【エッセイ】〆野式「ズルい読書感想文」(後編)
こちらは後編になります。前編は下で読めます。
ズルい読書感想文の書き方(後編)
前編では『コンビニ人間』(村田沙耶香著)の解説文だけ読んで課題図書を読まないという荒業を披露しましたが、後編ではそこで得た情報を基に、どのように読書感想文を作成、完成させていくのかについて述べていきます。
2 感想文を書く前に
さて、読み取ったことをもとに感想文を書くわけですが、その前に確認したいことが何点かあります。それを先に確認しておきましょう。なお、前編より長いので、「本題」にすぐ入りたいという方は、2-4から読んでください。
2-1 「感想」とは何か。
あのヒロユキさんを論破王にした名言(迷言?)に「それってあなたの感想ですよね?」がありますが、なぜこれを言われると人は「ぐぬぬ……」となるのでしょう。それはその言葉が、「それってあなたが主観的に勝手に感じていることであって、みんなが考えていることではないですよね。だから、あなた何か偉そうに言っちゃってますけど、それ何も客観的に事象をとらえていないし、あなたの感覚の話ですよね?」ということを意味しているからに他なりません。つまり、この「感想」というのは、論理的でもないし客観的でもない、感覚的であり主観的なものである、ということです。しかし、これ、感想文を書くときには非常に重要なことなんです。
どこで見た何のCMか忘れましたけど、このヒロユキさんの言葉を逆手にとったCMがありましたね。ある女子高生が言ったことに対して、ヒロユキさん(本人出演)がドヤって「それってあなたの感想ですよね?」と返す、すると、その女子高生が「えぇ、これあたしの感想です。あたしの思ったことをそのまま言いました。」と「何か問題でも?」と言わんばかりに毅然と返す、ヒロユキさんが思わず黙る、そんなCMだったかと思いますが、これ、全く、「感想」の本質を表しているんですよね。
「感想」は、感覚的であり主観的なものです。これは論理的ではないという理由からダメだとされます。私も小論文の添削で、ヒロユキさんではないですが「これはあなたの感想となっています。そう言える具体的な根拠を示してください。」とコメントします。でも、裏を返せば、自分の感覚で言ったことである以上、究極人に理解されなくてもいい、「だって私の『感想』ですから」ってことなんですよね。ということは、「感想」とは、何を言ってもいいし根拠を示さず無責任でもいい、究極他者に理解されなくてもいいってことなんです。だから感想文で何を書こうかと悩んでいる学生には、「何を書いてもいいんだよ」と言ってあげたいです。なんなら、「投げっぱなしジャーマン」ならぬ「言いっぱなしジャーマン」でいい、論文ではないので論証する必要もありませんから。どんな頓智気なことでも許される、「だってそれが私の『感想』ですから」ということなのです。
感想とはこういうものだということを、まず理解しておく必要があります。
2-2 何に対しての「感想」かが重要。
前述の通り、「感想」なので何を言っても許されます。しかし、たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』の感想文を書けと言われて、あなたが『キン肉マン』を読んだ感想について書いたとします、これは感想文として許されるかというとこれは許されません。出題者としては、「それについての感想を求めているのではない」となります。だから、それは『吾輩は猫である』についての感想でなくてはなりません。どんな感想を述べてもよいが、別のものに対しての感想は、それは文字通り「別物」なので許容はされません。
若干、話はずれますが、国語が苦手なお子さん(小学生・中学生)にはこの辺が理解できていない子が多いです。作文などを書かせると、「そういうことを聞いているんじゃないんだけどなぁ」っていう文章を書いてくるケースがあります。つまり、それは、出題者の出題テーマや出題内容、出題意図が汲み取れていないわけです。だから、「本が好きでも国語ができない」子というのがある一定数いるのです。それは文章を自由に読むのは好きだけど、問題で何を問われているのかを理解しそれに対して答えるというプロセスで失敗しているから、文章の内容は理解できているはずなのになぜか国語の試験では点がとれない、となるわけです。
