夏の庭から世を仰ぐ。
梅雨が明け、猛烈に暑くなりましたね。
この日の朝は、比較的過ごしやすかったこともあり
庭の芝刈りをすることにしました。

庭木の影が、ゆらゆらと揺れるのを眺めながら
さぁて、やるかと気持ちをセットします。
位置に着いて、ふと下に目をやると

クローバーです。
今、まさに自分のテリトリーの拡大を
虎視眈々と狙っているようです。

わぁ、四葉のクローバー。
なんて、喜んでられるのは最初だけ。
1週間もすれば、広範囲に芝を覆ってしまいます。
常に、自分のマーケットを狙っている。
幸運を運ぶ、野心家。
誰にとっての幸運かは、知らないが
少なくともこの子は、たくましい。
*
変化を嫌いながら、過ごすのも良いし
自ら、変化することを好みながら過ごすのもいい。
あえて面倒な環境に身を置き、処世術を学びながら過ごすもいい。
いやいや、時には、ぼんやりと何も考えず過ごしてもいい。
どう、自由に過ごしても、いい。
そんな風に、いつまでも自分の過ごし方に関心を集中させ、たまにふと顔を上げると
辺りの変化に驚愕することがある。
気付けば、クローバーに覆われた世界になっている。
そんな世界を、しょっちゅう見てきましたよね。
気付けば、みんなスマホに夢中な世界になってたし。しまいには、AIに夢中な世界になってしまったし。いつの間にか、どっかで戦争やってるし。株価は、あっという間に上がってたし。円安の進行も瞬く間に進んだし。社会保険料上がってて、ビビるし。
まぁね、
まだ、そんな世界に覆われてるなと見えてれば、いいんです。
クローバーの茎が見えてるな。そろそろ、覆ってきたな。
1週間後、5倍くらい覆うな。
そこで、対応するかしないかは、自由です。
積極的に、関わる人もいれば
認知はするが、放置する人もいる。
まぁ、その人の好きずきなので、どちらでもいい。
ただし、これは覆われそうな状況を認知している前提での話。
クローバーの茎が、見えない、見ようとしない。
覆われても、その事実に気づかない。
最近、日が弱くなったな。
そうやって、まだ、感じるだけいいかもしれない。
いや、日が弱くなったのではない。
覆われてますよ。
そんな芝の立場にいる人をよく見かける。
*
ここで、思うことがある。
今、流行りの考え方で、この芝の立場を観察すると
覆われたことに、気づかないでいるなんて
あり得ない。覆われ尽くされる前に、積極的に情報をとりに行くべきだ。そして、対応すべきだ。
といった具合になるだろう。
しかし
自分の考え方を、その流行りに大きく寄せ、その一辺倒な状態で過ごし続けるというのはいかがなものか、、、と、最近思い始めている。
流行りの考え方に、居座り続けることの違和感を最近特に感じる。
正直なところ、うるさい。
*
「遊戯三昧」という禅語がある。
私の解釈はこう
「意味を付ける・付けない・眺める。そのどれにも縛られないこと」
物事に捉われることなく、自由な心を楽しむ。
時に、ひとつのことに夢中になるのも良い。
また、とある時は、遊びを楽しむも良し。
仕事を楽しむも良し。
ひとつの意味に捉われず、別の意味の捉え方も楽しむ。
その時々の心の感じ方、違いそのものを楽しむ。
まるで、悟りを開いたかのような話かもしれないけれど、正直なところ、そんな大それた話でもない気がしている。
みんな、だいたいそうやって生きてるでしょう。
さっきの、クローバーに覆われた芝の状況をうかがうと、芝から見れば生死に関わる状況と捉えることができる。
そのままにしていれば、芝はそのまま衰退する。
ただ、絶命するのかというと、案外そうでもない気もする。
まぁ、案外ね。だいたい死ぬけど。
また別の変化が起因となって
日が射す状況になるかもしれない。
もしかしたら、ここの一部の芝は
この強烈な直射日光を少し抑えられた環境に対し、意外と歓迎していたのかもしれない。
知らんけど。
ずっと、ひとつの意味、思想、価値に拘泥していると、本当の意味で世界が見えなくなりそうな気もする。
そして、ふと我に返る。
少し曇り気味だった空から、陽が射してきた
このクソ暑い庭で、芝刈りしながら
考える話でもない気がするなと、、、
以上、夏の庭から世を仰ぐ。でした。

クローバーの気配を感じない庭🐭
*
