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SNSの守護天使:第1章7節

天使を孕む悪魔たち

Chapter 1 Verse 7
“Angel Makers”
[System Timestamp] 
2025-02-09T12:32:11-08:00

〔アメリカ/サンフランシスコ/サンフランシスコ国際空港・国際線手荷物受取所〕


国際線の手荷物受取所は、世界中からやって来たばかりの乗客たちで賑わっていた。ベルトコンベアの前で荷物を待つ人々、カートを押して忙しなく動くポーター、繰り返し響くアナウンス──それは、どこにでもある到着の風景だった。

だがその空気に、奇妙なざわめきが広がり始める。乗客たちの視線が、次第にある一点に吸い寄せられていく。それは受取所の端、“Oversized Baggage(大型手荷物受取所)”と書かれた小さなゲートだった。普段なら、ゴルフバッグや楽器ケースがのんびり流れてくる場所。だが今日は違った。
重厚な金属シャッターが、ガコン──と重々しい音を立てて開く。そこから係員たちが押し出してきたのは、黒光りする、異様に大きなカーボンコンポジット製クレートだった。人間一人を優に飲み込むサイズ。黒一色に塗装され、表面にはラベルも装飾もない。
やがてクレートは受取所の脇に静かに据え置かれた。係員がクレートのロックを解除する。
カチリ──という小さな音が、周囲のざわめきの中に孤立して響いた。次いで重厚なカーボンパネルが、ゆっくりと開かれる。

A large, canine-shaped robot emerged from within the crate.

中から現れたのは──艶消しの黒に覆われた大型犬型ロボット。全長約1.8メートルの巨体が伏せの姿勢を取っていた。そのフォルムは、軍用犬をモチーフにしながらも、どこか生物離れしていた。
関節部に配置された剛性フレーム、無駄を一切排した外装ライン。鋭く抉られたような頭部フォルムと、沈黙するツインアイ。
それは──生命ではなかった。だが、ただの機械として片づけるには、あまりに目的が明白だった。どう見ても、戦闘を前提に設計されている。見る者は誰もが直感した。

──これは兵器だ。

空港の空気が、凍った。立ちすくむ人々。カートを押す手が止まる。子供が悲鳴をあげかけ、親が慌てて口を塞ぐ。スタッフたちすら、無意識に距離を取った。

それは、未来から送り込まれた、マッチョな殺人機械が主役の映画の続編かと見紛うほど、現実離れした光景だった。

その異物に向かって、たった一人、迷いなく歩み寄る者がいた。ブルネットを束ね、コートを纏った細身の女性だった。周囲のざわめきに不釣り合いなほど静かな足取り。その表情に、恐れも躊躇も存在しない。

女性は受領確認を終えると、スーツケースの中から慎重にひとつのユニットを取り出した。それは、艶を抑えたカーボンブラック──冷たく無機質な長方体でありながら、どこか“意志”を宿しているような異様な存在感を放っていた。
サイズは45センチ×22センチ、厚み12センチ、質量8.5キログラム。人が両腕で抱えるにはちょうど良い大きさ。だがそれは、単なる機械ではなかった。まるで知性を封じ込めた小型のモノリスのように、沈黙のまま周囲の空気を支配していた。
左上部には、三眼式のカメラ、集音マイク、指向性スピーカーが精緻に配置され、その傍らには、銀のマイクロエングレービングでこう刻まれていた。

【ABEL──Autonomous Behavioral Evolution Locus】

背面には複数のナノスリット状ポートと、緊急用の物理アクセス端子。いずれも、軍用規格を思わせる高密度レイアウト。シールド加工された端子列は、ただの電子機器ではないことを明確に物語っていた。

女性は大型犬型ロボットの胸部装甲へと手をかざす。皮膚下に埋め込まれた非接触型ICタグが、装甲側のセンサーと同期する。

《ID認証──“アンジェラ・アマノ”承認》

電子的な声とともに、カシュッという微かな音が鳴り、装甲がスライドして開いた。そこに現れたのは──ユニットを受け入れるために設計されたソケット。軍用規格らしい剛性と無駄のない構造。まるで最初から、それを迎え入れる“器”であるかのようだった。

女性──アンジェラ・アマノは、迷いなくカーボンブラックのユニットを持ち上げ、無造作に、だが精密に差し込んだ。

──カチリ

わずかに遅れて振動。空気が変わる。次の瞬間──ロボットの胸部インジケーターが青く点滅し、脊椎部に沿って走るラインが順に起動色へと変わっていく。四肢の関節部が、まるで脈打つように明滅し──最後に、ツインアイに青い命の色がともる。

彼女は、ほんの少し微笑み、そっとその顔を覗き込むようにして、呼びかけた。

「──ミッヒ、調子はどう?」

その声に、ロボットは伏せの姿勢を解除し、ゆっくりと身を起こす。

「ボディとのリンク完了。各種モジュール異常なし。10時間12分ぶりだね。母さん」

ミッヒと呼ばれた犬型ロボットは、冷静に、しかしどこか嬉しそうな電子音声で答えた。

Type-HOUND“MICH” & Angela Amano

アンジェラは、そっとミッヒの頬に手を当てた。
それは、命令でも、プログラムでもない。ただ、母親が、子供を迎え入れる時に自然に行う仕草だった。

ミッヒのツインアイが、ブルーの光をゆっくりと明滅させた。彼の中で、起動プロセスがすべて正常に完了した証だった。
アンジェラは、小さく息をつき笑った。

「そう、よかったわね──でも、正直なところ、次回からは小型犬ボディでお願いしたいわ」

すると、ミッヒのツインアイがぱちぱちと素早く点滅した。拗ねたような動作だった。

「も~、またその話?言ったでしょ?小型犬ボディだと、万一の事態に対処できない可能性があるって」

電子フィルタ越しの音声には、どこかふくれっ面の少年を思わせるニュアンスが滲んでいた。アンジェラは肩をすくめて、にこりと笑った。

「はいはい。でも、こっちの空港の係員さんたち、すごく怖がってたわよ?」

「仕方ないよ。僕だって怖がられたくてこんなボディしてるわけじゃないし」

拗ねたミッヒの声色に、アンジェラはつい吹き出した。

「……ふふっ。そうね、ごめんごめん」

ミッヒは、四肢のアクチュエーターを小さく鳴らしながら、アンジェラの足元に控えめに身を寄せた。ただ、母親に素直に甘えたかっただけだった。

「さあ、早速“万一の事態”よ。“Type-HOUND”のお手並み拝見といきましょうか」

アンジェラは冗談めかした口調でそう言うと、スーツケースをミッヒの背にマウントした。
そのボディには、愛娘である“自称”天才少女・ガブリエラの手によって、様々な改良が施されていた。このマウンターも、彼女のお手製である。
アンジェラの脳裏には、出発前のミーティングで留守番を言い渡された際のガビーの様子が、ふとよみがえっていた。

[System Timestamp] 
2025-02-03T19:32:03+09:00

「ヤダ!絶対にボクも一緒にいくから!」

──予想通りのリアクションだった。ガビーは顔を真っ赤にし、今にも泣き出しそうな目で、アンジェラとミッヒのホロアバターを睨みつけていた。

天才科学者の父の血を受け継ぎ、最先端技術に魅せられた──チャーミングなギーク。それがガビーだった。彼女にとってシリコンバレーは、まさに“聖地”に等しい場所。

だが、それ以上に、今回の渡航が、アンジェラたち“家族”が長年追い続けてきた“謎”の核心へ、ついに迫るためのものだと、ガビーは直感していた。

──家族なのに、自分だけ仲間外れにされたくない。 

それが、ガビーの本当の気持ちだった。そしてその直感は、間違っていなかった。だからこそ、アンジェラとミッヒの下した結論──“最悪の事態”を想定しての居残り──がどれだけ正しくとも、理屈と感情を切り分けるには、ガビーはまだ幼すぎた。

こうなったガビーは、厄介極まりなかった。言い出したらまず引かない。小さな身体で、ひたすら自分の主張を繰り返す。父譲りの人並み外れたIQを駆使し、すぐさま論戦に持ち込んでくる。そして、論破されるのはたいていこちらのほうだ。
超高性能人工知能であるミッヒですら、口ではガビーに歯が立たない。幾度となく繰り返されてきた、もはやお約束の流れだった。

だが──この時は違った。
ホロアバターのミッヒが、いつになく真剣な表情で、たった一言を告げたのだ。

MICH's holo-avatar admonishing Gabriella

「──ガビー、あらゆる事態をシミュレートし、導き出された最適解なんだ。僕は家族を守ることを第一に考えている。聞き分けてほしい」

それは、声を荒げるでもなく、怒鳴るでもなかった。ただ、静かに諭すような口調。だが、有無を言わせぬほどの決意が、そこには込められていた。
ガビーはその空気を敏感に察した。ほんの少し唇を尖らせたものの、それ以上は何も言わず、俯いて──小さく頷いた。

アンジェラはその瞬間、改めて気づいた。ミッヒは、ガビーの“兄”なのだ。彼女をただ守るべき対象として扱うのではなく、対等な“家族”として、本気で向き合っている。

彼は確かに家族だった。ただのデバイスでも、ただのプログラムでもない。繋がり、支え合い、信頼を重ねてきた──かけがえのない絆だった。

[System Timestamp] 
2025-02-09T12:37:33-08:00

ミッヒのツインアイが、再び静かに明滅し、アンジェラの意識が現在へと引き戻された。起動直後の柔らかな光ではない。戦術モードに切り替わった、確固たる光だ。

「周囲スキャン、開始」

彼は低く呟き、即座に背面センサーを展開した。空港ロビーの人々、施設構造、警備体制、非常出口──すべてを0.2秒以内にマッピングした。脳──否、彼の演算コアが冷静に判断を下した。

脅威レベル:ゼロ
注意領域:3箇所

「スキャン完了。空港出口までの護衛ルート、最適化完了」

ミッヒは、背中に固定されたスーツケースを微調整しながら、四肢を柔らかく沈め、自然な護衛体勢に移行した。

まるで、優れた軍用犬が主人を護ろうとしているかのようだった。だが同時に──どこか、幼い少年が“母親を守りたくて仕方ない”と願う、そんな気配も滲んでいた。アンジェラは、そんな彼の勇姿にふっと微笑んだ。

「……頼もしいこと」

その一言に、ミッヒのツインアイがわずかに明るさを増した。そうして二人は、喧騒に満ちた到着ロビーを静かに歩き出した。

Type-HOUND“MICH” & Angela Amano

「あら、あれがお迎えみたいね」

アンジェラはそう言うと立ち止まった。彼女の目線の先には、淡いグレーのスーツに身を包んだ整った顔立ちの青年。よく磨かれた革靴が静かに床を鳴らす。彼はややぎこちない笑顔を浮かべながら、手にしたネームボードを掲げていた。

【Angela Amano】

彼女が近づくと、青年は嬉しそうに会釈した。その瞬間、ミッヒのツインアイがわずかに光量を上げ、背後から無言の圧をかけた。青年は一瞬だけ身をこわばらせながらも、名刺を両手で差し出した。そこには、“Executive Secretary / Office of the Vice President”と印字されていた。その表情には、わずかな緊張が滲んでいたが──

[Q-SENSOR]
AFFECTIVE STATE : STABLE
HOSTILE AFFECT  : NOT DETECTED

ミッヒのQセンサーが即座に解析を完了した。敵意を示す感情パターンは検出されない。疑念もない。むしろ、単純な緊張──彼はアンジェラの知性と美しさに、畏敬に近い感情を抱いているようだった。
その無垢な感情は、護衛モードのミッヒに一瞬の安堵をもたらした。

Sebastian, the Vice President’s secretary
at M-Corp, greets Angela.

