掃除夫には掃除夫の仕事がある
紙の花をつくって待ってるね、活きた花はすぐにしおれるから。
画面をぬぐい、もう一度メッセージを見る。おまえはいったいどんな花を作ったんだろう。おれたちの部屋の壁紙と似た色か、それとも真逆の映える色? 朝顔? あやめ? なんにしても、おれはいままで、こんなにきれいな言葉をもらったことがない。
胸ポケットにスマートフォンをしまいこむ。それがおれの心臓になったみたいに、さすりながら仕事を再開する。ごみ箱をあけて、ゴム手袋をはめた手で分別する。ひとには向いていることと向いていないことがある。東京のまんなかに建てられたこのビルで働く人間たちもそうだ。光沢のあるスーツを着ていても、きりっとした名刺を持っていても、ごみをどっちに捨てなきゃいけないかさえわかってないんだから。
その点、ここの清掃の仕事はおれに向いていた。むかしから片づけるのは得意なんだ。おれがおまえに紙の花をもらえるのも、片づけが得意だったからだ。おれたちのはじまりだってそうだろ。おれが、自動販売機のそばでしゃがみこんで泣いているおまえの涙を片づけてやったからだ。
紙の花はしおれないけど、早く帰ってきてね。
了解。おれは方眼紙みたいなフロアにブラシをあてる。いいことってのは埃みたいにあっさり片づいてしまうものだから、慎重になる。
片づけに時間がかかるとこは最後にやるようにしてる。女子トイレに清掃に入ると、一番奥の個室で、床に座りこんでいる彼女に出あった。見知らぬその女は、壁のポスターのなかにいるみたいに見えた。ポスターにはこう書いてある、「このような迷惑行為は、見つけ次第通報します」。写真も載ってる、トイレの床にぐちゃぐちゃにまるめたトイレットペーパーが散乱してるやつ。ここ何日か起きたいたずら。目的なんてなくて、清掃に入るおれたちをただ困らせようとしているようなやつだ。当然、毎回おれが片づけていた。
床に撒かれたトイレットペーパーを自分の居場所だと思っているみたいに、彼女はそのまんなかにすわっていた。
おれは警備室まで彼女を連れていった。彼女は中身のない紙袋みたいにおとなしかった。警備員たちは夜の見回りにでてた。あいつらもおれとおなじで、むいてる仕事ってのがあった。おんなじところをぐるぐる回るってことだ。すぐに戻ってくる。
彼女をパイプ椅子に座らせる。カスミソウ柄のワンピース姿で、ちゃんとしてる。こんなところで人生につまずくようには見えない。おれは片づけが仕事だ。でも、こんな片づけまでやると思ってなかった。時計を見ると、とっくに上がる時間だった。はやく帰って、おまえの紙の花が見たい。おれは目の前の彼女を恨んだ。
「こんなことで人生をめちゃくちゃにして、あんた、ばかだよ」
彼女はおれに気づいたみたいに顔をあげた。
「あなたがいつも片づけてくれてたんですか」
「そうだよ。今日も、あんたがなにもしなければ、とっくに家に帰ってた」
「ごめんなさい」
彼女は頭をたれ、おれの怒りと交換するようにいう。
「わたし、結婚するんです」
おれは思わず胸に手をあてた。おれの紙の花。
「それも台無しだ」
「お腹にそのひとの子どももいて」
「だからって、今回のことがなかったことになるわけじゃない」
「だからしたんです。わたしの幸せを、わたしの手で壊したかった」
「どうしてそんなことを?」
「二度と汚れる心配をしなくていいから」
おれは思いだす。この仕事をはじめるまえ、憧れの仕事に手がとどきそうだったのに、やめた。おまえと暮らしはじめるとき、はじめは断ろうとした。幸せってのは、汚れるんだってこと。紙の花だって、しおれることもあるってことを。
「こんなこと、わからないかもしれないけど」
「いや」おれは答えた。「わかる」
彼女はほほ笑む。きっと、はじめてわかってもらえてうれしかったんだ。
警備員が何人かで戻ってきて、彼女を立ちあがらせた。カスミソウに大きな涙が落ちる。それはなんの涙か、おれだけが知っている。安心の涙だ。もう幸福を失うことがなくなって、安心したんだ。やっとらくになれた。失った幸せは汚せない。誰にも。彼女にさえも。
顔なじみの警備員が今日はもう帰っていいといった。トイレ掃除はあしただ。警察に状況を報告するから、証拠を残しとかないと。
おれは警備室を出て、まっすぐロッカー室に向かおうとした。でも、警備室のわきにたてかけていたブラシがおれに倒れこんできたとき、思い直した。おれがすべきだったのは、彼女の落とした涙を片づけてやることだったんじゃないか。トイレをさっさと掃除して、なにもなかったようにしてやることだったんじゃないか。
掃除夫には掃除夫の仕事がある。
おれは掃除道具をつかんで走りだす。おれは得意だった、捨てなきゃいけないものと、そうじゃないものをわけるのが。なにかをきれいに片づけることが。涙だけを拭いてやることが。
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https://note.com/kaoru_hanasawa/n/n6448e1f3b80a?sub_rt=share_b
https://presswalker.jp/press/20259
-リンクおよび本説明除き、小説本文1999文字
-思いたってnoteに小説を載せようとしたとき、本賞が目にとまり、これも縁かなと思い参加させていただきました。ブラッシュアップでき、当初よりも良いお話にできたと思います。機会をいただき、ありがとうございました。
