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夏の庭から世を仰ぐ。

梅雨が明け、猛烈に暑くなりましたね。

この日の朝は、比較的過ごしやすかったこともあり
庭の芝刈りをすることにしました。


庭木の影が、ゆらゆらと揺れるのを眺めながら

さぁて、やるかと気持ちをセットします。


位置に着いて、ふと下に目をやると

クローバーです。

今、まさに自分のテリトリーの拡大を
虎視眈々と狙っているようです。

わぁ、四葉のクローバー。
なんて、喜んでられるのは最初だけ。

1週間もすれば、広範囲に芝を覆ってしまいます。

常に、自分のマーケットを狙っている。

幸運を運ぶ、野心家。

誰にとっての幸運かは、知らないが
少なくともこの子は、たくましい。

変化を嫌いながら、過ごすのも良いし
自ら、変化することを好みながら過ごすのもいい。

あえて面倒な環境に身を置き、処世術を学びながら過ごすもいい。

いやいや、時には、ぼんやりと何も考えず過ごしてもいい。

どう、自由に過ごしても、いい。

そんな風に、いつまでも自分の過ごし方に関心を集中させ、たまにふと顔を上げると

辺りの変化に驚愕することがある。


気付けば、クローバーに覆われた世界になっている。


そんな世界を、しょっちゅう見てきましたよね。

気付けば、みんなスマホに夢中な世界になってたし。しまいには、AIに夢中な世界になってしまったし。いつの間にか、どっかで戦争やってるし。株価は、あっという間に上がってたし。円安の進行も瞬く間に進んだし。社会保険料上がってて、ビビるし。

まぁね、
まだ、そんな世界に覆われてるなと見えてれば、いいんです。

クローバーの茎が見えてるな。そろそろ、覆ってきたな。

1週間後、5倍くらい覆うな。

そこで、対応するかしないかは、自由です。

積極的に、関わる人もいれば
認知はするが、放置する人もいる。

まぁ、その人の好きずきなので、どちらでもいい。

ただし、これは覆われそうな状況を認知している前提での話。

クローバーの茎が、見えない、見ようとしない。

覆われても、その事実に気づかない。

最近、日が弱くなったな。
そうやって、まだ、感じるだけいいかもしれない。

いや、日が弱くなったのではない。

覆われてますよ。

そんな芝の立場にいる人をよく見かける。

ここで、思うことがある。

今、流行りの考え方で、この芝の立場を観察すると

覆われたことに、気づかないでいるなんて
あり得ない。覆われ尽くされる前に、積極的に情報をとりに行くべきだ。そして、対応すべきだ。

といった具合になるだろう。

しかし
自分の考え方を、その流行りに大きく寄せ、その一辺倒な状態で過ごし続けるというのはいかがなものか、、、と、最近思い始めている。

流行りの考え方に、居座り続けることの違和感を最近特に感じる。

正直なところ、うるさい。

「遊戯三昧」という禅語がある。

私の解釈はこう

「意味を付ける・付けない・眺める。そのどれにも縛られないこと」

物事に捉われることなく、自由な心を楽しむ。
時に、ひとつのことに夢中になるのも良い。

また、とある時は、遊びを楽しむも良し。
仕事を楽しむも良し。

ひとつの意味に捉われず、別の意味の捉え方も楽しむ。

その時々の心の感じ方、違いそのものを楽しむ。

まるで、悟りを開いたかのような話かもしれないけれど、正直なところ、そんな大それた話でもない気がしている。

みんな、だいたいそうやって生きてるでしょう。

さっきの、クローバーに覆われた芝の状況をうかがうと、芝から見れば生死に関わる状況と捉えることができる。

そのままにしていれば、芝はそのまま衰退する。

ただ、絶命するのかというと、案外そうでもない気もする。

まぁ、案外ね。だいたい死ぬけど。

また別の変化が起因となって
日が射す状況になるかもしれない。

もしかしたら、ここの一部の芝は
この強烈な直射日光を少し抑えられた環境に対し、意外と歓迎していたのかもしれない。

知らんけど。

ずっと、ひとつの意味、思想、価値に拘泥していると、本当の意味で世界が見えなくなりそうな気もする。

そして、ふと我に返る。

少し曇り気味だった空から、陽が射してきた
このクソ暑い庭で、芝刈りしながら
考える話でもない気がするなと、、、

以上、夏の庭から世を仰ぐ。でした。

ディズニーランド、とあるレストラン前の芝
クローバーの気配を感じない庭🐭



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