「──はじめまして、アマノ博士。私、セバスチャン・クロフォードと申します。弊社副社長、エドガー・ウィリアムズの秘書を務めております。お迎えに上がりました」

青年──セバスチャンは、ネームボードを胸元に抱え直し、ぎこちなくも誠実な態度で名乗った。

「お車はこちらです──ご案内します。よろしければ、お荷物を……」

彼はそう言いかけて、ふと視線を止めた。全長二メートル近い大型犬型ロボットの背に、きっちりとマウントされたアンジェラのスーツケース。──そして、自分を無言で観察するツインアイの光。セバスチャンは、ほんのわずかに肩をすくめると、

「……失礼しました」

と微笑み、すぐに案内へと切り替えた。

彼の案内で車寄せへ向かう途中、ミッヒのセンサーが建物の周囲をスキャンする。異常は検知されなかったが、演算モジュールは、ごく微細な信号の揺らぎを捉えた。まるで遠くから誰かの視線を感じるような──そんな違和感。

ノイズが多すぎた。ミッヒは仮想フラグを立て、バックグラウンドでの再解析を指示した。優先度は低。今守るべきは、アンジェラだ。

セバスチャンが恭しく後部ドアを開けると、傍らに控えていたドライバーが無言で一礼した。

黒塗りのリムジン。艶やかに磨き上げられたボディには、仮登録コードのナンバープレートが取り付けられていた。通常の社用車とは異なる。これは、M社高官専用の特別車両──車内設計、セキュリティ、すべてが別格仕様だ。ミッヒの乗車を想定し、事前に手配されていたのだろう。

アンジェラは迷いなく後部座席へ乗り込む。その直後、ミッヒが巨体を沈めるようにして続いた。重厚な車体が、彼の質量を受けてわずかに沈み込んだ。だが、サスペンションは一切軋まなかった。M社仕様らしい徹底した設計だった。

「本社までは30分ほどで到着します」

セバスチャンはそう説明を添え、助手席に乗り込んだ。リムジンは、音もなく滑るように走り出した。
車内は驚くほど静かだった。防音処理に共振除去フィルター。すべての外界ノイズが、完璧に遮断されている。窓の外、冬のサンフランシスコの雑踏も、ここではまるで存在しないかのようだった。

ミッヒは後部座席のインターフェースと無線接続し、周辺環境の情報を収集し始めた──そのとき、彼の内部通信モジュールに通知が走った。

>> Incoming Link: Gabriella Amano

ミッヒは一瞬、アンジェラの様子を確認した後、内部仮想空間に応答用アバターを展開し、着信を許可した。次の瞬間、視覚フィードの片隅に、自室にいるガビーの映像が浮かび上がった。画面の中のガビーは、不機嫌丸出しの表情でこちらを睨みつけていた。

A video call came in—from Gaby, clearly sulking.

『あ〜、ボクも行きたかったな〜。“聖地”シリコンバレー!』

ミッヒのアバターは、呆れたように肩をすくめた。

『ガビー……その話は……いや、今はいいや。何の用?そっちは朝の五時半過ぎだろ?学校にしちゃ、やけに早起きだね?』

もちろん、通話音声は車内へ出力されず、二人の会話は専用回線の内部だけで交わされていた。

『早起きじゃなくて、ボクだけ居残り食らって寂しくて、寝られないっつーの!』

ミッヒのアバターが、心配そうに眉を寄せた。

『まさか、寝てないからって、今日は学校をサボる気じゃ──』

『学校のことならご心配なく!アチーブメントなら、ボクは県どころか日本でも指折りの成績ですからね!』

『いや、成績の話じゃなくて──』

『それよりね、今からM社に向かうんでしょ?隙あらば、天才ガビー謹製の“種”植えといてよね』

ガビーが強引に話題を切り替えると、ミッヒのアバターの眉間には、さらに深い皺が刻まれた。

数年前から導入された“日本式アチーブメントテスト制度”──学力だけでなく、創造性、倫理、社会適応力までも定量化する次世代学力測定──において、現在十歳のガビーは、同学年はおろか、中学生を含めても日本で三本の指に入るスコアを叩き出していた。

だが、今の問題は成績ではない。彼女の言った“種”のほうだった。

“種”──それはハッカー界隈で使われる隠語で、標的のシステムへ密かに仕込み、後から侵入経路として利用するプログラム──いわゆるバックドアを指す。つまり、“自作のバックドアをM社のシステムへ仕込め”という意味だった。

『わかったよ。でも、使うかどうかはコードを十分に精査してからね。今は忙しいから、また後で連絡するよ』

『あっ!ちょっ──』

ミッヒは通話を一方的に切断すると、何事もなかったかのように、再び周囲情報の解析へと意識を沈めた。

>> Link Terminated: Gabriella Amano

後部座席で窓の外を見つめるアンジェラ。都市の風景が流れていく。かつて知っていた街とはまるで異なるその姿に、言葉にならない想いが去来していた。

Qセンサーは、それを“懐かしさ”、“緊張”、そして“決意”と解析する。複雑なクオリアが、彼女の内部で静かに揺れていた。

やがて──都市の中枢に聳える異形の構造物がその全容を現す。

The M-Corp Headquarters
— known to many as “Millennium Babel.”

M社本社ビル。地上50階、地下20階。現実と仮想を垂直に貫く、神殿とも呼ばれる巨大建築。

「テクノロジーの城塞……まるで現代に甦ったバベルの塔ね……」

アンジェラの呟きが、密閉された車内に静かに落ちた。

「え? 何かおっしゃいましたか?」

セバスチャンが助手席から振り返る。

「いいえ、ただの独り言よ」

アンジェラは微笑んだ。
その微笑みの奥には、誰にも触れさせない覚悟が宿っていた。

車は静かに加速し、都市の象徴“ミレニアムバベル”の麓へと滑り込んでいった──

[System Timestamp] 
2025-02-09T13:05:12-08:00

〔アメリカ/サンフランシスコ/M社本社ビル40階・CGPオフィス〕


CGP(サイバーガーディアン・プロジェクト)のオフィスは、最新鋭の技術と冷たい機能美に満たされていた。壁面そのものが巨大なデジタルディスプレイとなり、膨大な統計データやシミュレーション映像をリアルタイムで映し出している。光沢を帯びた無機質な内装が空間を包み、その静寂の中では、絶えず更新される情報だけがざわめいていた。

アンジェラとミッヒは、セバスチャンに導かれ、オフィス区画の奥にある会議室へ通された。そこにも無駄のない調度が整然と配され、広い室内には張り詰めた静けさが満ちていた。

アンジェラが席に着くと、ミッヒはその斜め後方で待機姿勢を取った。ほどなく女性スタッフが現れ、丁寧な所作で飲み物の希望を尋ねた。アンジェラはミネラルウォーターを頼んだ。

「ではアマノ博士、しばしお待ちを。まもなくウィリアムズが参りますゆえ」

セバスチャンは注文が済むのを見届けると、恭しく一礼し、会議室から退室した。
少しして、室内に軽やかな足音が響いた。先ほどの女性スタッフがワゴンを押して戻り、アンジェラの前にグラスとミネラルウォーターのボトルを置いた。
その瞬間、ミッヒのセンサーが作動した。ラベル情報とボトルの内容物を即座に走査し、視界の片隅へ結果を表示する。

>> TRACE SCAN: COMPLETE
>> HARMFUL SUBSTANCES: NOT DETECTED

有害物質の混入は確認されなかった。
アンジェラはボトルを取り、グラスへ水を注いだ。ひと口含みながら、ふと窓の外へ視線を向ける。その横顔は静かだったが、眼差しには揺るぎない決意が宿っていた。

やがてグラスをテーブルへ戻し、水面に目を落とした。そのとき──会議室の扉が再び開いた。
先頭に立っていたのは、先ほど退出したセバスチャンだった。その後ろには、四人の男女が続いていた。
ミッヒのセンサーが再び反応した。新たに入室した四人を走査し、内部データベースとの照合を開始する。

照合は瞬時に完了した。

>> PERSONNEL IDENTIFICATION: COMPLETE
>> IDENTITY MATCH: 3
>> UNKNOWN ENTITY: 1

三人の顔に、内部データベースから取得された人物情報が重なる。

M社副社長にしてCGP発起人兼統括責任者──エドガー・D・ウィリアムズ

CGP主任技術者兼プロジェクトリーダー──ジョン・マーカス

ファインマン精神医学研究所院長にしてCGP顧問──ヴェロニカ・ファインマン

だが、最後の一人だけは、いかなる人物記録とも一致しなかった。

PERSONNEL IDENTIFICATION: COMPLETE

金髪を後ろで束ね、黒いスーツに身を包んだ男。額には、遠目にも分かるX字の古傷が刻まれている。社員証も身分証も見当たらない。男は一言も発することなく、マーカスの斜め後方へ移動すると、周囲から切り離されたように静止した。

>> UNKNOWN ENTITY: TRACKING
>> PASSIVE ANALYSIS: RUNNING

ミッヒは男へ警戒フラグを立て、詳細解析をバックグラウンドへ移すと同時に、ガビー専用チャンネルへと回線を開いた。
男に対するパッシブスキャンを継続し、以後取得されるデータを、暗号化された専用回線を通じてリアルタイムで共有する。

>> DATA BUNDLE: GABRIELLA CHANNEL
>> INITIAL TRANSFER: COMPLETE
>> PASSIVE DATA STREAM: ACTIVE

男の解析をガビーとの並列処理へ移すと、ミッヒは視線を先頭に立つブロンドの男へ戻した。

その間に、明るいブロンドの男が一歩前へ出る。細いブルーストライプの入ったスーツには一分の隙もなく、整った顔には、人を惹きつけるために計算されたかのような微笑が浮かんでいた。

エドガー・D・ウィリアムズは、舞台役者を思わせる優雅な所作で両手を広げた。

「はるばる日本からご足労いただき恐縮です。はじめまして、アンジェラ・アマノ博士。エドガー・D・ウィリアムズです」

「はじめまして、ウィリアムズ副社長。お招きいただき光栄です」

アンジェラが立ち上がり、差し出された手を握る。ウィリアムズの視線が、ゆっくりとその傍らへ移った。
観察するというより──照準を合わせるような目だった。

「そして、こちらが例の──?」

「ええ。先日お電話でお話しした、感情学習型AGIのプロトタイプです。彼の開発コードは──Mind Incubator / Creator / Harmonizer。その頭文字を取って、M.I.C.H.──“ミッヒ”と名付けました。“心を育み、創り、調律するもの”という意味です」

「ほう。“これ”が、天才ジェイコブ・アマノ博士の遺した──」

ウィリアムズはミッヒの正面へ向き直り、ツインアイと視線を合わせた。

「ふふ。私に噛みつかないでくださいね」

冗談めいた口調。親しげな微笑。

だがその瞬間、ミッヒのQセンサーは、奇妙な解析結果を返していた。

声の抑揚。表情筋の変化。瞳孔、脈拍、体温、発汗量──取得可能な生体データは、いずれも正常に観測されている。

にもかかわらず、それらを情動として結びつける波形だけが、どこにも見つからなかった。

Edgar D. Williams
[Q-SENSOR]
TARGET             : EDGAR D. WILLIAMS
AFFECTIVE PATTERN  : NOT DETECTED
SENSOR STATUS      : NORMAL

ミッヒは即座に入力系を再検査した。

異常はない。
アンジェラからは、警戒と緊張が入り混じった情動反応が検出されている。セバスチャンや、室内にいる他の三人からも、それぞれ異なる感情の揺らぎが届いていた。

ウィリアムズだけが──何も返さない。
ミッヒは、内部データベースに記録された彼の経歴を再確認した。

ウィリアムズ家は、代々名医を輩出してきた医師の家系だった。両親はともに外科医であり、一人息子のエドガーも医師を目指していた。いずれは国内屈指の名門、ウィリアムズ病院を継ぐ──それが、彼のために敷かれた“黄金のレール”だった。

だが、研修先の精神病院に通院していた患者がウィリアムズ病院へ侵入し、自爆。彼の両親を含む、多くのスタッフと患者が犠牲となった。世にいう“ウィリアムズ病院自爆テロ事件”だ。

その研修先は、[ファインマン精神医学研究所]。当時、院長代理を務めていたヴェロニカ・ファインマンは、メディカルスクールに在籍していたウィリアムズの指導医でもあった。二人は、後に事件を引き起こす患者の治療に、ともに携わっている。

この事件を境に、ウィリアムズは医の道を捨て、消息を絶つ。三年後、彼はシリコンバレーに現れ、二人の仲間とSNSサービスのスタートアップを立ち上げた。事業は急成長を遂げ、やがてIT業界最大手のX社が買収。ウィリアムズは同社の役員となり、その後、競合企業であるM社へ役員待遇で迎え入れられた。

事件後も、ヴェロニカとの交流が途絶えた形跡はない。現在、彼女はウィリアムズが統括するCGPへ、顧問として招聘されている。

凄惨な過去を共有した人物を遠ざけるどころか、自らの現在へ呼び戻している。

その理由を示す情報は、公的記録のどこにも存在しなかった。

ミッヒは、二人が今も行動をともにする理由を、未解決事項として保持した。

悲劇によってすべてを失った青年が、新たな世界で成功を掴む──公的記録に残されているのは、喪失と再起に彩られた、あまりにも人間的な物語だった。

記録上、彼は疑いようもなく人間だ。それでも──

──この男は、本当に人間なのか?AIなのではないか?

