55.真空0と母の魔法
作家の真空0(シンクウゼロ)の母が珍しく大きな無塩バターを買っていた。
何か作るのかと聞くと、友人へ贈るフルーツケーキを焼くのだと言う。
私の周りには料理が上手な人がたくさんいるが、母は間違いなくその筆頭。
母は昔から、とある料理研究家の本を読みながらいろんな国の料理のレシピを試していた。
それも、ただ作るだけではない。
自分好みの味や食感になるよう、何度も分量を変え、結果を書き込み、再現できるレシピを作り上げていく。
今回のフルーツケーキも、34年前のメモを引っ張り出してきて作っていた。
もちろん、一度作って終わりではない。
ここ数週間で同じケーキを5回以上焼いている。型も変えながら、大きさ違いを合わせれば10個近くになったのではないだろうか。
ケーキ屋さんかな?
味や食感の違いを確かめながら、小麦粉を米粉に変えてみたり、材料の量や内容を少しずつ変えたりしている。
今思えば、母は料理人というより研究者気質なのだ。
子どもの頃の私からすると、そんな母は魔法使いのように見えていた。
あれは忘れもしない、小学校低学年の頃。
自宅でわたしの誕生日会を開いた。
友人も何人か来てくれるということで、母は張り切ってケーキを作っていた。
それは私にとって初めてのアイスクリームケーキだった。
母は、そのアイスクリームの周りに卵白と砂糖を泡立てた白い生地を塗り、オーブンへ入れようとしていた。
私は慌てて止めた。
アイスクリームは熱で溶けてしまう。
そんなことは子どもでも知っている。
「大丈夫。見ててごらん。」
母は笑顔でそう言った。
私は半信半疑のまま、オーブンの前で真剣に見張っていた。
数分後、出てきたケーキにはうっすら焼き色がついていた。
けれど、私が気になっていたのはそんなことではない。
中のアイスクリームだ。
誕生日会の目玉であるケーキ入刀。
切ってみると、アイスクリームはなんと溶けていなかった。
どうしてだろう。
不思議に思いながら、みんなで美味しく食べた。
母の研究は特別な日だけではない。
普段の食事でも発揮される。
テーブルに料理が並び、いただきますをして箸を伸ばした瞬間、決まって飛んでくる言葉があった。
「今日はいつもと違うものを入れてみました。それは何でしょう?」
正直、普通に食べたい。
けれど母は本気で楽しそうなので、無視することもできない。
私たちは食べながら推理を始める。
あれこれ答えて、正解すると母は驚くほど嬉しそうだった。
そんな日々を繰り返しているうちに、私の舌は鍛えられたらしい。
今でも食事中に
「あ、この味、前に食べたあれに似てる」
と言うことがある。
すると母は
「よく分かる舌ねぇ」
と感心する。
どうやら鍛えた本人には自覚がないようだ。
子どもの頃は、どこの家庭もこんな推理をしながら食べているのだと思っていた。
実は、そうでもないと知ったのは中高生になってからのことだった。
最近になって思うのは、今の私の作品の根っこにあるものが、この母の魔法なのかもしれない、ということだ。
確かに、あの日の溶けなかったアイスクリームケーキのようなものを、私は今も作っている。
ただ、料理と作品では探しているものが少し違うようだ。
母は今日もまた、モラセスとかいう新たな材料を使って何かを試している。
【真空0の2026年展示会予定】
・グループ展
会期:6月18日-6月23日/会場:のばな
場所:東京都中央区銀座5-10-1プリンスビル7階
・Independent Tokyo 2026
会期:8月8日・9日/ 会場:東京ポートシティ竹芝