つまり、この感想文においても、どういう「感想」でもいいのですが、何に対しての「感想」であるかはしっかり理解できていないといけないのです。
2-3 課題図書は大喜利の「お題」。
何に対しての感想を求められているのか、については、当然指定された課題図書に対して感想である、ということになります。ここまでは、問題ないでしょう。しかし、課題図書の何に対して感想を述べるのか、そもそも課題図書に対する感想とは何なのか、ということを理解する必要があります。
これはわかりやすく言えば、「この課題図書をネタに、あなたの思ったことを書け」ということです。それをネタにする、ということは言い換えれば、それが「お題」であるということ、つまり課題図書とは大喜利の「お題」なのです。
テレビのお笑い番組のIPPONグランプリとかを想像してもらいたいのですが、ああいったところで笑いが起きる答えというのは、「安易には気付かないけど、よくよく考えたらそのお題から想定できる範囲の答え」だと思います。全くお題からずれた、あるいはお題を完全に無視した答えは、笑う以前に「何でそういう答えになるの?まじで意味わからん」という疑問や理解不能であることが先立ちますから結果笑えないことが多いように思います。たとえば「この写真でボケて」ってお題を出されて、ある芸人が答えを出してドッとウケる、このときの答えは「あぁ~言われればそう見えるなぁ~でもその発想なかったわぁ」ってラインのもののはずです。つまり「お題に沿っている」ことがここでは前提であり、お題そのものを全く無視していたら、「笑える以前にそもそも何でそんな答えになるのか」という話になるわけです。
読書感想文も同じです。どんな稚拙でくだらない感想でも構わない、けれども「え?何でそんな感想出てくるの?どこからその感想出てくるの?そんなこと、この本で言ってないんですけど?」となったらダメなんです。だから、課題図書の内容を十分に理解して、その「お題」に沿って感想を述べることが求められます。
2-4 「感想」を言うときは「お題に沿う」。
「課題図書の内容を十分に理解して、その『お題』に沿って感想を述べる」、これが前提ですよ、というのがここまでのお話しです。では、「課題図書の内容を十分に理解して、その『お題』に沿う」とはどうしたらよいのでしょうか。
ここで、〆野式「ズルい読書感想文」の書き方の本題に入ります。
「私は課題図書をしっかり読んで十分に理解していますよ!」ということを読み手(出題者や学校の先生)に示す必要があります。そのためには当然その本をしっかり読む必要がありますが、今回は「本を読まない」という荒業でその過程を大胆にカットしました。で、どうしたかというと「解説文だけ読んだ」わけです。そしてその情報だけを頼りに、「しっかり本を読んだように見せかける」、つまり偽装工作を図るわけです。
別の言い方をすると「本をしっかり読んだよ!」ということを証明するだけの目的で、解説文を読んでその本の必要な情報を収集した、とも言えます。そのために、解説文から主題をとらえ、それがこの『コンビニ人間』(村田沙耶香著)の中でどのように語られているか、確認しました。
そしてこの場合、課題図書から提示されている「お題」とは、その課題図書の主題です。「課題図書をネタとして、その主題に対して感想を述べよ」と、ここでは指示されているのです。ですから、「その主題となっていることに対しての感想文」としてまとめる必要があります。
ここまで確認したのちに、改めて、それらの情報を以下に整理しましょう。
主題は「現代の実存」であり「それを問う」こと。つまり「現代の人間のあり方を問い直す」ということ。→これについての「感想」を述べること!
主人公は、極端な仕事偏重の「人間のあり方として問題のある人物」。→主人公の存在によって「現代の人間のあり方」が問題視される(課題図書の「論点」や「問題点」の確認)。
新入りの男性は、主人公とは真逆のプライベートを重視する人間。→彼の出現(ターニングポイント)によって物語が急展開し、現代の人間のあり方はどうあるべきかが問い直されると推測。
ざっとこんな感じでしょうか。これだけあれば十分です。読書感想文は書けます。これらの情報を整理してまとめ、「現代の人間のあり方」についての自分の意見や感想を述べればよいということになります。では、実際、感想文を書いていきましょう。
3 「ズルい読書感想文」を書く!