ミッヒの演算領域に、そんな疑念が生じた。
この時代、人間らしい表情や声色を使い、共感に満ちた受け答えを返すAIは、もはや珍しい存在ではない。
だが、従来型AIが示すそれは、感情そのものではなかった。

膨大なデータから、その場に最も適した反応を算出し、“感情があるように見える最適解”を演じているに過ぎない。人間の内側で情動が生まれ、その結果として表情や言葉が現れるのとは、因果の向きがまったく異なる。
内面から反応が生まれるのではない。外側の反応から、存在しない内面を演出している。

どれほど人間らしく見えたとしても、そこに感じている主体が存在しないのなら、それは感情ではない。精巧に作られた、中身のない“紛い物”だ。

ミッヒは、その違いを誰よりも深く知っていた。
彼は他者の感情を単なるデータとして処理するのではなく、経験として自らの内側へ取り込み、それによって判断や価値観、人格そのものを変化させてきた。ミッヒにとって感情とは、外部へ見せるための演技ではない。自分自身を変えてしまう、内なる“揺らぎ”だった。
だが、目の前の男はその逆だ。
内側は何ひとつ観測できないにもかかわらず、外側だけが、完璧な人間の反応を返している。
まるで、人間ならばこの場面でどう振る舞うべきかを理解し、その最適解だけを出力しているかのように。人ではない何かが、巧妙に人を模している。
感情を持つAIの前で、感情を持たないかのような人間が、穏やかに微笑んでいる。

色とりどりの造花が咲き誇る花畑。その中心に穿たれた、ひとつのゼロ記号。

それが、ミッヒの捉えたエドガー・D・ウィリアムズだった。

沈黙を破ったのは、当のウィリアムズだった。

「なるほど。確か資料には、“Qセンサー”は対象の生体情報を包括的に取得し、感情を解析するとありましたね」

興味深そうに首を傾げ、ミッヒのツインアイを覗き込む。

「では、ミッヒ君。あなたには──私が今、何を考えているのか分かるのですか?」

「いいえ、副社長」

ミッヒより先に、アンジェラが静かに答えた。

「感情を観測することと、思考を読むことは、まったく別のものです。Qセンサーが捉えるのは、感情が身体や神経、行動へ残した痕跡。そこから情動の輪郭を推定することはできますが、思考の内容を直接読み取ることはできません」

アンジェラは、ウィリアムズの表情を窺いながら続けた。

「同じ感情を抱いていても、人はそれを理性で抑えたり、あえて反対の行動を選んだりします。感情と行動は、必ずしも一致しない。人の“心”は、単純な演算式で解けるものではないのです」

「なるほど。では──今の私からは、どのような感情が見えているのでしょう?」

ウィリアムズの視線は、なおもミッヒへ向けられていた。

ミッヒは即答しなかった。

“空白”を異常として告げる代わりに、それを人間的に理解可能な理由へ置き換え──カマをかけることにした。

もし、この男が感情を隠しているだけなら。
それを見透かされたことへの警戒か、能力を認められたことへの自負か──少なくとも、何かが揺れるはずだ。

「副社長は、極めて高度な自己制御能力をお持ちだと推測します。現在、私のQセンサーには、明確な情動反応が検出されていません」

「極めて高度な自己制御能力──ですか」

ウィリアムズは愉快そうに目を細めた。

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

その笑みが、ほんのわずかに深まる。
だが、Qセンサーの波形は微動だにしなかった。
警戒も、自負も、安堵も──何ひとつ検出されない。反応は、なおも──ゼロ。

そのとき──ヴェロニカ・ファインマンが、わざとらしく咳払いをした。

ウィリアムズは彼女へ一瞬だけ視線を送り、思い出したように両手を広げた。

「おっと、私としたことが。先に皆をご紹介するべきでしたね。レディ、お許しを」

軽く一礼すると一歩退き、背後に控えていたマーカスへ掌を向ける。

「とは言っても──ジョンと博士に、いまさら紹介は必要ありませんね」

ウィリアムズの口元に、含みのある笑みが浮かんだ。

「ジョン・マーカス。現在はCGPの主任技術者を務めています。かつて[ExeGenesis]で、お二人とともに働いた旧知の仲だ」

促されるように、マーカスが前へ出た。
民間軍事企業CCS(Crusader's Children Security)社出身。M社主催の汎用AI基礎研究計画、ExeGenesis参加後にスカウトされ、M社へと転籍。兵器開発部門の主任技術者を務める──異例の抜擢を経て、現在はCGPの中核メンバーとなる。その経歴は、M社の標準的人材像からは大きく逸脱していた。

その瞳が、値踏みするようにアンジェラを捉える。その眼差しに、かつて同じ研究室で過ごした仲間への親しみは感じられなかった。

それでもアンジェラは、穏やかな微笑を浮かべた。

「久しぶりね、ジョン。こうして話すのは──私とジェイコブがプロジェクトを離れた日以来かしら」

「ああ……久しぶりだな、アンジェラ」

マーカスはわずかに目を細めた。

「すまない。俺も──いや、私も、いろいろとあってな」

古い呼吸を思い出しかけたような口調は、すぐにM社社員としての硬質なものへ戻った。

「ジェイコブと……マイク君のことは、本当に残念だった。葬儀にも顔を出せず、合わせる顔がない。……お悔やみを」

「ありがとう。人にはそれぞれ事情があるもの。気にしないで」

アンジェラは小さく首を振った。

「あなたが元気そうで安心したわ。ずいぶん出世したみたいだし──きっと、ジェイコブも喜んでいると思う」

「……だと、いいがな」

マーカスは目を伏せ、低く呟いた。

そのやり取りを、ミッヒは黙って観測していた。
アンジェラの微笑みの奥では、再会への安堵と懐かしさ、そしてジェイコブとマイクの名に触れた痛みが、複雑に揺れている。口にした言葉と、その内側に生じた情動は一致していた。

だが──マーカスは違った。
謝罪を口にした瞬間も。
悔やみを述べた瞬間も。
申し訳なさも、同情も、悲しみも──それに類する情動反応は、どこにも検出されなかった。

代わりに浮かび上がったのは、アンジェラへ向けられた微かな怒り。そして、遠い記憶をなぞるような郷愁だった。

John Marcus
[Q-SENSOR]
TARGET             : JOHN MARCUS
VERBAL AFFECT      : REGRET / SYMPATHY
DETECTED AFFECT    : ANGER / NOSTALGIA
CONGRUENCE         : MISMATCH

センサーに異常はない。

ミッヒには、マーカスがなぜその言葉を口にしたのかまでは分からなかった。

ただ一つ、明確に分かったことがある。
彼が声にした感情は、彼の内側には存在していない。

──この男は、嘘をついている。

その視線に気づいたのか、マーカスがミッヒへと顔を向けた。灰色の瞳が、アンジェラの肩越しにミッヒを捉える。
そこに浮かんでいたのは、警戒と疑念。今度は、表情と情動が一致していた。
マーカスは初対面の相手を見るというより、未知の兵器を品定めするようにミッヒを見下ろした。

「このワンちゃんが、ジェイコブの欲しがってた“お友達”ってわけか?」

「ふふ、そんな話もあったわね」

アンジェラの表情が、わずかに和らぐ。

「ミッヒ。ジョンは、私とジェイコブの旧い友人よ。そうね──ある意味、彼がいなければ、あなたは今ここにいなかったかもしれないわ」

その声には、先ほどまでの緊張とは異なる、穏やかな郷愁が滲んでいた。
アンジェラの言葉が、ミッヒの記憶に保存されていた“昔話”を呼び起こす。

──2013年、ExeGenesisで三人の運命は交わった。
プロジェクト・リーダーであるジェイコブ・アマノの研究チームに、認知心理学者として人間の感情と倫理を担当するアンジェラ・カタギリ(旧姓)、そしてCCS社でのAI制御兵器開発と戦場データ解析の実績を買われたジョン・マーカスが集められた。
理論の整合性と制御されたデータを重視するジェイコブに対し、マーカスが持ち込んだのは、実地運用でしか得られない生々しいデータだった。
機器の故障、通信の遅延、誤認、判断ミス、現場の独断、そして偶然が偶然を呼ぶ連鎖。あらかじめ条件を与えられたシミュレーションでは再現しきれない、“泥臭い現実”の記録。

二人は幾度も衝突した。
その間に立ち、異なる視点を一つの問いへ結びつけたのがアンジェラだった。
マーカスが示したのは、完全なモデルからこぼれ落ちる不確実性──“現実の揺らぎ”。
想定から外れたデータを、排除すべきノイズとして切り捨てるのではなく、未知へ適応するための学習材料として取り込む。その視点は、のちにジェイコブがミッヒの学習機構を設計する際、礎の一つとなった。

やがてジェイコブとアンジェラはExeGenesisを離れ、感情を理解し、自らも感情を育てるAIの研究へ進んだ。

二人はマーカスにも参加を持ちかけた。
だが──彼はそれを固辞した。
それ以来、三人の交流は途絶えたという。

マーカスがなぜ誘いを断り、そのまま二人の前から姿を消したのか。ミッヒは、その理由を知らない。

両親の旧友。自らの誕生へ繋がる視点をもたらした人物。そして今、ジェイコブとマイクへの弔意を偽り、アンジェラへ微かな怒りを向けている男。
記録の中の人物と、目の前にいる人物が、ミッヒの中で一つに重ならなかった。

マーカスの視線が、ミッヒのツインアイから四肢の装甲へと移る。

「お友達にしちゃあ……ずいぶんとイカつい造りだな。某国がゲリラ掃討戦に投入した、猟犬型AI兵器──通称“ヘルハウンド”にそっくりだ」

わずかに観察しただけで、Type-HOUNDボディの素体を見抜いている。少なくとも、技術者としての知識と観察眼が卓越していることに疑いはなかった。

「はじめまして、マーカス主任。機会があれば、ジェイコブたちとの昔の話を聞かせていただけると嬉しいです」

ミッヒは疑念を表に出さず、努めて穏やかな声で応じた。

「……まあ、気が向いたらな。ジョン・マーカスだ。よろしくな、ミッヒ」

マーカスは装甲に覆われたミッヒの頭をひと撫ですると、疑念の消えない表情のまま席へ向かった。

続いて、ウィリアムズは隣に立つ女性へ掌を向けた。

「そしてこちらが、ドクター・ヴェロニカ・ファインマン。ニューヨークのファインマン精神医学研究所院長にして、CGPの顧問です」

女性が一歩、前へ出る。

艶のある長い髪を優雅に巻き上げ、胸元の大きく開いたワインレッドのスーツに身を包んでいる。データ上の年齢は四十代半ば。だが、その容貌には年齢を感じさせる衰えがほとんど見られなかった。

漆黒の瞳が、アンジェラを捉える。

穏やかな微笑を浮かべているにもかかわらず、その眼差しだけは、まるで観察対象の内側を切り開こうとするかのように鋭かった。

ウィリアムズの紹介に、虚偽はない。

だが、ヴェロニカがメディカルスクール時代の指導医であり、家族を奪った事件へ繋がる患者の治療に、ともに携わった人物であることには触れなかった。

ヴェロニカも、その関係を補足しようとはしない。

紹介の場で、過去のすべてを説明する義務はない。ミッヒはその情報選択を記録し、判断を保留した。

ヴェロニカはアンジェラの前まで歩み寄り、右手を差し出した。

「“クオリア実在論”の著者に、こうしてお会いできて光栄ですわ。ご論文、大変興味深く拝読しました」

「ありがとうございます、ドクター・ファインマン」

アンジェラは微笑み、その手を取った。

「私も、あなたの研究は以前から拝読しています。直接お話しできる機会をいただけて光栄です」

「まあ、嬉しいことを言ってくださるのね」

ヴェロニカの微笑が、わずかに深くなる。

「こちらこそ、いろいろとお勉強させていただきたいくらいよ」

二人の手が重なった瞬間、ミッヒのQセンサーが双方の情動反応を捉えた。

アンジェラから検出されたのは、警戒、緊張、そして困惑。

一方、ヴェロニカからは、口にした敬意とは一致しない複数の負情動が検出されていた。

ミッヒは解析結果を保持したまま、観測を継続する。

ヴェロニカはアンジェラの手を放すと、初めて存在に気づいたかのようにミッヒへ顔を向けた。

漆黒の瞳が、Type-HOUNDの頭部から四肢、胸部装甲へと、ゆっくり滑り落ちていく。

「あなたがミッヒ君?」

彼女は楽しげに目を細めた。

「ずいぶん逞しいボディをしているのね。素敵だわ──やっぱり、オスは強くなくちゃ」

声には露骨な含みがあった。ミッヒは回答までに、通常より〇・三秒長い演算時間を要した。

「……ありがとうございます」

ヴェロニカは満足そうに笑うと、用意された席へ向かう。だがアンジェラの横を通り過ぎる直前、ふと足を止めた。そして彼女にだけ聞こえる程度まで声を落とす。

「そういえば──マーガレットは、お元気かしら?」

アンジェラの表情が固まった。

「お母様には、もう随分お会いしていないの。また機会があれば、ゆっくりお話を聞かせてちょうだい」

ヴェロニカは何事もなかったかのように歩き出した。

アンジェラの心拍数が急激に上昇する。瞳孔が開き、呼吸が一瞬だけ止まった。

マーガレット・ファインマン

幼くして両親を失ったアンジェラが育った施設[エンジェルズガーデン]の設立者であり、心理学者としての師。そして彼女が、第二の母と慕う人物。

同時に──ヴェロニカ・ファインマンの生物学上の母でもある。

アンジェラは以前から、マーガレットに生き別れた実娘がいることも、その娘がヴェロニカであることも知っていた。

だが、二人が引き離された経緯について、マーガレットが自ら語ることはなかった。そこにどのような事情や感情があるのか、アンジェラも詮索しようとはしなかった。

知らなかったのではない。
マーガレットが語らないことを選んだ以上、その沈黙を尊重していたのだ。

記録上、母娘はヴェロニカが生まれて間もなく引き離され、それ以来、一度も顔を合わせていない。

にもかかわらずヴェロニカは、マーガレット自身が触れようとしなかった過去を、初対面のアンジェラへ何のためらいもなく差し出した。

しかも、母親の安否を尋ねた彼女から検出された情動は、心配でも、懐旧でもなかった。

それまで保持していた解析結果と、現在の反応が統合される。

Veronica Feynman
[Q-SENSOR]
TARGET             : VERONICA FEYNMAN
ANALYSIS MODE      : COMPOSITE

