60代でバタフライ100m泳げた話――脳は意外と諦めていない――
60代でバタフライ100m泳げた話
――脳は意外と諦めていない――
プールでバタフライ100mを泳ぎ終えた時、一番驚いていたのは私自身でした。
息は上がる。腕は重い。肩も悲鳴を上げている。それでも不思議と嬉しかったのです。
小学生の頃、学校の体育で水泳を習いました。その後も泳ぐ機会はありましたが、クロールは自己流で覚えた程度。競泳選手だったわけでもなければ、水泳が得意だったわけでもありません。
そんな私が六十代になって、バタフライ100mを泳ぐようになるとは思ってもみませんでした。
バタフライに挑戦しようと思ったのは数年前です。
最初は見よう見まねでした。
ところがやってみると全然違う。
自分では優雅なイルカのつもりなのに、水面ではバタバタしているだけ。前に進まない。苦しい。格好悪い。
頭の中ではマイケル・フェルプス。
現実は溺れかけたアザラシです。
それでも面白かったのです。
そこでYouTubeを見始めました。
一つはマイケル・フェルプスのトレーニング動画。
もう一つは、"A Shaw Way to Fly – Alexander Technique Butterfly" という動画でした。
世界最高峰の競泳選手の泳ぎと、身体の使い方を丁寧に解説する動画を何度も見返しました。
もちろん、動画を見ただけで泳げるようになるわけではありません。
頭では理解したつもりでも、実際の私は相変わらず水面で暴れていました。
それでも不思議なもので、何度も見ているうちに少しずつ感覚が変わってきました。
フェルプスの動画からは、
「人間はここまで泳げるのか」
という驚きをもらいました。
一方、アレクサンダー・テクニックの動画からは、
「身体はこう使うのか」
という発見をもらいました。
一つは頂点を見せてくれる動画。
もう一つは、自分の身体に戻ってくるための動画。
そんな気がしています。
そこから独学で二年間。
最初は5m。
次は10m。
やがて25m。
本当に少しずつでした。
25m泳げた頃、欲が出ました。
もう少し上手くなりたい。
そこでスイミングスクールへ通い始めました。
先生にフォームを見てもらい、自分では気づかなかった癖を修正する。また泳ぐ。できるようになったと思ったら、新しい課題が見つかる。
その繰り返しでした。
さらに二年。
泳力検定二級を取得。
そしてバタフライ100mを泳げるようになりました。
今振り返ると、100m泳げたこと以上に驚いていることがあります。
それは、自分の脳がまだ学習していたことです。
最近、「認知予備力」という言葉を知りました。
脳に余力や蓄えを作る考え方です。
読書や学習、創作活動、新しい技能の習得などによって脳のネットワークに余裕を持たせるという考え方で、認知症研究の分野でも注目されています。
実際、アメリカ・テキサス大学ダラス校の心理学者デニース・パークらは、高齢者に写真撮影や手芸などの新しい技能を学んでもらう研究を行いました。
すると、単に人と交流するだけのグループよりも、記憶力の改善が見られたそうです。
脳は「少し難しい新しい挑戦」を好むらしいのです。
この研究を知った時、私は思わず笑ってしまいました。
私にとっての「少し難しい新しい挑戦」が、まさにバタフライだったからです。
また、世界的医学誌『ランセット』の認知症予防委員会も、学習や知的活動、社会参加などが脳の健康維持に重要な役割を果たすと報告しています。
もちろん私は研究者ではありません。
けれど、自分自身の体験として言えることがあります。
脳は意外と諦めていない。
六十代になっても、新しい動きを覚える。
新しい感覚を学ぶ。
新しい世界を知る。
そういう力をまだ持っている。
それはとても嬉しい発見でした。
最近の私は、
AIで曲を作る。
noteを書く。
新しい本を読む。
そして泳ぐ。
どれも成果を競うためではありません。
利益を追いかけるためでもありません。
面白いからやる。
好奇心が動くからやる。
その結果として、少しずつ世界の見え方が変わっていく。
前回の記事で「人生再点火」という言葉を書きました。
今はその意味が少し分かる気がしています。
人生を再点火するとは、何か大きな成功を目指すことではない。
昨日までできなかったことが、今日少しできるようになる。
知らなかったことを、一つ知る。
できないと思っていたことに挑戦してみる。
そういう小さな積み重ねなのだと思います。
六十代になると、自分で自分の限界を決めてしまいがちです。
もう遅い。
今さら無理だ。
そう思うこともあります。
けれど私の脳は違いました。
少なくとも、バタフライ100mを泳げるようになるまでは諦めていなかった。
そして今も、新しいことを覚え続けています。
日々、少しずつ悟る。
日々、少しずつ更新する。
それが私にとっての「人生再点火」なのかもしれません。