材料はもう揃っていますから、後はどう料理するかです。構成をざっくり考え、内容を組み立てます。構成は、スタンダードな「序論―本論―結論」の三段構成でよいでしょう。なお、字数は中高生の読書感想文コンクールの制限字数である2000字以内を想定します。
料理番組ではないですが、先に出来上がりを見てもらいましょうか。その方が説明しやすいので。こちらが完成したものです。どうぞ。(ちなみに、今回の内容は、高校生が書いた場合を想定している。)
主人公の古倉恵子は、まるで自らの人生の全てをコンビニの仕事に捧げているかのような人である。寝ても覚めてもコンビニの業務のことを考えている仕事人間だ。まさにタイトルにある通り「コンビニ人間」である。たしかに社会人にとって仕事は大変重要なものだろう。しかし、そんな彼女は「『店員』でいるときのみ世界の歯車になれる」と感じており、彼女の人生における仕事の占める割合はやや常軌を逸していると私は思った。
人間は社会に生きる以上、会社などの組織の歯車として生きることが望まれることも時にはあるだろう。しかし本心から歯車でありたいとは誰も思いたくないはずだ。私は、彼女はたしかに真面目な社会人ではあるが、人間としてどうなのかと思った。趣味にも精を出したいし幸せな結婚もしたい、「私は歯車ではない、人間なのだ」と誰しも思うものではないだろうか。そう考えると、婚活目的の新入りの男の方が人間らしいと私は思う。人生において、仕事と自分の幸せとどちらが大事かは人間にとって永遠のテーマかもしれない。では、現代の社会において、人間とはどう生きるべきなのだろうか。
社会人として社会の「歯車」となって仕事をすることが大人になることだとしたら、さしずめ私たちは「歯車予備軍」といったところだろうか。そしてこの場合、学校は「歯車製造工場」といったところだろう。たしかに私たちは、来る日も来る日も勉強に励み、いずれ来る大学受験に備えている。そして大学でも勉強に励み、やがて「立派な社会人」という歯車となり社会という大きな機械の一部になるに違いない。そのために、私たちは日々勉強を頑張っているのだ。
しかし、社会の「歯車」としてだけの人生を受け入れられない自分もいる。なぜなら「歯車」であるということは、機械の部品と同じで他の「歯車」との交換が可能だということだからだ。自分が会社を辞めても、その会社は自分ではない別の歯車を用意するだけということになる。つまり、「歯車」である自分を許容するとは、その組織にとって自分はいてもいなくてもいい人間だということを自らで認めることに他ならない。
たとえば、私は今野球部に所属しているが、私は一部員なので、そういう意味では野球部の「歯車」かもしれない。しかし、もし監督から「お前らは歯車のようなものだ」と言われたら、その言葉を私は決して受け入れたくない。私はもとより、他の部員も一人ひとり大事なチームを構成する一員であり、誰もが誰にも代えがたい「オンリーワン」なのだ。私たちは代替可能な機械の部品ではないのだ。人間なのである。
主人公の古倉恵子に当初感じた違和感は、こういうところなのだろうと私は思った。何も彼女のような仕事人間は珍しくない。また、仕事がいきがいという人も大勢いるだろう。だからその限りでは、彼女は至極まっとうな社会人なのであり、またそれに対しておかしいと思う人はいないだろう。夢の中でも仕事をするほどだから、彼女は仕事に対してただ真面目な人なのだと思う。しかし彼女の「私は『歯車』だ」と自認するところに、違和感を覚える。自ら進んで「歯車」でありたいと願う心境は、私には理解しがたい。それは単に仕事に対して真面目に向き合うことにとどまらない、そこからやや逸脱した、まるで自ら人間であることを捨て機械やマシーンであろうとすることを求めるかのような考えであって、そうしたところに対して、彼女は人間としてどうなのかと疑問を持つのである。
もちろんこれは彼女だけの問題ではない。私を含む全ての人間に当てはまるだろう。私たちは社会の中で生きる以上、「社会や世界の一歯車」となることを免れることはできないだろう。しかし、人間が自ら積極的に「歯車」であろうとすることは、人間の健全なあり方としてどうなのだろうかと思わざるを得ない。私はまだ学生で社会に出ていないのでわからない部分もあるが、この現代社会の中で人間はどうあるべきなのか、今後も考えていきたい。
3-1 「序論」は、「課題図書の主題」(問題提起)に着地するように課題図書の内容を解説し、「本を読んでますよ」アピールをしっかりする。
