人生にも「猫時間」が必要だった。――裏路地の地域猫が教えてくれたこと――
その日は朝から雑事に追われていた。
メールを返し、銀行へ行き、スーパーで買い物を済ませる。
気がつけば昼を過ぎていた。
何か特別なことをしたわけではない。
それなのに、一日が終わりに向かっている。
「このまま帰るのも、もったいないな。」
ふと思い立って、近所を散歩することにした。
目的はない。
ただ少し歩いてみたかっただけだ。
住宅街を歩いていると、普段なら入らない細い路地が目に入った。
何となく角を曲がる。
すると、塀の上で一匹の三毛猫が昼寝をしていた。
少し先には茶トラ。
植え込みの陰には黒猫。
どうやら、この一角は数匹の地域猫が気ままに暮らしている場所らしい。
最近は野良猫を受け入れない地域も少なくない。
それでも、この猫たちが穏やかに暮らしているのは、この近所に見守っている人たちがいるからなのだろう。
私は少し離れた場所で、その様子を眺めていた。
猫たちは、何をするわけでもない。
だからといって、退屈そうでもない。
毛づくろいをして、場所を変え、眠くなれば眠る。
風が吹けば耳だけを動かし、人が近づけば少し距離を取り、安全だと分かるとまた元の場所へ戻る。
誰も急いでいない。
誰も何かを証明しようともしていない。
ただ、その時間を静かに生きているように見えた。
もちろん、地域猫の暮らしは決して楽ではないだろう。
飢えることもある。
病気になることもある。
それでも、その姿からは将来を悲観しているような気配は感じられなかった。
家へ戻り、冷蔵庫から紙パックのブラックコーヒーを取り出した。
コップに注ぎ、一口飲む。
歩いた時間は一時間ほどだったはずなのに、不思議と頭の中はすっきりしていた。
窓の外では蝉が鳴いている。
さっきまで見ていた猫たちは、今もあの路地で、それぞれの時間を過ごしているのだろう。
私はコーヒーを飲みながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
ふと、テーブルの上に置いた封筒が目に入る。
先日受けた人間ドックの結果だった。
頭部MRIも受けた。
幸い、大きく悲観するような結果ではなかった。
もちろん、年齢相応に気をつけるべきことはある。
若い頃のように、「何の問題もありません」というわけではない。
それでも思った。
今日一日を、つつがなく過ごせている。
しかも、今日が終わるまでに、この一日をさらにいい日にできる可能性は、まだ残されている。
そう考えると、不思議と気持ちが軽くなった。
人間は猫ではない。
仕事もある。
家族のことも、お金のことも、健康のことも考えなければならない。
人生の重さは、もう十分すぎるほど知っている。
だからこそ、ときには肩の力を抜き、軽やかな気持ちになってみることも大切なのだと思う。
予定を詰め込まない。
生産性ばかりを追いかけない。
ただ歩く。
ただ風を感じる。
ただ猫を眺める。
そんな時間は、決して無駄ではない。
むしろ、そういう小さな余白があるからこそ、また明日を前向きに迎えられるのだろう。
路地裏の猫たちは、人生の答えを教えてくれたわけではない。
ただ、「今日」という一日を、そのまま受け入れて生きる姿を見せてくれた。
人生の重さは変えられない。
けれど、一日の過ごし方は変えられる。
だから私は、ときどき「猫時間」を過ごそうと思う。
そうすれば、今日という一日も、少しだけ優しい時間になる気がする。
今日の持ち帰り
人生の重さは変えられない。でも、一日の過ごし方は変えられる。
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【60代から始めたもう一つの挑戦】
人生再点火の一環として、小説創作にも取り組んでいます。
現在、TALESにて伝奇ミステリー小説を公開中です。
noteとは少し違う世界ですが、こちらも私の大切な創作活動です。
興味をお持ちいただけたら、ぜひご覧ください。
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