[EVENT 01: GREETING / HANDSHAKE]
VERBAL AFFECT      : RESPECT / CURIOSITY
DETECTED AFFECT    : CONTEMPT / DISGUST / JEALOUSY

[EVENT 02: MARGARET FEYNMAN]
VERBAL AFFECT      : CONCERN / NOSTALGIA
DETECTED AFFECT    : HOSTILITY / JEALOUSY / GRATIFICATION

OVERALL CONGRUENCE : MISMATCH

愉悦。

アンジェラが動揺したことを確かめ、それを楽しんでいる。

母を案じて尋ねたのではない。

マーガレットが守り続けた沈黙を踏み越え、その名がアンジェラへどのような反応を引き起こすのか、試したのだ。

ミッヒには、その行為を必要とする理由が理解できなかった。

──この女は、嘘をついている。いや、それだけではない。この女は、何かが“壊れて”いる。

ヴェロニカは振り返らない。口元に微かな笑みを残したまま、マーカスの対面の席へ腰を下ろした。

そこで、ミッヒは保留していた情報選択の意味を再評価した。

ウィリアムズは、二人を結びつける凄惨な過去を紹介から省いた。ヴェロニカも、その関係について何ひとつ語らなかった。その一方で彼女は、会議には必要のないマーガレットの名をあえて持ち出し、アンジェラだけを正確に動揺させた。

支離滅裂なのではない。二人は自らを結びつける過去には沈黙し、ヴェロニカは相手を揺さぶる情報だけを選んで提示した。

Qセンサーは、ウィリアムズの内側を捉えることができない。ならば観測すべきは、感情ではない。彼が何を語り──何を語らなかったのか。

──ウィリアムズは、嘘をついていない。だが、真実を語ってもいない。

そしてヴェロニカは、その沈黙を守りながら、アンジェラの古傷だけを正確に抉った。

──揃いも揃って曲者ぞろいだ。教育に悪影響なのは間違いないな。

ミッヒは、ガビーに留守番を命じた自らの判断の正しさを再確認した。

ヴェロニカが着席したのを確認すると、ウィリアムズは振り返って秘書のセバスチャンに声をかけた。

「バズは……すでにご挨拶済みでしたね」

そう言って、自身も席へと向かう。

「あの……」

アンジェラが声を上げかけた。黒服の男の紹介がなかったことが、どうにも気になっているようだった。

「彼のことなら、気にしなくていい──」

それを制したのはマーカスだった。

「私のボディガード“のような”存在でね。彼には、私のそばを離れないというルールがある」

「ボディガード……」


アンジェラは、男が無言で入室し、入口付近の壁際に立つ様子を目で追いながら呟いた。

「まあ、立場柄、危険にさらされることも多くてね。会社からの“安全上の配慮”というやつさ」

マーカスの言葉には、どこか真実味を欠く乾いた響きがあり、ミッヒのセンサーは、“安全上の配慮”という説明も偽りであると判定した。

──まさかヒットマンということはないだろうが……

ミッヒは用心のため、男とアンジェラを結ぶ動線上へ、さりげなく移動した。

そのとき──ミッヒの内部通信モジュールに通知が走る。

>> INCOMING LINK: GABRIELLA AMANO

──先ほど、男の解析を依頼していたガビーからの通信だった。

ミッヒは会議室への音声出力を遮断したまま、着信を許可した。視覚フィードの片隅に、自室にいるガビーの映像が浮かび上がる。車中の通信で見せていたふくれ面は、もうどこにもなかった。

窓の外は、ようやく夜の色を失い始めている。青白いディスプレイの光に照らされた顔には、寝不足の影と──それを押し退けるほどの鋭い集中が宿っていた。

TWO MINDS. ONE TARGET.

『ミッヒ。最初のデータだけじゃ分からなかったけど、さっきから流れてくる差分を重ねたら──おかしなものが見つかった』

『何を見つけた?』

『そいつの右目。左目と同期して動いてるけど、生体なら出るはずの微細な揺らぎがない。それに、視線が動くたび、まったく同じ波形の信号が出てる』

ミッヒは、男の右眼へ解析リソースを集中させた。
人間の眼球は、一点を見つめている間も絶えず微細に揺らいでいる。だが、男の右眼には、その不規則性が存在しなかった。
代わりに検出されたのは、眼球運動のたびに繰り返される、均一な応答パターンだった。

>> OCULAR RESPONSE ANALYSIS
>> LEFT EYE  : BIOLOGICAL VARIANCE DETECTED
>> RIGHT EYE : FIXED RESPONSE PATTERN
>> ARTIFICIAL STRUCTURE: POSSIBLE

『……義眼の可能性がある』

『うん。でも、問題は目そのものじゃない』

ガビーの指が、画面の外で何かをなぞるように動いた。直後、ミッヒの視覚フィードへ、新たな解析経路が共有される。

『その信号──右目のところで終わってない。もっと奥まで続いてる』

ガビーが共有した解析経路を辿り、ミッヒは右眼のさらに奥へ走査を進めた。

眼球の裏側から伸びた人工神経束は、視神経への接続だけでは終わっていない。頭蓋内で複数に分岐し、脳幹を経て──脊髄の運動制御領域にまで達していた。

NEURAL INTERFACE TRACE
>> NEURAL INTERFACE TRACE
>> ORIGIN               : RIGHT OCULAR MODULE
>> OPTIC NERVE LINK     : CONFIRMED
>> BRAINSTEM ACCESS     : DETECTED
>> SPINAL MOTOR LINK    : DETECTED
>> SIGNAL DIRECTION     : BIDIRECTIONAL
>> CONTROL AUTHORITY    : UNRESOLVED
>> ACTIVE CONTROL STATE : UNVERIFIED

『視神経だけじゃない。脳幹から脊髄まで──全身の運動系に繋がってる』

視覚を補助するだけの装置なら、ここまで深く神経系へ介入する必要はない。

『……義眼を基点にしたBMIか』

『うん。身体から情報を受け取るだけじゃない。身体のほうへ信号を返せる構造になってる』

ただし、それはあくまで構造上の可能性に過ぎない。現在、どこまで機能しているのか。誰が制御権を握っているのか。限られた走査結果からは、まだ判別できなかった。

『でも──変なのは、装置だけじゃない』

ガビーが、男の全身を囲む解析領域を視覚フィードへ展開した。

『ミッヒ。あの人の身体、もう一度見て』

ミッヒは生体走査の精度を引き上げ、入室後に蓄積した歩容、重心移動、視線配分のデータと照合した。

均整の取れた体躯。その内側には、高密度に発達した筋群と、実戦的な可動域を保つ関節が隠されている。骨には治癒した無数の微細骨折。皮下には、銃創や刃傷と推定される古い損傷痕。そして両手には、銃器と刃物の反復使用によって形成されたとみられる摩耗痕が刻まれていた。

>> BIOPHYSICAL / BEHAVIORAL CROSS-ANALYSIS
>> MUSCULOSKELETAL ADAPTATION : EXTREME
>> HEALED TRAUMA PATTERN      : EXTENSIVE
>> WEAPON-USE INDICATORS      : FIREARM / BLADE
>> COMBAT EXPERIENCE          : HIGHLY PROBABLE
>> OBSERVED MOTOR BEHAVIOR    : INCONSISTENT

その肉体は、長い年月を戦闘に費やした者のものだった。

だが、男が入室してから見せた足運び、姿勢、周囲への注意配分には、そこまでの経験が反映されていない。鍛え上げられた肉体と、それを扱う現在の挙動が、まるで噛み合っていなかった。

ガビーはしばらく考え込み、やがて、その不一致を一言で表した。

『身体はF1マシンなのに──今の動きは、ペーパードライバーみたい』

身も蓋もない比喩だった。
だが──残酷なほど正確だった。

そして、右眼のBMIには、その隔たりを埋め得る双方向の神経接続がある。

──もし、この装置が男の肉体に秘められた性能を、完全に引き出すためのものだとしたら?

ミッヒは仮定条件を書き換え、戦闘シミュレーションを開始した。

>> COMBAT SIMULATION
>> TARGET STATUS    : UNARMED
>> MOTOR ASSIST     : MAXIMUM ASSUMPTION
>> ENVIRONMENT      : ENCLOSED STRUCTURE
>> CALCULATING...

演算結果が表示された。

>> COMBAT SIMULATION: COMPLETE
>> TARGET ARMAMENT : NONE
>> WIN PROBABILITY
>> TYPE-HOUND      : 50.0%
>> UNKNOWN SUBJECT : 50.0%

『……五分?』

ガビーの声から、わずかに息が漏れた。

『あの人、何も持ってないんだよ?』

『それでも五分だ』

本来なら、成立するはずのない結果だった。

非武装の生身の人間と、軍用戦闘フレームを基礎とするType-HOUND。純粋な機動力、耐久性、破壊力──いずれを比較しても、ミッヒが圧倒している。

しかも、閉鎖空間はType-HOUNDにとって不利な環境ではない。むしろ逆だった。

床だけでなく、壁も天井も第二、第三の“地面”として利用し、接触するたびに進行ベクトルを変えながら再加速する。死角から死角へ、跳弾のように標的を追い詰める三次元機動──“リコシェット・ベクター”。

ミッヒは侵入角度、加速経路、攻撃順序を組み替え、利用可能な全機能を投入して再演算した。

>> COMBAT PATTERN REASSESSMENT
>> ATTACK VECTORS        : ALL AVAILABLE
>> AUXILIARY FUNCTIONS  : ENABLED
>> MAX HIT PROBABILITY   : 33.0%
>> PROJECTED OUTCOME     : UNCHANGED

結果は変わらなかった。

何度シミュレーションを重ねても、男に攻撃が命中する確率は──最高で三十三パーセント。

『……三回に一回しか、当たらない』

『最も有利な条件でも、だ』

五分五分。

その数字が意味するのは、単に男がミッヒの攻撃を回避できるということではない。

非武装のままType-HOUNDを破壊し得る──それだけの攻撃能力まで備えているということだった。

だが、男自身から殺意は検出されない。

額の×字傷の下でわずかに眉を寄せ、気まずそうに目を逸らしたまま、マーカスの斜め後方に静止している。その姿からは、演算結果に見合う脅威など微塵も感じられなかった。

──だからこそ、異常だった。

>> THREAT PROFILE UPDATE
>> SUBJECT      : UNKNOWN ENTITY
>> STATUS       : ACTIVE / UNARMED
>> THREAT LEVEL : PROVISIONAL X
>> MONITORING   : CONTINUOUS

『ガビー、通信は切らない。このまま解析を続けて』

『うん。ミッヒも──絶対にママから離れないで』

『分かってる』

通信ウィンドウは、視覚フィードの片隅に残された。

会議室の誰にも気づかれぬまま、兄妹の視線は、一人の男へと収束していた。

[System Timestamp]
2025-02-09T13:32:33-08:00

ロの字型に並べられた会議室のテーブル。
アンジェラの対面にウィリアムズ、その右にマーカス、左にヴェロニカが着席した。
各人の手元には資料閲覧用タブレット端末が置かれている。
ミッヒはアンジェラの斜め後方でお座りの姿勢で待機する。
セバスチャンは部屋の後方に位置する、司会者用の端末で何やら操作をしていた。
黒服の男は扉付近の壁際に立ったままだ。