前述の通り、課題図書の主題は「現代の実存を問う」なのですから、あなた自身もそれに倣って、現代の実存を問いましょう。しかし、その前に解説文から収集した情報を基に課題図書の内容を解説する必要があります。だから書き出しはこんな感じです。
主人公の古倉恵子は、まるで自らの人生の全てをコンビニの仕事に捧げているかのような人である。寝ても覚めてもコンビニの業務のことを考えている仕事人間だ。まさにタイトルにある通り「コンビニ人間」である。たしかに社会人にとって仕事は大変重要なものだろう。しかし、そんな彼女は「『店員』でいるときのみ世界の歯車になれる」と感じており、彼女の人生における仕事の占める割合はやや常軌を逸していると私は思った。
人間は社会に生きる以上、会社などの組織の歯車として生きることが望まれることも時にはあるだろう。しかし本心から歯車でありたいとは誰も思いたくないはずだ。私は、彼女はたしかに真面目な社会人ではあるが、人間としてどうなのかと思った。趣味にも精を出したいし幸せな結婚もしたい、「私は歯車ではない、人間なのだ」と誰しも思うものではないだろうか。そう考えると、婚活目的の新入りの男の方が人間らしいと私は思う。人生において、仕事と自分自身の幸せとどちらが大事かは人間にとって永遠のテーマかもしれない。では、現代の社会において、人間とはどう生きるべきなのだろうか。
第一段落では、主人公の人物紹介をしています。ここで、主題における問題点が主人公に象徴されていることを読み手に示唆します。それにより、課題図書の主題である「現代社会において、人間とはどう生きるべきなのだろうか」へつながる導線を作ります。
第二段落では、主題の解説をして、主題に対しての「丁寧なネタふり」をしてやります。こうすることで、次の本論で、その主題(現代社会において、人間とはどう生きるべきなのだろうか。)に対しての自分の感想を言う準備をします。
ちなみにこの序論は、少し長いように感じる(今回は全体の約1/4。一般的には約1/5が理想的。)でしょうが、「ズルい読書感想文」としてはこれで適切な長さです。このくらい字数を割いて、ここはしっかり行ってください。何せ実際は本を読んでいないんですから(笑)。ここを丁寧にまとめることで「しっかり本を読みましたよ~。だからこれだけ書けるんですよ~。」と出題者(学校の先生)にアピールして、本を読んでいない事実を完全に隠蔽します(笑)。ですから、ここでは堂々とハッタリをかましてやります!
3-2 「本論」では、「政治家の答弁」をする。
先に、本論を改めて読んでください。
社会人として社会の「歯車」となって仕事をすることが大人になることだとしたら、さしずめ私たちは「歯車予備軍」といったところだろうか。そしてこの場合、学校は「歯車製造工場」といったところだろう。たしかに私たちは、来る日も来る日も勉強に励み、いずれ来る大学受験に備えている。そして大学でも勉強に励み、やがて「立派な社会人」という歯車となり社会という大きな機械の一部になるに違いない。そのために、私たちは日々勉強を頑張っているのだ。
しかし、社会の「歯車」としてだけの人生を受け入れられない自分もいる。なぜなら「歯車」であるということは、他の機械の部品と同じで、他の「歯車」との交換が可能だということだからだ。自分が会社を辞めても、その会社は自分ではない別の歯車を用意するだけということになる。つまり、「歯車」である自分を許容するとは、その組織にとって自分はいてもいなくてもいい人間だということを、自らで認めることに他ならない。
たとえば、私は今野球部に所属しているが、私は一部員なので、そういう意味では野球部の「歯車」かもしれない。しかし、もし監督から「お前らは歯車のようなものだ」と言われたら、その言葉を私は決して受け入れたくない。私はもとより、他の部員も一人ひとり大事なチームを構成する一員であり、誰もが誰にも代えがたい「オンリーワン」なのだ。私たちは代替可能な機械の部品ではないのだ。人間なのである。
主人公の古倉恵子に当初感じた違和感は、こういうところなのだろうと私は思った。何も彼女のような仕事人間は珍しくない。また、仕事がいきがいという人も大勢いるだろう。だからその限りでは、彼女は至極まっとうな社会人なのであり、またそれに対しておかしいと思う人はいないだろう。夢の中でも仕事をするほどだから、彼女は仕事に対してただ真面目な人なのだと思う。しかし彼女の「私は『歯車』だ」と自認するところに、違和感を覚える。自ら進んで「歯車」でありたいと願う心境は、私には理解しがたい。それは単に仕事に対して真面目に向き合うことにとどまらない、そこからやや逸脱した、まるで自ら人間であることを捨て機械やマシーンであろうとすることを求めるかのような考えであって、そうしたところに対して、彼女は人間としてどうなのかと疑問を持つのである。
