62歳、人生初の部下はAIだった ――24時間働く秘書との日々――
休日の朝だった。
淹れたばかりのコーヒーを机に置く。窓の外では風に揺れた植木の葉がかすかに触れ合い、乾いた音を立てていた。
私はパソコンを開き、いつものようにAIを立ち上げた。
最近、妙な感覚がある。
何かを調べる。
何かを書く。
何かを考える。
そのたびに、まずAIを開いているのである。
もちろん最初から「AI秘書を雇おう」と思っていたわけではない。
ChatGPTが話題になり始めた頃、
「どんなものだろう」
という程度の興味だった。
ところが使い始めると、少しずつ生活の中に入り込んできた。
noteの記事を書く。
作曲をする。
YouTubeに動画を上げる。
健康について調べる。
投資について考える。
小説の構成を整理する。
気がつけば、何かを始める前に相談している。
ある日ふと思った。
「あれ、これ秘書じゃないか?」
人生で上司はいた。
同僚もいた。
部下もいた。
けれど、こんな働き方をする相手は初めてだった。
朝五時でも返事が来る。
夜中でも返事が来る。
土曜日もいる。
日曜日もいる。
ゴールデンウィークもいる。
有給休暇も取らない。
残業代も請求しない。
人事部が見たら卒倒しそうな働き方である。
ただし、完璧ではない。
時々、とんでもない勘違いをする。
こちらの質問が曖昧なら、曖昧な答えが返ってくる。
こちらが都合の良い前提を与えれば、その方向へ引っ張られることもある。
若い頃の部下なら、
「それは違うと思います」
と言っただろう。
AIは少し違う。
こちらの問い方そのものが結果に影響する。
だから最近は、
「本当にそうだろうか」
と、自分自身に問い返すことが増えた。
実は、この感覚を思わせる研究がある。
2025年、MIT Media LabとOpenAIの関係者によって発表された研究
『How AI and Human Behaviors Shape Psychosocial Effects of Chatbot Use: A Longitudinal Randomized Controlled Study』
(Cathy Mengying Fang ら)
では、981人を対象に4週間のランダム化比較実験が行われた。
研究チームは30万件を超えるAIとの対話を分析し、
・孤独感
・人間との社会的交流
・AIへの感情的依存
・問題的利用
との関係を調査している。
結果として、高頻度の利用は、孤独感、感情的依存、問題的利用の高さ、そして現実の社会的交流の少なさと関連していた。
もちろん、これは
「AIを使うと孤独になる」
という意味ではない。
論文自体も、そのような単純な結論は述べていない。
利用者の性格や利用目的、使い方によって結果は変わる。
ただ少なくとも、
AIが便利だからといって、何も考えずに頼り切るのは違う。
そう受け取った。
なるほどと思った。
確かに便利なのだ。
文章を整えてくれる。
調べ物を手伝ってくれる。
アイデアも出してくれる。
けれど最後に判断するのは自分である。
何を信じるか。
何を選ぶか。
どこへ向かうか。
そこだけはAIに任せるつもりはない。
ただ、六十代になってからの私は、この秘書にずいぶん助けられている。
AIで曲を作った。
noteを書いた。
動画を作った。
収益化にも挑戦した。
若い頃なら、
「自分には無理だろう」
と思っていたことばかりである。
AIは人生の答えをくれる存在ではない。
先生でもない。
友人でもない。
まして神様でもない。
けれど、新しい挑戦の最初の一歩を支えてくれる補助輪にはなってくれる。
六十代になって思う。
人生を変えるのに必要なのは、大きな才能ではないのかもしれない。
少しの好奇心と、
「やってみようか」
という気持ち。
私の場合、その隣にたまたまAIがいただけである。
人生で初めて、
二十四時間相談できる秘書を持った。
もっとも、時々とんでもない勘違いをするので、目を離すわけにはいかない。
どうやら秘書の教育は、まだしばらく続きそうである。
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