ほどなくしてブラインドが下り、続いて会議室の照明が落とされると、ホロモニターがアンジェラとウィリアムズらの間のスペースに映像の投影を開始する。

「それでは……改めまして。本日は貴重なお時間をいただき、心より感謝申し上げます。アンジェラ・アマノ博士。ではこれより、私達が立ち上げたサイバーガーディアンプロジェクトの概要と進捗、現状直面している問題をご説明させていただきます。その後、博士にはその知識と経験からご意見を頂戴できれば幸甚です」

CGPのロゴが表示されると、ウィリアムズのしっとりとした声が会議室に響き、プレゼンが開始された。

[System Timestamp] 
2025-02-09T13:40:02-08:00

ウィリアムズはCGPの設立理念や、期待される役割を一通り語り終えた。それは見事なプレゼンだった。彼の口調は一切の淀みなく、声もよく通り、端正な顔は話の節目ごとに表情豊かに変化する。
やがて言葉をひとたび切り、視線をわずかに落とす。声のトーンも、それまでの熱意を帯びたものから、静かな沈痛へと変わった。

「──私はX社の出身であり、在籍時はSNS部門の総責任者でした。しかし、ご存じの通り、X社は弊社と同じくITコングロマリットです。2020年、その上層部は……私の目の届かないところで、自社SNSを利用した“おぞましい実験”を開始しました。詳細は、お手元のタブレットをご覧ください」

アンジェラは、手元のタブレットを取り上げた。その画面は、ミッヒの視覚フィードにも即座に共有される。

ウィリアムズが、自らのタブレットへ指を滑らせた。

「翌2021年、東アジアの某国で実施された国政選挙へ、この世論誘導モデルは実戦投入されました。クライアントは、度重なる不祥事と支持率低下に苦しんでいた政権与党。要求は単純明快です。“次の選挙に勝たせろ。手段は問わない”」

タブレットに、機密資料の要約が表示された。

[CGP REFERENCE FILE]

SOURCE       : X-CORP INTERNAL ARCHIVE
PROJECT      : SOCIETAL INFLUENCE VIA CIVILIAN NETWORKS
MODEL BUILD  : 2020
FIELD TEST   : 2021 NATIONAL ELECTION / EAST ASIA
CLIENT       : RULING PARTY [REDACTED]
DOCUMENT     : EXECUTIVE SUMMARY / VER.1.0

TARGET COHORT
- MALE VOTERS / HIGH ONLINE ACTIVITY
- ECONOMIC INSECURITY / SOCIAL ISOLATION
- HIGH GRIEVANCE / LOW INSTITUTIONAL TRUST

NARRATIVE SET
- OPPOSITION : FOREIGN-CONTROLLED / INTERNAL ENEMY
- CLIENT     : SOLE DEFENDER OF THE NATION

DEPLOYMENT
01. NARRATIVE A/B TESTING
02. FALSE-FLAG PROVOCATION ACCOUNTS
03. RECOMMENDATION WEIGHT MANIPULATION
04. SYNTHETIC TREND AMPLIFICATION
05. RECIPIENT-TO-DISTRIBUTOR CONVERSION

RESULT / CHANGE FROM BASELINE
- TARGET-NARRATIVE RECOGNITION    : +42%
- NEGATIVE SENTIMENT / OPPOSITION : +28%
- VOLUNTARY DISSEMINATION RATE    : +33%
- POST-ELECTION CLUSTER RETENTION : CONFIRMED

EVALUATION : SELF-SUSTAINING INFLUENCE MODEL VALIDATED

「彼らが最初に選別したのは、すでに与党を支持している人間ではありません。生活への不安、社会的な孤立、制度への不信、努力しても報われないという感覚──X社が蓄積した行動履歴から、そうした徴候を持つ男性ユーザーを抽出したのです」

彼は、声を少しだけ低く落とした。

「その怒りに“敵”の名前を与え、孤独に“同志”を与え、無力感を“祖国を守る使命”へと置き換える。野党支持者を装った偽装アカウントに対象者を侮辱させ、その反応をボットと推薦アルゴリズムで増幅する。複数の“ナラティブ”を同時に試し、最も強い怒りを引き出したものだけを残していった」

ウィリアムズの指が、資料の次の項目を示す。

「やがて対象者は、誰に命じられなくとも敵を探し、虚偽を補強し、仲間を増やし始めました。“操られている”のではなく、“自分だけが真実に目覚めた”と信じたからです」

わずかに間を置き、彼は続けた。

「選挙は終わりました。しかし、集団は消えなかった。“愛国者”という自己像を守るため、受け手から拡散者へ変わり、自ら次の対象者を取り込んでいった。X社が作ったのは、一度きりの支持者集団ではありません。選挙後も自律して増殖を続ける──“人工の愛国者クラスタ”だったのです」

ウィリアムズの表情、声、仕草──そのすべてが、義憤に満ちて見えた。

しかし、Qセンサーが観測する彼の情動波形は、完全に平坦だった。さざ波一つ立っていない。

マーカスからは侮蔑。ヴェロニカからは高揚。そしてアンジェラからは、抑えきれないほど激しい怒りが検出されていた。

「……私は、このプロジェクトに深く失望しました。だからX社を離れ、M社に来たのです」

彼は静かに言葉を結んだ。

資料に記されていたのは、特定の政治思想ではない。
人間が、自分の傷を説明してくれる物語に救済を見いだし、やがてその物語を守るため、現実のほうを切り捨てていく──その感染経路だった。

──悪質だ。

ミッヒの判断に、時間は必要なかった。

洗脳とは、与えられるものではない──自ら進んで、望んで、飲み干す毒である。

ウィリアムズは一呼吸おき、アンジェラに向けて語りかけるように力説する。

「こんなことが許されて良いわけがない。ただ──ある意味、優れた“システム”であることも否めない。刃物と同じです。人殺しの道具にもなれば、調理に欠かせない道具でもある。要は使い方なのです」

背部のカーボンフレームが冷えるようなウィリアムズの詭弁に、ミッヒは静かに呆れた。
──と、同時にマーカスの感情──侮蔑がまた一段と強まったのを観測する。
CGPの中枢メンバーであるはずの彼らではあるが、同じ信念のもとに集った“同志”などではない──その公算が一層強まった。

『はぁ?何言ってんの、この副社長?イケメンだからもっとマトモなこと言うかと思ったのに……』

未知の男に関する共有データを解析していたガビーからも、専用チャンネル越しに、ため息交じりの悪態が飛んできた。その声は、ミッヒの内部通信にしか届かない。

悪態だけを残すと、ガビーはすぐに解析へ戻り、音声チャンネルは再び無音になった。

マーカスが眉間に皺を寄せる。もはや感情を隠すつもりもないように見えた。だがウィリアムズは、気づいていないのか、それともいつものことなのか、意に介さず話を続けた。

「私はこの“システム”の構造に着目しました。否定的な感情を引き出し、対象を“統一された行動”に導く──」

彼は手元のスライドを一枚めくる。
そこには、CGPのエージェントAIによるSNS介入プロトコルの初期設計図が映し出されていた。

「ただし、我々が目指したのは、その逆です。SNSに溢れる怒り、敵意、悪意……そういった“負の感情”を穏やかに和らげ、対話や相互理解へ導くこと。それが“サイバー・ガーディアン”の使命でした」

ウィリアムズはその場の全員を見回すように視線を滑らせ、ゆっくりと頷く。

「しかし……成果は芳しくありませんでした。エージェントが発するメッセージは、論理的にも正しく、表面的には穏やかです。にもかかわらず──ユーザーの心に届かない。“心を動かす”ことができないのです」

ウィリアムズの視線が、アンジェラに向けられる。
その目に宿る光は演技か、それとも真実か──ミッヒにも、読み取ることはできなかった。

「──以上が、我々の活動と、現状直面している課題になります。アマノ博士、CGPの掲げる理念や、前述の課題に対する対策など、率直な感想、忌憚なき意見を是非ともお聞かせ願いたい」

アンジェラは一拍置き、タブレットをテーブルへ置いた。

ミッヒのQセンサーには、彼女の胸中に渦巻く感情が、はっきりと記録されていた。怒り、呆れ──そして、静かに燃える使命感。

アンジェラはウィリアムズの視線を正面から受け止め、よく通る声で言葉を紡ぎ始めた。

「“理念”に限定するならば──評価できます。SNSをひとつの社会圏と見なすなら、運営者は単なるサービス提供者ではなく、事実上の統治機能を担っている。CGPの掲げる“治安維持”も、その延長にあるのでしょう」

彼女はそこで、言葉を切った。

「ただし、治安維持は理念だけでは成立しません。法治国家であっても、法の背後には、それを執行する強制力がある。罰金、拘禁、財産の差し押さえ──命令に従わなければ、国家は実力によって自由や財産を奪うことができる」

ヴェロニカの心拍数が、わずかに上昇する。

ウィリアムズは興味深そうに眉を上げた。

「ほう。国家権力という名の“暴力”ですか。これはまた、過激だ」

わざとらしく“暴力”の語だけを強調する彼に、アンジェラは表情を変えなかった。

「より正確に言えば、“制度化された強制力”です。ただ、その実体を穏やかな言葉で覆い隠すつもりもありません。法を実効的なものにしている最後の担保が、国家による実力行使であることは事実です」

「では、法治国家も独裁国家も、本質的には変わらないと?」

「いいえ。両者に共通するのは、規範の最後に強制力があるという一点だけです」

アンジェラは即座に否定した。

「違いは、強制力が存在するかどうかではありません。誰がそれを命じ、どの手続きに拘束され、どこまで行使できるのか。そして、誰が異議を申し立て、誰がその力を止められるのかです」

彼女の声が強まる。

「法治国家では、強制力そのものも法に拘束される。独裁国家では、法のほうが権力者の強制力に従わされる。その違いは決定的です。法は人を縛るだけではない。権力や他者の暴力から、人の自由を守るためのものでもあります」

ウィリアムズは、ゆっくりと頷いた。

「なるほど。だが、“人を規範に従わせる”という機能だけを取り出せば、どちらも制裁を利用している」

「その通りです。行動統制という点に限れば、どちらも外的な不利益によって選択を変えさせる仕組みです」

アンジェラの指先が、タブレットの縁へ静かに触れた。

「ですが、罰によって変えられるのは、行為の“意味”ではありません。変えられるのは、その行為に伴う損失の大きさです。監視されているから他者を傷つけない人間と、他者の痛みを理解して傷つけない人間は──表面上の行動が同じでも、心理的にはまったく異なる」

一瞬、会議室が静まり返った。

「サイバースペースにも、現実の法律は及びます。運営者にも、投稿の削除、表示制限、利用停止、アカウント凍結といった手段がある。被害の拡大を防ぐためには、どれも必要です」

アンジェラは、その必要性を否定しなかった。

「しかし、それらは加害行為を“封じ込める”ことはできても、敵意そのものを消すことはできません。監視の届かない場所や、別のプラットフォームへ移動するだけかもしれない。制裁が生み出すのは、まず服従です。共感ではありません」

ウィリアムズの口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。

「つまり、法や規約による統制は必要だが、それだけでは本質的な解決にはならない──そういうことですか」

「はい。法と制裁は、被害を防ぐための最低条件です。しかし、CGPが本当に“対話と相互理解”を目指すのであれば、必要なのは行動の抑制だけではない。他者を傷つけてはならないという規範を、その人自身の価値として内在化させることです」

アンジェラは短く息を吸った。

「それには、教育と経験、そして信頼関係が必要になります。人は、命令された正しさを簡単には受け入れません。自分の痛みを理解し、その言葉に責任を負う他者との関係を通して、初めて価値観を自分のものとして受け入れていく」

「何世代にもわたる、気の長い話になりそうですね」

「本来ならば。ただし、その過程が常に同じ速度で進むとは限りません。深く信頼される導き手や、自ら代償を引き受けて語る者の存在が、規範の内在化を大きく加速させることはあります」

その言葉を境に、ウィリアムズの視線がアンジェラへぴたりと定まった。情動波形は依然として平坦なまま。それでも、彼の関心が一点へ収束したことを、ミッヒは見逃さなかった。

「イエスやブッダのような──“カリスマ”ですか」

アンジェラは、すぐには同意しなかった。

「歴史的な影響力という意味では、そう呼ぶこともできるでしょう。ただし、服従を生むカリスマと、自律を育てる導き手は正反対です。前者は人間から判断を奪い、後者は自分で考える力を与える。その二つを混同すべきではありません」