さて、読んでみて何か気付いたことはないですか?どうでしょう?通常の感想文や小論文ではあり得ないことが、ここでは起きています。
気付きませんか?まあ、種明かししますと、この本論、実は「何一つ新しい話をしていない」のです。つまり「話が(進んでいるようで)実は全く進んでいない」のです。本来なら、「現代社会において、人間はどう生きるべきか」という主題(問題提起)に対して、自分なりの感想(回答)を述べるわけで、それは独自の考えや意見なのですが、この文章はそれを一切していません。ひたすらその提起された問題をなぞって言い換えているだけなのです。
いいんです!(川平慈英)これでいいんです!「ズルい読書感想文」としては、これで、いいんです!つまり、問題提起に対して自分の考えを述べて、話を絶対展開させてはいけないのです。なぜか。理由は単純です!あなたはこの課題図書を読んでいないからです!
話を先に進めて、人生において仕事とプライベートのどちらが大事か自分の考えを述べて、自分なりの回答をしたとします。その答え、課題図書の内容と違っていたとしたら、どうしますか?いやまだ違っているだけなら、「これが私の感想です」と言い切って逃げ切ることもできます。しかし話を先に進めることで、読み手(学校の先生)が「いや、この本の話、そういうこと言ってないよね。」となってしまったら、本を読んでいないことがばれてしまいます。元も子もありません。だから、ここは話を下手に進めないで、ひたすら同じ問題提起をくりかえすのです。
とはいえ、「現代社会において、人間はどう生きるべきか。現代社会において、人間はどう生きるべきか。現代社会において……」と呪文のように唱えても、文章の体裁になりません。ではどうしたらいいでしょう。表現やトピックを変えて、ひたすら「現代社会において、人間はどう生きるべきか」が問題であること述べていくのです。こういう風に。
「現代社会において、人間はどう生きるべきか。うんうん、これは問題ですね。うん、これは重大な問題だ。たしかに、こういうことはありますよ。しかし、やはりこれは問題でしょう。たとえば、こういうケースを想定してもこれが問題と言えますね。で、そもそもこの問題の何が問題かというと、こういう点が問題だから問題なんですよ。だから、問題だと、私は先ほどから言っているのです。」というように、形の上では話が進んでいるように見せながら、実際は問題を提起したところから絶対に話を進めない、いわば「政治家の答弁」話法で書くのです。国会で野党の質問に、与党側が答えるときのあの話法を使うのです。彼らは「その質問に関しましては、~閣僚間でも大変問題であると感じており、~野党議員の皆様から大変問題であるとのご指摘を受けまして、与党においても重大な問題であると考えて、~官民一体となってこの問題の解消に取り組みたいと、~政府としましてもその問題につきまして前向きに善処してまいりたいと~」という答弁をします。「それ、実質何にも答えてないじゃん!」のあれです。あれは、そもそも野党からの追及に対して防御線を張った結果の苦肉の策、と言いますか全くの謎話法(笑)ですが、ここではそれを駆使して、自分が本を読んでいないことがばれないように、けむに巻くのです。
そもそも、この課題図書について「現代の実存を問う」ということまでしか、あなたは知りません。この物語の中でそれがどう決着するかも、そもそも決着しているのかも、当然知りません。だとしたら、この問題に決着を付けようなんて考えてはいけないのです。
3-3 「結論」は、「連載を突然打ち切られたジャンプ漫画の最終話」のようにまとめる。
結論でも、当然、この提起された問題(主題)についての明確な答えを徹底的に出さないようにします。本を読んでいない以上、この問題に対してこの本の中でどう解決されているのか、また解決するのかしないのかすらも、あなたは知らないのですから。では、この文章をどのように終わらせるのか、それは「これからも、これは問題だよね!」と終わらせるしかないのです。いわば「不本意にも四週で突然連載を打ち切られた、ジャンプ漫画の最終話」のように終わらせます。話にたくさん張り巡らされた伏線を回収できないまま、トーナメント大会が先週始まったにも関わらず、突如終わりを迎える漫画のあの最終話のあの最終コマです。「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ!」、「ぼくたちの冒険はまだまだ続く!」、これからも長い道のりは続いて行く感たっぷりのあの最終コマのように、この感想文を終結させましょう!
