「過去を手放す」ということ。
猫が、棚の上に飛び乗ろうとしていた。
いつものように軽々と――と思ったら、どうやら目測を誤ったらしい。
派手にずっこけた。
私は思わず猫を見る。
猫もこちらを見る。
ところが、特に恥ずかしそうでもない。
何事もなかったような顔をして、すぐに別のことを始めた。
「恥ずかしくないのかな。」
そう思って見ているうちに、ふと別の疑問が浮かんだ。
猫って、後悔しないのだろうか。
それに比べて、人間はなかなか大変だ。
私など、いまだに子どもの頃のちょっとした失敗を突然思い出すことがある。
しかも、大事件でも何でもない。
半世紀も前の、今となってはどうでもいいような失敗だ。
それなのに、何かの拍子に突然よみがえる。
「あのとき、なんであんなことしたんだ……。」
「あー!」
いまだに顔を覆いたくなる。
もちろん、今さらどうすることもできない。
そのとき一緒にいた人だって、とっくに忘れているだろう。
そもそも覚えているのは、私だけかもしれない。
それでも私の頭の中では、ときどき勝手に再上映される。
猫は、数分前の大失敗さえ気にしていないように見える。
私は、半世紀前の失敗まで引っ張り出してくる。
人間というのは、ずいぶん過去を長持ちさせる生き物らしい。
そんなことを考えていて、仏教の教えが気になった。
調べてみると、まさに「過去」について語った経典があった。
初期仏教の経典群『中部経典(Majjhima Nikāya)』の第131経、**Bhaddekaratta Sutta(バッデーカラッタ・スッタ)**である。
パーリ語の原典には、
“Atītaṃ nānvāgameyya, nappaṭikaṅkhe anāgataṃ”
という一節がある。
Thanissaro Bhikkhuによる英訳では、
“You shouldn't chase after the past
or place expectations on the future.”
と訳されている。
日本語に意訳するなら、
「過去を追いかけない。未来に期待をかけすぎない。」
というところだろう。
そして、その理由が続く。
過去はすでに去った。
未来はまだ来ていない。
だから、現在に起きているものを、きちんと見る。
2500年ほど前の人も、
「あのとき、ああしていれば。」
「あれをしなければよかった。」
と、過ぎたことを思い患っていたのだろうか。
もちろん、私のように半世紀前の失敗を思い出して、
「あー!」
と顔を覆っていたかどうかは分からない。
でも、人間が過去に心を引っ張られるという問題そのものは、ずいぶん昔から変わっていないらしい。
でも、過去を振り返ることは悪いことなのか
ここで私は、少し引っかかった。
過去を振り返らないなんて、本当にそれでいいのだろうか。
失敗を思い出すから、
「あれは良くなかった。」
と反省できる。
そして、
「次はこうしよう。」
と考えることもできる。
後悔には、意味がある。
過去の失敗から学べるからこそ、同じことを繰り返さずにすむ。
だから私は、この経典を単純に、
「過去のことなんて忘れてしまえ。」
と言っているのではないと受け取った。
経典が説いているのは、過去そのものを否定することではない。
過ぎ去ったものを追い続けたり、まだ来ていない未来に心を奪われたりするのではなく、現在に起きているものを見ることだ。
つまり、
過去から学ぶことと、過去に住み続けることは違う。
そういうことではないだろうか。
反省と後悔は、同じではない
考えてみれば、子どもの頃の失敗を思い出して恥ずかしくなるとき、私はそこから新しいことを学んでいるわけではない。
一度目なら意味がある。
「あれは良くなかったな。」
と思えばいい。
次に同じことをしないようにすればいい。
ところが、30年後、40年後、50年後まで同じ場面を思い出して、
「あー!」
とやっている。
そこには、もう新しい学びなどほとんどない。
ただ、終わった出来事を頭の中でもう一度再生して、自分でもう一度恥ずかしくなっているだけだ。
それは反省というより、
過去を握りしめている
ということなのかもしれない。
そして、もう一度猫を見る
猫を見る。
さっき棚から派手にずっこけた猫である。
今はもう、そんなことなどなかったような顔をしている。
窓の外を眺めたり、
毛づくろいをしたり、
眠そうに目を細めたりしている。
もちろん、
猫が悟りを開いているわけではない。
そもそも猫が本当に後悔しないのかどうか、私には分からない。
ただ、その姿を見ていると、ときどき思う。
私は、もう存在しないものをずいぶん長い間、頭の中で握りしめてきたのではないだろうか。
仏典にあるように、
過去は、もう去っている。
未来は、まだ来ていない。
それでも人間の頭の中では、昨日も、30年前も、50年前も、簡単に「今」に戻ってくる。
だからこそ、ときどき意識して現在へ戻る必要があるのかもしれない。
後悔したら、一つだけ持って帰る
私はこれからも後悔すると思う。
「あのとき、こうすればよかった。」
と思うこともあるだろう。
それを完全になくそうとは思わない。
後悔したら、そこから一つだけ学ぶ。
一つ持って帰ったら、あとは置いてくる。
そんなくらいでいいのではないだろうか。
忘れる必要はない。
無理に「いい思い出」に変える必要もない。
まして、自分の過去をなかったことにする必要もない。
ただ、
いつまでも握りしめない。
それが「手放す」ということなのかもしれない。
今日の持ち帰り
過去から学ぶ。でも、過去に住み続けない。
後悔すること自体は悪くない。
失敗から受け取るものを一つ受け取ったら、現在へ戻る。
手放すとは、忘れることではなく、
もう終わったことを、いつまでも握りしめないことなのかもしれない。
猫は後悔しないのだろうか。
結局、それは分からなかった。
ただ、少なくとも我が家の猫は、棚からずっこけたことなど、もう気にしていないようだ。
そして私は今日も、半世紀前の失敗を思い出す。
どうやら悟りに近いのは、今のところ猫の方らしい。
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【60代から始めたもう一つの挑戦】
人生再点火の一環として、小説創作にも取り組んでいます。
現在、TALESにて童話を公開中です。
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