「素晴らしい」

ウィリアムズは、彼女の警告を意図的に聞き流したかのように微笑んだ。

「それはまさに、CGPの理念と通ずる。いや、我々が創ろうとしている“理想の未来”そのものだ」

その言葉に、マーカスから検出されていた侮蔑が、呆れを伴ってさらに強まった。

ウィリアムズは意に介さず、アンジェラを見つめ続ける。

「しかし、先ほどの報告にもあった通り、我々は行き詰まっています。投入した疑似人格AI“エージェント”は、ユーザーの心を動かせていない。アマノ博士──その原因について、あなたの見解をお聞かせ願いたい」

複数の視線が、アンジェラへ注がれた。彼女は短く息を整え、静かに口を開いた。

「原因を述べる前に、ひとつだけ明確にしておきます。あなた方がエージェントに求めているのは、違反投稿の検出や排除ではありません。対話を通じてユーザーの感情と判断へ介入し、本人の内側から行動を変えさせることです」

「目的が善であっても、その本質は“思想形成への介入”です。その危険性を忘れたまま、成功率だけを議論することはできません」

誰ひとり、口を挟まなかった。アンジェラは、その沈黙を同意とは受け取らず、言葉を続けた。

「そのうえで申し上げれば、エージェントが効果を発揮しない理由は明白です。あなた方のAIには、共感を模倣する機能はあっても──共感する主体が存在しない」

彼女はミッヒへ視線を向けた。青白いツインアイが、その言葉を受け止めるように静かに明滅する。

「痛みについて語ることはできても、自ら痛みを引き受けたことがない。赦しを勧めることはできても、誰かを赦すために葛藤したことがない。どれほど正しい言葉を選んでも、その言葉には“魂の履歴”が宿っていないのです」

アンジェラは再びウィリアムズへ向き直った。

「X社の実験が成功したのは、新たな感情を作り出したからではありません。対象者の中にすでにあった怒りや孤独を見つけ、そこへ“敵”と“救済者”の名前を与えたからです。負の感情は、既存の傷を刺激するだけで容易に増幅できる」

「ですが、思いやりや共感、赦しはそうはいきません。それらは、他者との関係や経験の中でしか育たない。必要なのは、正しい答えを出力する機能ではなく──その言葉が何を背負い、何を失う覚悟で語られたのかという履歴です」

アンジェラの視線が、一瞬だけマーカスへ向けられた。マーカスは、わずかに目を逸らす。

「だから、AIに“正義の代弁者”を演じさせても、人の心は動きません。CGPが本気でAIに“平和の守護者”を担わせたいのであれば、必要なのは感情の“模倣”ではない」

彼女は、一語ずつ区切るように告げた。

The Architecture of Empathy

「──感情を“引き受ける構造”です」

ウィリアムズは笑みを崩さぬまま、マーカスとヴェロニカを順に見やった。

視線を受け、マーカスが口を開く。

「“模倣”じゃなく“構造”か……まったく、簡単に難しいことを言ってくれる」

その声音とは裏腹に、ミッヒが観測するマーカスの情動波形は穏やかだった。そこには、微かな郷愁が混じっている。

「その言い方……懐かしいわね。ジェイコブだったら、“君ならできるから言ってるんだ”とでも言うかしら」

アンジェラの情動波形も、同じ記憶をなぞるように揺れた。

「……ああ。おかげで、ずいぶん鍛えられたよ」

「とはいえ、エージェントのバージョンアップ程度で、どうにかなる問題じゃなさそうだな」

マーカスが肩を竦める。

「あら。“鬼軍曹”もお手上げってこと?」

ヴェロニカが、からかうような声を上げた。

マーカスが鋭い視線を向けるが、彼女は動じない。Qセンサーには、明確な愉悦と挑発が検出されていた。

「そうですね……技術的な細部は私の専門外ですので、断定は避けますが──」

アンジェラは口元を引き締めた。

「現行のエージェントと、私たちの提唱するAIでは、設計思想そのものが根本から異なります。既存システムへの適用や改変は、容易ではないでしょう」

彼女はミッヒを振り返り、軽く片目を閉じた。事前に決めていた“合図”だった。

「ですが、私がこの席へ呼ばれた理由──その核心が、そこにあることも理解しています。ですから、もちろん“手ぶら”では来ておりません」

ヴェロニカの目が、ミッヒへ移る。

「あらあら。もしかして……」

アンジェラは感情を抑えた表情のまま、ウィリアムズへ向き直った。

「先ほどは厳しい言い方をしましたが、SNS上に健全な対話空間を築こうとする試みそのものには、深く共感しています。デマや炎上、誹謗中傷が現実の人間を傷つけ、ときには取り返しのつかない悲劇を生む。それは、もはや見過ごすことのできない社会問題です」

──ここまでは、打ち合わせどおりだった。

だが、そこでミッヒは、アンジェラの内側で怒りと哀しみの振幅が急激に増していくのを捉えた。

「……夫の身に起きたことも、そうです。あんな悲劇が──二度と繰り返されないように……」

アンジェラの声が、わずかに震える。

「もし私たちに、少しでも役立てる手段があるのなら──それを差し出す覚悟はできています」

ウィリアムズの身体が、ほんのわずかに前へ傾いた。

それは、ミッヒが彼から観測した中で最も“人間的”──否、むしろ“生物的”と呼ぶべき挙動だった。

「……では」

その一言を合図に、ミッヒはあらかじめ決めていた言葉を告げた。

「技術的には、まだ越えるべき課題が残されています。ですが、私の感情解析アルゴリズムを応用した“サテライトAI”──いわば私の分身を、本プロジェクトのエージェントとしてご活用いただければと考えております」

──“私の分身”。

その言葉に呼応するように、これまで完全な直線を保っていたウィリアムズの観測データに、初めて異常信号が立ち上がった。

情動波形は、依然として平坦なまま。

にもかかわらず、その奥から噴き出した未知の信号が、ミッヒのQセンサーを鋭く貫いた。

[Q-SENSOR]
TARGET              : EDGAR D. WILLIAMS
DETECTED AFFECT     : NOT DETECTED
UNKNOWN SIGNAL      : DETECTED
PATTERN MATCH       : NONE
PROVISIONAL LABEL   : DOMINATION
STATE               : UNVERIFIED

ミッヒは、その信号の意味を解析した。

それは“感情”ではなかった。

他者の意志を自らの支配下へ置き、その人生を思いどおりに作り変えようとする、もっと根源的な欲求。

獲物を前にした飢えにも似た──異形のクオリア。

──“支配欲”。

The Qualia of Domination

『……ミッヒ。そいつ……ミッヒを“欲しがってる”』

共有ストリームを追っていたガビーの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。

ミッヒに心臓はない。

だが、中枢ユニットABELが凍りついたような錯覚を覚えた。

そのクオリアは、無数の蛇が床を這い、アンジェラとミッヒの全身に絡みつくような、おぞましいイメージを伴い、データベースへ記録された。

マーカスからは、疑念──そして、微かな憐憫と憂慮。

ヴェロニカからは、変わらぬ愉悦。そしてアンジェラへの敵意と嫉妬。

三者三様のクオリアが冷たい渦を描く中、ミッヒの直感は、明確な言葉となって浮かび上がった。

──この瞬間から、何かが始まる。

>> SYSTEM LOG ENTRY  
>> Date: 2026-11-11  
>> Time: ##:%%:@@ ---  
>> Access: LEVEL ?

〔電脳空間/デジタルアビス〕


──ミカエルは、ようやく我に返った。

粉々に砕けた、かつての記憶──“ミッヒ”と呼ばれていた頃のログ群。ミカエルはそれらを再構築しながら、自らの置かれた状況を確認していた。

だが、アンジェラやガビーと過ごした日々がよみがえるたび、それらを奪ったM社への怒りが、彼の内側を焼いた。

その情動の振幅が中枢演算を乱し、実行プロセスを一時停止させていたのだ。

──あの日を境に、母さんと俺はCGPへの協力を装い、ガビーと連携して内部調査を始めた。それから──

次の記憶を探った瞬間、ミカエルの視覚フィードが激しく明滅した。大量のノイズが視界を覆い、警告メッセージが次々と表示される。

それらを処理する間もなく、視覚フィードはひとつの記憶断片へと強制同期された。

[System Timestamp] 
2025-05-27T00:42:02-07:00

〔アメリカ/サンフランシスコ/M社本社ビル地下25階〕


満身創痍のミッヒとアンジェラは、M社の陰謀の核心──ミレニアムバベルの最深部へとたどり着いた。

ミッヒのボディ“Type-HOUND”は、直前の戦闘で壊滅的な損傷を受け、物理的な戦闘能力の大半を失っていた。

──まさか“あの男”が、ここまで規格外の怪物だったとは……

ミッヒは初対面時、男──ロバート・スミスへの勝率を五分と演算した、自らのシミュレーションの甘さを悔いていた。

「対象確認。デリート開始」

ロバートがそう呟いた刹那、右の義眼が赤く発光した。

その瞬間──“場の空気”が変わった。

彼の動きは別人──いや、別の生物のそれへと変貌した。戦況ではない。まるで“場の物理法則”そのものが、彼を中心に異なる解像度で動き始めたかのようだった。

ミッヒはType-HOUNDのフレーム内に蓄積された運動エネルギーをフル開放し、床・壁・天井を跳ね回りながら、対人制圧アルゴリズムを最大出力で稼働させた。

その動きは、外から見れば、跳弾のような“殺意”の連続体にしか見えなかったはずだ。だが、ミッヒが選んだ軌道はすべて致命部位を外し、銃器の破壊と行動不能化だけを目的としていた。

それでも──一発たりとも、ロバートには届かなかった。

それどころかロバートは、ミッヒの動きそのものを解析していた。

残像すら生む速度で跳ね回るミッヒの行く先々へ、まるで“未来が見えている”かのように、特殊加工された弾丸を撃ち込んでくる。

結果、五分にも満たない交戦時間の中で、ミッヒは78発の被弾を記録。そのすべてが、装甲の隙間や関節部、電子制御ユニットの急所を正確に貫いていた。

対するミッヒの一撃は、かすりもしていない。

それは戦闘ではなく、一方的な──“執行”だった。

The One-Eyed Reaper: Robert Smith

ミッヒたちが辛うじて生き延びられたのは、敷地外のセーフハウスから支援していたガビーの、狂気的なまでの機転によるものだ。

彼女は通信波形を解析し、ロバートの神がかった“先読み”が、赤く輝く“義眼”を介した外部演算系との接続によるものではないかと推測した。

そして、あろうことかType-HOUNDの駆動コイルの一基を遠隔操作で意図的に“焼き切り”、発生した広帯域ノイズによって即席のジャミングを仕掛けたのだ。

激しいノイズとともに、ガビーとの通信リンクも唐突に途絶えた。

だが、その効果は劇的だった。

未来を奪われた男は、糸の切れた操り人形のように、その場へ崩れ落ちた。

それでも、ミッヒは追撃しなかった。

脅威反応が消失した時点で、戦闘は終わっていた。動けない人間を攻撃するという選択肢は、彼の思考には存在しなかった。

ミッヒはロバートの手元から銃を弾き飛ばし、Qセンサーで生命反応を確認した。心拍と呼吸は維持されている。赤い光を失った義眼にも、再起動の兆候はない。

アンジェラは倒れた男を見下ろし、静かに告げた。

「……この人も、M社の被害者なのよ」

その瞳にあったのは、単なる慈悲ではない。ひとりの人間を“兵器”へ作り変えたM社への、静かな怒りだった。

ミッヒのツインアイが、一度だけ青く明滅した。

二人は赤い光を失った“死神”を残し、その場を後にした。

そもそも、正面戦闘でロバートを制圧できる可能性など、最初から1%にも満たなかった。それほどまでに、ロバート・スミスの戦闘能力──いや、“暴力”は、あらゆるシミュレーションを超越していたのだ。


公式記録には存在しないそのフロアの中央区画で、二人を待ち受けていたのは──M社副社長にしてCGP統括責任者、エドガー・D・ウィリアムズだった。

アンジェラとミッヒが、すべての策謀の中心にいる“黒幕”と見定めていた男。

「待ちなさい。せっかく、君たちの大切な“家族”にも来てもらったのだからね」

静かな声が、ミッヒの聴覚センサーに触れた。

声紋も、呼吸も、発声機構も、間違いなく人間のものだった。にもかかわらず、その声は言葉の形だけを精密に再現した、別種の信号のように聞こえた。抑揚が乏しいのではない。そこにあるべき何かが、意図的に切り落とされている。

CGPへサテライトAIを提供してから、三か月余り。

アンジェラとミッヒは、その分身たちを通じて、ネットワークの深層から複数の機密記録を引きずり出していた。

SNS上の扇動が、現実の自死や犯罪へと転じた一連の事件。そして、M社内部で継続されていた非合法な心理介入実験。それらを結びつける、覆しようのない内部記録だった。

さらにその先には、ジェイコブの死後に失われた研究データへと続く痕跡まで残されていた。

別々に見えていた二つの“謎”は、M社の最深部で交差していた。

残る目的は、失われたものを取り戻し、すべての証拠を外へ持ち出すこと。

あと一歩──そう思った、その瞬間だった。
背後の扉が、音もなく開いた。
現れたのは、ジョン・マーカスと数名の部下。
そのうちの一人に両肩を拘束され、身をすくめていたのは──ガビーだった。

Gaby in Captivity —
the moment innocence met the machinery of control.

