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入院費は、なぜ「1日いくら」なのか

会計のしくみが変われば、医療のかたちも変わる

前回、「満床でも赤字になる」という、病院のお金の不思議な話をした。その最後に、ひとつ宿題を残しておいた。入院費は「1日いくら」という形が基本で、しかも長く入院するほど1日あたりはむしろ下がっていく——そんな仕組みがある、と。

今日は、その「1日いくら」の話を、ゆっくり解きほぐしてみたい。ここには、病院のお金を理解するうえで、いちばん大事な仕組みが隠れている。

入院のレシートは、なぜ「明細の積み上げ」ではないのか

スーパーで買い物をすれば、レシートには一つずつ品物と値段が並ぶ。レストランでも、頼んだ料理を積み上げて会計する。「明細」とは、ふつうそういうものだ。

ところが、入院の会計は、多くの場合そうなっていない。
病名が決まると、その日から「1日あたりいくら」という定額が、費用の土台になる。検査をいくつもした日も、比較的静かに過ごした日も、1日の土台の値段は基本的に同じ。品物を積み上げるのではなく、「この病気の入院なら、1日およそこのくらい」と、あらかじめ決まっているのだ。

なぜ、こんな仕組みになっているのだろう。

昔は、「積み上げ式」だった

かつての入院費は、実は積み上げ式だった。やった検査、打った注射、使った薬を一つずつ足し上げて計算する。これを「出来高」と呼ぶ。分かりやすいし、一見すると公平に思える。

けれど、この方式には弱点があった。
足し上げる仕組みだと、検査や投薬を増やすほど、会計も増える。つまり「たくさんやるほど、病院の収入になる」。すると、どうしても検査や薬が過剰になりやすい。同じ病気で入院しても、病院や医師によって、入院の長さも、費用も、ばらばらになってしまう。

必要だからやるのか、増やせるからやるのか——その境目が、曖昧になりやすい構造だったのだ。

だから、「1日いくら」に変わった

そこで考え出されたのが、「この病気の入院なら、1日あたりいくら」と、あらかじめ定額を決めておく方式だ。

大事なのは、この土台の額の中に、検査や投薬、注射などがすでに含まれている、ということ(手術など一部は、別に計算される)。だから、検査をいくつ追加しても、1日の土台の額は増えない。増えないどころか、余計な検査をすれば、その費用はむしろ病院の持ち出しになる。

すると、何が起きるか。病院は自然と、「必要なことを、必要なだけ」に向かうようになる。前回お話しした「不要な検査は、病院の持ち出しになる」という話は、この仕組みから来ている。積み上げ式とは、力の向きがちょうど正反対なのだ。

いちばんの驚き——長くいるほど、1日は安くなる

ここからが、この話のいちばん面白いところだ。

この「1日いくら」は、入院しているあいだ、ずっと同じ額ではない。実は、入院日数に応じて、段階的に下がっていくように設計されている。入院の初めは高く、日が経つほど、1日あたりの額は安くなっていく。

長くいるほど高くつく、という普通の感覚とは、まったく逆だ。

なぜ、そうなっているのか。理由は、医療の実態に合わせているからだ。入院の初期は、検査や治療が集中して、いちばん手がかかる。後半になれば、多くは落ち着いてくる。だから、手のかかる初期を厚く評価し、落ち着いた後半は下げる。実態に沿った、理にかなった設計なのだ。

そして、この設計には、もう一つの意味がある。日が経つほど1日あたりは下がっていくのだから、必要もないのにだらだらと入院を延ばしても、病院の実入りは増えない。むしろ効率は悪くなる。つまりこの仕組みは、「必要以上に長く入院させる」動機を、そっと消しているのだ。

この仕組みは、患者を守っている

「1日いくら、しかも後半は下がる」。こう聞くと、患者を早く追い出すための、冷たい効率化のように感じるかもしれない。けれど、私はむしろ逆だと思っている。

過剰な検査を抑え、必要以上に長い入院を防ぐ。これは、病院の経営のためであると同時に、患者を守る仕組みでもある。長すぎる入院は、体力を奪い、感染や転倒の危険を高める。ムダな検査は、心と体の負担になる。早く良くして帰すことは、経営にとっても、患者にとっても、同じように良いことなのだ。

会計のしくみが変われば、医療のかたちも変わる。「1日いくら」という、一見そっけない仕組みの奥には、医療の質をそろえ、患者を守ろうという狙いが、静かに埋め込まれている。

——実は、この仕組みには名前がある。DPCと呼ばれる、日本の入院医療の会計のかたちだ。次回は、この仕組みのなかで「検査」がどう扱われているのかを、もう少し踏み込んでみたい。あなたのあの検査は、いったい誰のために行われているのか、という話だ。


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