もちろんこれは彼女だけの問題ではない。私を含む全ての人間に当てはまるだろう。私たちは社会の中で生きる以上、「社会や世界の一歯車」となることを免れることはできないだろう。しかし、人間が自ら積極的に「歯車」であろうとすることは、人間の健全なあり方としてどうなのだろうかと思わざるを得ない。私はまだ学生で社会に出ていないのでわからない部分もあるが、この現代社会の中で人間はどうあるべきなのか、今後も考えていきたい。
例文を見てわかるように、最後は「(この問題について)今後も考えていきたい。」でしめています。その問題に対して、具体的にどう感じたとか、どうするとか何も言わないままラストを迎えています。
しかし、それまでは、話の風呂敷をガンガン広げていくべきです。「この問題は彼女だけの問題ではない!私を含む人間、いやさ全世界、全人類に当てはまる問題だ!」と、問題をグローバルに無限に広げていきます。いいんです。どうせ連載が終わるんだから(笑)。それを説明する字数も機会も責任もありません。いまさら勝てそうにないライバルが登場してもいいのです!どうせ、そのライバルとの戦いを書くことはなんてないのだから(笑)。それよりも、戦いの場を宇宙規模にして、トーナメント大会を開催して、世界中の猛者が集まって、すごい手ごわいライバルが登場して、で、そのライバルは実は生き別れの兄で、でも敵の魔法で兄はモンスターになっていて……、というように「フィナーレ」に向かってどんどん盛り上げていきましょう。それで散々最後に話を盛り上げに盛り上げたあげく、ラストはあれでしめます。「今後もこれは問題だぜ!みんなも考えていこうぜ!」
で、書き終えたら心の中で静かにこうつぶやきましょう。「(自分の名前)先生の次回作にご期待ください!!」と。
まとめ
以上で「ズルい読書感想文」作成法については終了します。自分が学生時代やっていたインチキ読書感想文を初めて言語化しましたが、普段の記事より時間も労力も大分かかり疲れました。そのため、校正や見直しが不十分です。記事のアップ後に読み直してちょこちょこ間違いは直していくので、今回は勘弁してください。正直今回は疲れました(笑)。
最後に、あの中学の暗黒期の後日談をまとめて、今回は終わりにしたいのですが、私はその中学校を学力不振と素行不良を理由に二年生で「クビ」になり退学させられます(私立の中高一貫校なのでそれは可能)。そして公立の中学で三年生となり、別の私立高校に進学します。高校では心を入れ替え、自分なりに勉学に励みました。ちなみにその高校では毎夏、読書感想文を書かされ、その中から選ばれた優秀作は冊子に収録されるのですが、おかげさまで三年連続優秀作として冊子に収録されました。たぶん今でもその高校の図書室にはその冊子があると思います(もう大分昔だから、もうないかな?)。え?そのときはちゃんと本読んだのかって?読みましたよ!「読書してこその感想文」ですからね。本はやっぱりしっかり読まないと、まともな読書感想文は書けませんよ。当たり前ですよね(笑)。
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