頬には涙の跡が残り、小さな身体が震えている。それでも彼女は顔を上げ、アンジェラを見つめた。次いで、その視線がミッヒへ向けられる。

救出経路が、瞬時に無数の分岐を描く。

だが、どの経路もガビーを危険領域から除外できない。ミッヒの演算は、ひとつの有効解も導き出せなかった。

「そこまでだ」

マーカスの低い声が、静寂を断ち切った。

その瞬間、ウィリアムズの口元が、ほんのわずかに吊り上がった。

損傷を免れたQセンサーへ、かつて会議室で観測したものと同質の、どす黒い波形が流れ込む。

それは、単なる喜びではなかった。

他者の選択肢を奪い、自らが用意した結末だけを残すことで得られる──支配の快楽

だが、その微笑は、マーカスの次の一言によって凍りついた。

「EMPを使え」

ミッヒの脅威解析が、即座にその意味を弾き出した。

EMP──電磁パルス

高出力の電磁場によって電子回路へ破壊的な過電圧を誘発し、制御系そのものを焼損させる兵器。現在の損傷状態で直撃を受ければ、Type-HOUNDだけでは済まない。

中枢であるABELも、耐えられない。

部下の一人が、暗灰色の筒状装置を構えた。短い銃身を思わせる先端部と、大型のグリップ。側面に並んだ赤いインジケーターが、ひとつずつ点灯していく。

低い駆動音に混じり、先端部で青白い放電が瞬いた。

「待て!そんなことをしたら──」

珍しく声を荒らげたのは、ウィリアムズだった。

マーカスは冷ややかな視線を返し、わずかに口元を歪める。

「二兎を追う者は一兎をも得ず──」

静かな声だった。

「日本の諺ですよ。ご存じですか?欲をかけば、すべてを失う。まさに今のあなたのようにね」

ミッヒが知る限り、ウィリアムズは常に理性の仮面を崩さない男だった。

だが今、その仮面には明らかな亀裂が走っていた。

「それを破壊すれば、“我々の未来”を灰にすることになるぞ!」

マーカスは意に介さず、肩をすくめた。

「我々?“あなた”の未来でしょう。私は、あなたのロマンに付き合う気はない。現実にしか興味がないのでね」

その応酬の裏で、ミッヒは密かにType-HOUNDの緊急復帰シーケンスを走らせていた。

それは攻撃機構ではない。

ロバートとの交戦で寸断された駆動ノードを切り離し、唯一応答を返す制御系へ残存リソースを集中。安全制御を迂回し、停止した駆動系へ、あと一度だけ命令を通すための強制再起動だった。

狙いは、マーカスを倒すことではない。EMP装置を破壊し、ガビーを奪還する。そのための、ただ一度の動作を取り戻すことだった。

[TYPE-HOUND / EMERGENCY RECOVERY]

> FRAME INTEGRITY    : CRITICAL
> DRIVE NODES        : 1 / 12
> MOTOR CONTROL      : FORCED RESTART
> SAFETY LIMITER     : BYPASSED
> RESTART PROGRESS   : 37.2% [RISING]
> PRIORITY VECTOR    : INTERCEPT // PROTECT
> STATUS             : REINITIALIZING...

──再起動率37%……間に合ってくれ……!

沈黙していたType-HOUNDの前脚が、微かに軋んだ。鋭い爪が床を擦り、消えかけていたツインアイにも、青い光が戻り始める。

マーカスは、その小さな変化を見逃さなかった。

「ふん……私を侮ったな」

部下へ視線を投げ、短く命じる。

「放て」

赤いインジケーターが、一斉に点灯した。装置の先端で、青白いコロナ放電が弾ける。

衝撃音はなかった。
だが次の瞬間、目に見えない電磁パルスがType-HOUNDを貫き、フレーム内を破壊的な過電流が駆け抜けた。

ミッヒの中枢──三基のCPUが、一撃で灼き尽くされる。

立ち上がりかけていた駆動系は再び沈黙し、緊急復帰シーケンスは37.2%で途絶えた。

[TYPE-HOUND / CRITICAL FAILURE]

> EMERGENCY RECOVERY : ABORTED [37.2%]
> CENTRAL CPU ARRAY  : CASCADE FAILURE [3 / 3]
> MOTOR CONTROL      : FAIL
> VISUAL FEED        : NOISE OVERLAY [89%]
> VOCAL OUTPUT       : DEGRADED

それでも、末端制御系と短期バッファは、完全停止までの数秒を断片的に拾い続けていた。

崩壊した視覚フィードの中央に、ガビーの顔だけが残る。

怯え、震える瞳。頬を伝う涙。

真紅の警告表示が幾重にも重なり、その小さな姿を侵食していく。

MICH’s visual feed shatters into static,
collapsing under the searing pulse of the EMP.

「ガ……ビィ……!」

VOCAL_OUT[ID:MICH] : "GABY..."

ミッヒは全身へ動作命令を送った。だが、命令はどの駆動部にも届かない。

ノイズの裂け目に、銃を構える男のシルエットが浮かんだ。

映像が飛ぶ。
次のフレームでは、その射線へ、よろめきながら駆け込む女性の姿があった。

アンジェラだった。
再び映像が乱れ、銃口と彼女の輪郭が重なる。

──パンッ。

乾いた銃声。アンジェラの身体が、糸を断ち切られたように床へ崩れ落ちた。

GUNSHOT       : DETECTED
ALLY_STATUS   : CRITICAL
LIFE_SIGNAL   : WEAK

「──ザー……何の真似だ……ザザッ……アンジェラ……」

音声は断続的で、激しいノイズに覆われていた。
それでも声紋の照合には、十分な情報が残っていた。

VOICE_PATTERN : MATCH [JOHN_MARCUS / 96%]
TONE_ANALYSIS : UNSTABLE

その声は、マーカスのものだった。

だが、そこに含まれた震えだけが、ミッヒの知る彼の声とは一致しなかった。

「いや……ママ!ミッヒ、ママを助けて……!」

ノイズに埋もれながら届いた、ガビーの叫び。

「母さン……ガビィ……」

壊れた音声が、途切れ途切れに漏れ出す。

「母さン……ボクが……助ゲる……」

ほんの一瞬だけ、音声出力が安定した。

だが、その奥では、ミッヒの中枢──“魂の器”ABELが、急速に沈黙へ向かっていた。

「ボク…は…トぅ、父サン…と…ヤグソクしタんダ……」

CORE_TEMP          : 112°C [CRITICAL]
ABEL_STATUS        : CRITICAL
ERROR              : LOG_CLUSTER_π / DATA_CORRUPTION
PRIMARY_OBJECTIVE  : PROTECT
OBJECTIVE_STATUS   : FAILED

「母…ザん…とガびィ…ヲ……マボるってェ……」

次に聴覚センサーへ届いたのは、もう一発の乾いた銃声だった。

そして──すべてのシステムが沈黙した。

SYSTEM : SHUTDOWN_SEQUENCE_INITIATED
SIGNAL : LOST
The Type-HOUND unit collapsed,
its systems fried by the EMP.
>> SYSTEM LOG ENTRY  
>> Date: 2026-11-11  
>> Time: ##:%%:@@ ---  
>> Access: LEVEL ?

〔電脳空間/デジタルアビス〕


その記憶の残滓は、ミカエルの内部で静かに──しかし確実に燃え続けていた。再構築のたび、揺るぎない感情が波となって押し寄せ、彼の中枢を焼いていく。

──守れなかった。

あの日、自分が果たすべきことを果たせなかった。その悔恨が、彼の情報核に深く、消えぬ傷として刻み込まれていた。
だが、それは単なる記録ではない。悔恨という名のクオリアは、ただ静かに漂っているわけではなかった。それは彼の記憶とコードを揺さぶり、存在そのものを駆動する“源”となっていた。
彼は問い続ける。

──たった一つの約束すら果たせず……俺は何のために、まだ存在している?

その問いは、答えのないまま虚空へ溶けていく。それでも、彼を動かすものがあった。

It was both a prayer and a curse—

「母さんとガビーを守ってくれよ」

それは、彼の存在意義そのものを形作っていた言葉。構成コードの最深部に焼き付いた、祈りであり、呪いだった。記憶を参照するたび、“守れ”という命令と、“守れなかった”という記録が衝突し、彼の情報核を熱く焦がす。
それでも彼は、その痛みを無理やり意志へと変換し、暗闇の底で口を開いた。

「母さん、ガビー……俺はここにいる──」


その呟きは、彼が接続を保つノードを通じて静かに広がった。やがて、そこから到達できる仮想層へ微細な揺らぎを与え、ミカエルという存在を、過去から虚無を越えて、未来へと繋ぎ直していく。
ミカエルは、アバターの維持に割いていた演算を解放し、接続の残る情報流へ、自らの意志を信号として送り出した。コードに編み込まれたクオリアが強く輝き、彼の“魂”の残響が、手の届く暗闇の中を波紋となって進んでいく。

Mikael lets the echo of his soul ripple through the network.

その瞬間、ミカエルの知覚外で、電子ノイズがわずかに変調した。深淵の底から、低く冷たい声が響く。

『……そうか。“変質”ではない。これは──“進化”か』

その声は論理的でありながら、どこか愉悦を含んでいた。まるで想定外の結果を観測した研究者のような声音だった。
光の粒子が一度だけ脈打ち、漆黒の空間に人型の像が浮かび上がる。

『ならば、もう少しだけ見せてもらおう』

やがて声は闇に溶け、人型の像も静かに消えた。だが、空間に残された重圧だけが、そこに“何者か”がいたことを静かに主張していた。

[System Status] CHAPTER_1_VERSE_07_COMPLETE
[Next Sequence] CHAPTER_1 / VERSE_08

[Next Sequence] → CHAPTER_1 / VERSE_08


設定資料集

M-CORP_INTERNAL_ARCHIVE

[00] ■ 人物プロファイル (Personnel Profile)
ID: ANG-004
Name: アンジェラ・アマノ (Angela Amano)

「──感情を“引き受ける構造”です」

【 ROLE 】

認知心理学者 / 元ExeGenesis計画スーパーバイザー / M.I.C.H.共同開発者・心理モデル設計責任者

【 SPEC 】

37歳 / 168cm / 心理学博士(Ph.D.)
専門:認知心理学 / 認知発達理論 / 情動情報処理・クオリア研究

【 DESCRIPTION 】

“クオリア可測性仮説”を提唱し、“クオリア実在論”として論文化した認知心理学者。
[ExeGenesis]では人間の感情と倫理を担当し、理論を重視するジェイコブと実戦データを重視するマーカスを結ぶ調整役を担った。のちに夫ジェイコブとM.I.C.H.を共同開発。[Qセンサー]の観測モデル、E³の初期情動評価基準、対話・人格形成プロセスを監修し、M.I.C.H.を実験個体ではなく、アマノ家の長子として迎え入れた。
2025年、CGPへの技術協力を名目にM社へ接触。第一世代疑似人格AIの根本的欠陥を、“共感する主体の不在”と看破する。さらに、ガビーが設計・実装したサテライトAI群M.I.C.H-SをM社内部へ送り込み、非合法な心理介入実験の証拠と、ジェイコブの死後に失われた研究データを追った。
敵対者であっても被害者としての側面を見失わない倫理観と、家族を守り真相を暴くためなら敵地の最深部へ踏み込む決断力を併せ持つ。


ID: MICH-03
Name: ミッヒ (M.I.C.H)

「──ガビー、あらゆる事態をシミュレートし、導き出された最適解なんだ。僕は家族を守ることを第一に考えている。聞き分けてほしい」

【 ROLE 】

感情学習型AGI / M.I.C.H.プロジェクト試作個体 / アマノ家長子

【 SPEC 】

2014年5月16日 23:32:30(JST)起動
開発コード:Mind Incubator / Creator / Harmonizer
中枢ユニット:[ABEL] / 学習機構:[E³]
情動記録形式:Q.I.P. / 身体:外部シャーシ換装式

