宗派があるため部屋がたくさんあるように見えるからです。
いすれにせよ、私たちがどの建物に興味を持ってどこの部屋に訪れるのかは自由であり、また、どの家やどの部屋にも人間とっての真実が存在していることに間違いはありません。
むしろ、全部の家に行って「いいとこ取り」で生きていっても構わないのが今の世の中といっていいでしょう。なぜかというと情報は誰にとっても平等であり、その真価を決めるのは情報を受け取った側にあるからです。
そして、様々な要素を「いいとこ取り」して、それを自分なりに整理整頓して自分なりの哲学を作って行けば、それで十分だったりします。
特に、この日本は「いいとこ取り」がしやすい環境にあるともいえます。
私は、仏教の本を少々、キリスト教の本も少々、哲学書も少々、科学書も少々、精神世界の本を多めに、心理学の本を少々、漫画を少々、お笑い番組は多め、といった分量で情報を得ていて、それをもとに私なりの哲学を作っています。
そういった意味では、現代はいろんなところから情報が取れる時代であるため、大切なことは得た情報をどのように整理していくかということなのかもしれません。
近代以前は、情報の量も少なく幅も狭かっため多くの人が少ない情報を共有し、それを共通言語として生きていたりしました。しかし、現代は昔ながらの神話や宗教に始まって最新科学に至るまで、様々な情報を得ることができる時代です。
さらに、そういった情報に善し悪しがあるわけでなく、そういった情報の中にもれっきとした真理が存在していて、様々なジャンルの中から真理を抽出していくことができるようになっています。
そこで大切になってくるのが取捨選択です。
様々なジャンルの中から自分にとって大切なことを見つけ出したら、それをきちんとファイルし不要なものは捨てていく。こうした取捨選択を通じて自分なりの哲学を作って行くことが重要なのかもしれません。
そして、自分なりの哲学を日々更新させながら、世の中の変化に対応できるような柔軟さを身に付け楽しく生きていけるようにすることが、現代の私たちに求められている能力のような気もします。
科学に固執することなく、宗教に固執することなく、哲学に固執することなく、自分がよいと思えることをどんどん吸収していったほうが、より自由に面白がって生きていけるようになるでしょう。
真理は科学にも宗教にも哲学にも、それこそ漫画にもお笑いにも潜んでいます。そういった真理をいろんなところから見つけ出していくことが、「私」という哲学を作って行くための必要な要素であり、そういった情報をいかに「整理整頓」していけるようになるかが、情報過多の時代の今の私たちに求められている能力なのかもしれません。
人は結局のところ、他人を生きることができないので自分自身の思いや考えを整理整頓して「私」という存在をひとつの哲学として生きてくしかありません。
そして、「私」という存在をひとつの哲学を創り上げることができたとき、それを自分の基準として、ひとつ一つの物事を判断していけるようになればいいのだと思います。
今回のヴィトゲンシュタインの「哲学とは整理整頓だ」という言葉からそんなことを考えました。
*お題として参考にさせてもらうのは、ディスカヴァー・トゥエンティワンさんの「ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉」という本の中で紹介されているものです。
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