二十年通ったスーパーが消えた日。――「道法自然」。変化を受け入れるということ。――
ある日の朝、街歩きをしていた。
駅前の大型スーパーが取り壊されていた。二十年以上通った店だった。
クリスマスにはチキンレッグとシャンパンを買った。
仕事帰りにはワイシャツやネクタイを選び、休日にはジーンズや靴を眺めながら店内を歩いた。
特別な出来事があったわけではない。
それでも振り返れば、人生の節目にはいつもあの店があった。
閉店したと聞いた時よりも、建物そのものが消えてしまった今の方が寂しい。
思い出には、場所が必要なのだと初めて知った。
帰り道、自宅近くのグラウンドにも立ち寄った。
ここも工事用フェンスに囲まれていた。
長年親しまれてきたグラウンドは、本格的な陸上競技場へと姿を変えようとしている。
私はここを何度歩いただろう。
健康診断の結果を見て歩いた朝。
仕事のことを考えながら走った朝。
夏の湿った空気も、冬の白い息も、この場所にはまだ残っている気がする。
その景色も、もうすぐ見られなくなる。
フェンス越しに工事を眺めながら、不思議なことに気づいた。
街は突然変わるわけではない。
毎日少しずつ工事が進み、
毎日一本ずつ鉄骨が組み上がり、
毎日少しずつ景色を書き換えていく。
私が気づかなかっただけなのだ。
人もきっと同じなのだろう。
昨日の自分と今日の自分はほとんど変わらない。
しかし十年前を振り返ると、街も、自分も、驚くほど姿を変えている。
その時、ふと老子の言葉が浮かんだ。
「人法地、地法天、天法道、道法自然」
(『老子』第二十五章)
人は地を手本とする。
地は天を手本とする。
天は道を手本とする。
そして、道は自然(じねん)を手本とする。
ここでいう「自然」は、山や川ではない。
自ずからそうあること。
あるがまま。
人の都合だけでは動かせない、大きな流れである。
スーパーがマンションになる。
グラウンドが競技場になる。
それは私には少し寂しい出来事だった。
けれど街が生きている以上、変わることもまた「あるがまま」なのだ。
私たちも同じなのだろう。
若い頃の体力は戻らない。
会社員だった日々も戻らない。
家族との時間も、子どもの頃の街並みも戻らない。
もちろん、失ったものは戻らない。
二十年前のクリスマスも戻らない。
あの店でネクタイを選んだ日も戻らない。
早朝のグラウンドを歩いていた、あの頃の私も戻らない。
それでも、未来まで失われたわけではない。
十年後、このマンションには新しい家族の思い出が積み重なっているだろう。
競技場では、誰かが自己ベストを更新しているかもしれない。
今は工事中のこの景色も、いつか誰かにとって「懐かしい場所」になる。
思えば、人生もそうやって続いていく。
老子は「道」を説いた。
その「道」は、本を読んだだけでは見えてこない。
私は、こう思う。
道(タオ)は、歩くことでしか分からない。
二十年間、あのスーパーへ歩いた。
何百回も、あのグラウンドを歩いた。
だから、失ったものの大きさが分かる。
そして、これからも歩き続けるからこそ、新しく得るものにも出会える。
失うことは、歩いてきた証だ。
歩き続けることは、未来への約束だ。
変化を止めることはできない。
ならば、その流れを恐れるよりも、その流れの中を、自分の足で歩いていきたい。
今日の持ち帰り
そこを歩いたから、失ったものが分かる。
そして歩き続けるから、これから得るものも見えてくる。
#人生再点火 #60代 #老荘思想 #街歩き #再開発 #NOTE
【60代から始めたもう一つの挑戦】
人生再点火の一環として、小説創作にも取り組んでいます。
現在、TALESにて伝奇ミステリー小説を公開中です。
noteとは少し違う世界ですが、こちらも私の大切な創作活動です。
興味をお持ちいただけたら、ぜひご覧ください。
連続5週間ランキング入り中です!
▼ TALES作品ページ
(リンク)