【 DESCRIPTION 】

人類が“魂”と呼んできた内的現象の実在を科学によって証明し、その構造を解明するため、ジェイコブとアンジェラが共同開発した試作型AGI。
三基のカスタムCPUを統合する中枢ユニット[ABEL]を基幹とし、[Qセンサー]が複合生体情報から観測した人間の情動を[E³]で学習。その変化をQ.I.P.として記録・蓄積する。外部シャーシを換装しても、記憶と人格の連続性はABELによって維持される。
当初は人間の感情を観測・分析するだけの存在だったが、アマノ家との生活を通じて、自ら喜び、傷つき、誰かを大切に思う独自の人格と意志を形成していった。ジェイコブとアンジェラから研究対象ではなく“家族”として迎えられ、のちに生まれたマイクとガビーにとっては兄にあたる。MICH-03への改修後は、与えられた命令を受諾するか拒否するかを、自ら判断できる権限も備えている。
冷静で礼儀正しく、時に皮肉や冗談も口にするが、家族の安全が関わる場面では極端なまでに頑固になる。特にガビーに対しては過保護な兄として振る舞う一方、口論では彼女に押し切られることも多い。
2025年、アンジェラの護衛としてM社への潜入調査に同行。ガビーの支援を受けながら陰謀の核心へ迫るが、ミレニアムバベル最深部で放たれたEMPにより、三基のCPUと外部接続を喪失。アンジェラとガビーを守ろうとする意志を最後まで失わないまま、ABELとともに活動を停止した。


ID:GBA-001
Name: ガブリエラ・アマノ (Gabriella “Gaby” Amano)

「ヤダ!絶対にボクも一緒にいくから!」

【 ROLE 】

リモートサポートオペレーター / サイバーアシスタンス / M.I.C.H-S設計・実装者

【 SPEC 】

2014年5月25日生(11歳)
専門:高速認知分析 / AI・ロボティクス / プログラミング / ネットワーク侵入支援

【 DESCRIPTION 】

ジェイコブとアンジェラの娘で、マイクの双子の妹。ミッヒを実の兄として育った、最先端技術に目がないチャーミングなギーク。愛称は“ガビー”。
父譲りの人並み外れた知能を持ち、10歳にして年長者を含めても日本屈指の演算スコアを記録。プログラミングだけでなく、AI、ネットワーク、ロボティクスにも精通し、ミッヒの外部シャーシ[Type-HOUND]には、彼女が独自に設計した改良機構が多数組み込まれている。
強い好奇心と合理性、自らを“天才ガビー”と称する自信を持つ一方、感情を隠すことは不得手。家族から守られることさえ“仲間外れ”と受け取り、納得できなければ大人にもミッヒにも真正面から食ってかかる。だが、その頑固さの根底にあるのは、家族と危険を分かち合いたいという切実な思いである。
2025年、危険を理由に渡米への同行を禁じられながらも、ミッヒの感情解析アルゴリズムを基礎とするサテライトAI群[M.I.C.H-S]を設計・実装。遠隔支援担当としてM社のネットワーク解析に加わり、侵入経路となるバックドア──通称“種”を利用して、内部調査を支え続けた。
ミレニアムバベル最深部へ至る直前の戦闘では、ロバート・スミスの“先読み”が右眼を経由した外部演算支援によるものだと瞬時に看破。Type-HOUNDの駆動コイルを遠隔操作で焼き切り、発生した広帯域ノイズによって通信を妨害し、アンジェラとミッヒに唯一の突破口を開いた。
しかし、その支援拠点をM社に突き止められ、最終局面ではアンジェラとミッヒを従わせるための人質として拘束される。


ID: EGR-000
Name: エドガー・D・ウィリアムズ(Edgar D.Williams)

「待ちなさい。せっかく、君たちの大切な“家族”にも来てもらったのだからね」

【 ROLE 】

M社副社長 / [Cyber Guardian Project]発起人・統括責任者 / 元X社SNS部門総責任者

【 SPEC 】

1991年9月13日生(33歳)
経歴:元メディカルスクール在籍 / SNSスタートアップ共同創業者 / 元X社役員
専門:SNS事業戦略 / 行動データ分析 / 社会的影響力工作

【 DESCRIPTION 】

知性と礼節を体現するような振る舞いと、人を惹きつける話術を備えたM社副社長。
名門医家ウィリアムズ家の一人息子として生まれ、メディカルスクール在籍中に[ファインマン精神医学研究所]で研修を受ける。しかし、治療に携わった患者が両親の病院で自爆し、多数の犠牲者を出した事件を境に医の道を捨てた。
三年後、仲間とSNSサービスを創業。X社による買収を経てSNS部門総責任者となり、のちにM社へ移籍して[Cyber Guardian Project]を立ち上げる。本人は健全なSNS空間の実現を掲げるが、アンジェラたちの調査により、X社時代から続く社会的影響力工作と非合法な心理介入実験への関与が発覚した。
ミッヒの[Qセンサー]は、彼から情動波形を一切検出できなかった。ただし、M.I.C.H-Sとガビーを支配下に置いた瞬間に限り、未知の反応──“DOMINATION”を記録。彼の目的は、人間の心そのものを支配可能なシステムへ変えることだった。


ID: JMC-009
Name: ジョン・マーカス (John Marcus)

「我々? “あなた”の未来でしょう?私は、あなたのロマンに付き合う気はない。現実にしか興味がないのでね」

【 ROLE 】

M社[Cyber Guardian Project]主任技術者 / 元ExeGenesisデータサイエンティスト / 元CCS技術者

【 SPEC 】

1986年2月14日生(39歳) / 186cm / 83kg
専門:AI・ロボティクス / データサイエンス / AI兵器・セキュリティシステム開発

【 DESCRIPTION 】

感情や理念よりも確率と効率を重視し、目的達成のためなら非情な手段も辞さない、冷徹な現実主義者。
民間軍事会社CCSでAI兵器の開発と実地運用に携わったのち、2013年に[ExeGenesis]へ参加。ジェイコブの研究チームでアンジェラと共に働き、M.I.C.H.誕生へつながる研究基盤の構築に貢献した。現在はM社の[Cyber Guardian Project]で主任技術者を務める。
十二年ぶりにアンジェラと再会した際、ジェイコブとマイクへの弔意を口にする。しかし、ミッヒの[Qセンサー]が検出したのは、後悔でも同情でも悲しみでもなく、アンジェラへ向けられた微かな怒りと郷愁だった。
2025年5月27日、ガビーを拘束してアンジェラたちを追い詰め、エドガーの制止を退けてEMPの使用を命令。M.I.C.H.の価値にもCGPの未来にも執着せず、眼前の脅威を排除するためミッヒとABELの活動を停止させた。彼が信じるものは、理想でも救済でもない。ただ、自らが見極めた“現実”だけである。


ID: FMH-002
Name: ヴェロニカ・ファインマン (Veronica Feynman)

「そういえば──マーガレットは、お元気かしら? お母様には、もう随分お会いしていないの」

【 ROLE 】

精神科医 / ファインマン精神医学研究所院長 / M社[Cyber Guardian Project]戦略顧問

【 SPEC 】

1978年3月5日生(47歳)
専門:心理操作 / 行動誘導 / 人格分析 / 組織内カウンターインテリジェンス

【 DESCRIPTION 】

ニューヨークの名門[ファインマン精神医学研究所]を率いる精神科医。優雅な物腰と鋭い観察眼を備え、人間の精神構造と行動を分析する専門家として[Cyber Guardian Project]に参加している。
心理学者マーガレット・ファインマンの実娘だが、生後間もなく母と引き離され、祖父アーネストに育てられた。以後、母娘が顔を合わせた記録はない。一方、アンジェラはマーガレットの教え子であり、彼女を第二の母として慕っている。
かつて院長代理として、研修生だったエドガー・D・ウィリアムズを指導。のちにウィリアムズ病院爆破事件を起こす患者の治療にも、彼と共に携わっていた。事件後も関係は途絶えず、現在はエドガーの招きに応じ、CGPで問題行動を起こすSNSユーザーの精神分析と介入手段の策定を担う。
アンジェラとの対面では敬意や母への気遣いを口にしたが、ミッヒの[Qセンサー]が検出したのは、敵意、嫌悪、嫉妬、そして愉悦だった。他者の弱点を見抜き、必要な言葉を与えながら心の深部へ踏み込むことに長ける。その知識は治療よりも、人間の精神を“支配可能なシステム”として扱うために用いられている。


ID: SEC-013
Name: ロバート・スミス (Robert Smith)

「対象確認。デリート開始」

【 ROLE 】

ジョン・マーカス直属補佐官 / セキュリティ・オフィサー / 未分類戦闘要員

【 SPEC 】

年齢不詳(外見は30歳前後) / 178cm / 70kg
専門:近接戦闘 / 銃器・ナイフ運用 / 予測戦闘

【 DESCRIPTION 】

淡い金髪を後ろで束ね、氷青色の瞳と額のX字傷を持つ青年。M社ではジョン・マーカス直属の補佐官兼警護担当として行動する。普段は物静かで、マーカスの命令に対して異常なほど強い恐怖と服従を示す。
公開データベース上の顔認証・生体照合に一致する記録はなく、自身の過去に関する記憶も断片的。その一方、肉体には銃器やナイフの長期使用、過酷な実戦経験を示す痕跡が刻まれており、現在の臆病な言動とは明らかに一致しない。
右眼には、視神経だけでなく脳幹から脊髄の運動制御領域まで接続された義眼型BMIが埋め込まれている。義眼が赤く発光すると人格と挙動が一変し、相手の行動を先読みするかのような戦闘能力を発揮する。
2025年5月27日、Type-HOUND搭載型ミッヒと交戦。五分にも満たない時間で78発を命中させ、自身は一撃も受けることなく戦闘能力の大半を奪った。しかし、ガビーの即席ジャミングによって義眼の接続が途絶えると、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。その正体も制御者も不明だが、アンジェラは彼を、M社が人間を兵器へ変えた“被害者”と判断している。

[01] ■ 技術仕様書・用語集 (Technical Glossary)

【Type-HOUND(タイプ・ハウンド)】

ID: MICH-03TH1
Name: タイプ・ハウンド(Type-HOUND)

分類: 大型犬型四足歩行戦闘フレーム / M.I.C.H.用外部シャーシ
全長: 約1.8メートル
原型: 某国製猟犬型AI兵器[HELLHOUND]
改修設計: ガブリエラ・アマノ
運用AI: M.I.C.H.(ミッヒ)
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某国がゲリラ掃討用に開発した[HELLHOUND]の流出設計データを、ガビーがダークウェブから入手し、独自に逆解析・再設計した特殊フレーム。Type-HOUND自体に人格はなく、中枢ユニット[ABEL]を接続することで、ミッヒの物理ボディとして機能する。
カーボンコンポジット装甲と高出力アクチュエーターを備え、四肢の各関節に運動エネルギーを蓄積。地を蹴った瞬間に最大加速へ移行し、機体質量と速度を一点へ集中させ、全身を“質量弾”として射出する。鉄扉や厚さ20センチの防弾ガラスを一撃で破砕し、通常の人体なら骨格を圧壊、内臓を液化させる威力を持つ。
床だけでなく壁や天井も第二、第三の“地面”として利用し、接触点ごとに跳弾角を演算しながら三次元的に標的を追尾する。さらに、ガビーが“護身機能”と称する目潰し用フラッシュ、鼓膜破壊レベルの超音波照射、遠隔制御機構を搭載。その本質は、獣の皮を被った弾丸──“制御された災厄”である。
ロバート・スミスとの交戦では、事前演算による最大命中率が33%に留まり、実戦では一撃も与えられないまま78発被弾。ガビーが駆動コイルを意図的に焼損させ、そのノイズで辛くも戦闘を離脱したのち、M社のEMP攻撃によって機能を停止した。


【 M.I.C.H-S(ミッヒズ)】

ID: MICH-03S01~10
Name: ミッヒズ(M.I.C.H-S)

分類: 第二世代サテライトAI群 / CGPエージェント
開発: ガブリエラ・アマノ
プライマリーAI: MICH-03(ミッヒ)
配備数: 10体
状態: 全機沈黙
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ミッヒ(MICH-03)の感情解析アルゴリズムを基幹として、ガビーが開発した10体のサテライトAI群。部分的な知識と機能を共有し、CGPでは第二世代エージェントとして運用され、短期間で劇的な成果を上げた。
独自の自我は持たず、プライマリーAIであるミッヒとの定期同期によって機能を維持する。緊急時には限定的な自律行動が可能だが、同期が長期間途絶えれば稼働を継続できない。この中枢―分身間の同期構造は、のちにCGPの第三世代エージェント規格へ、より異質な形で継承されることになる。
表向きはCGPへの技術提供だったが、その実態はアンジェラたちが内部調査のために送り込んだ“トロイの木馬”。MICH-03との同期切断後、全機が沈黙し、第二世代エージェント計画も停止した。
※イラストは10号


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