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テレビや動画の時間を【自分の為の時間】に変えてみたら起きた事。

夕食を終えた。

「今日はよく働いた。」

誰に言うでもなく、そんなことをつぶやく。

少しだけ口寂しい。

ダイエット中なので、お菓子ではなく干し芋のしっぽを一本だけかじる。

……しっぽだから、カロリーも少ない気がする。

もちろん、そんな都合のいい話はない。

テレビをつける。

旅番組では、温泉旅館の夕食が並んでいる。

干し芋をかじりながら、それを見る。

なかなか修行僧のような時間である。

CMになる。

今度はスマートフォンを開く。

おすすめ動画が次々と流れてくる。

猫。

ジャズ。

歴史。

ラーメン。

猫。

気が付けば、テレビも見ているし、動画も見ている。

……私は一体、何を見ているのだろう。

いや、それ以前に、

どちらも、ちゃんと見ていない。

その時、ふと思った。

「この二時間は、明日の私に何か残るのだろうか。」

もちろん、テレビは好きである。

YouTubeも好きだ。

だから悪者にするつもりはない。

旅番組を見れば旅に出たくなる。

料理番組を見れば料理人になった気分になる。

プロ野球中継を見れば、なぜか監督になった気分になる。

人間というのは、実に忙しい。

しかし翌朝になると、

昨日何を見たのか思い出せない。

旅館だけは覚えている。

夕食が豪華だったことも覚えている。

それなのに、肝心の番組名は出てこない。

私の記憶は、どうも食欲に支配されているらしい。

そんなある日、

「これは私だけなのだろうか。」

と思って調べてみた。

すると、面白い学説に出会った。

UCLAの認知心理学者、

ロバート・A・ビョーク教授の

『Desirable Difficulties(望ましい困難)』

という理論である。

難しい名前だが、

言っていることは意外に身近だ。

人は、

楽に頭へ入った情報より、

少し苦労して理解したこと、

自分で考えたこと、

思い出そうとしたことの方が、

長く記憶に残るという。

私は妙に納得した。

動画を見ることが悪いのではない。

ただ、

ぼんやり眺めているだけでは、

脳も、

「まあ、そのうち忘れてもいい情報だな。」

くらいに思ってしまうらしい。

一方、

本を読み、

考え、

noteを書き、

小説を書き、

曲を作る。

これは少々面倒である。

面倒だから、

脳も、

「これは覚えておいた方がよさそうだ。」

と本気になる。

人の脳というのは、

案外、横着者なのかもしれない。

それから私は、

夜の過ごし方を少しだけ変えた。

テレビをまったく見ないわけではない。

動画も見る。

ただ、

「何となく見る時間」

を少し減らした。

その代わりに、

本を開く。

noteを書く。

小説を書く。

AIで曲を作る。

すると不思議なことに、

夜が短くなった。

いや、

時間は同じなのだが、

中身だけが濃くなったのである。

考えてみれば、

この一年で私が作ったものは、

ほとんど夜に生まれている。

noteの記事。

長編小説。

YouTubeに公開した曲。

あの時間は、

何か特別な才能があったからではない。

テレビを見ていた二時間の、

ほんの三十分を借りただけだった。

年齢を重ねると、

「もう遅い」

という言葉をよく耳にする。

しかし私は最近、

少し違うことを思う。

遅いのではない。

夜が、

まだ残っているのである。

二時間あれば、

本を三十ページ読める。

文章も書ける。

ピアノも弾ける。

英語も覚えられる。

もちろん、

干し芋のしっぽも食べられる。

人生は、

案外、

そんな小さな時間の積み重ねで出来ているのかもしれない。

だから今夜も、

テレビのリモコンを手に取る前に、

本を一冊開いてみようと思う。

干し芋のしっぽをかじりながら。

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【60代から始めたもう一つの挑戦】
人生再点火の一環として、小説創作にも取り組んでいます。
現在、TALESにて伝奇ミステリー小説を公開中です。
noteとは少し違う世界ですが、こちらも私の大切な創作活動です。
興味をお持ちいただけたら、ぜひご覧ください。

▼ TALES作品ページ
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