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「『文学国語』をないがしろにするべきではない」明確な理由 ~神林長平「『フィクション』の力」より~

更新日:2026/06/08

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本当に「文学国語」はいらないのか。

現行の高校国語のカリキュラムでは、「文学国語」は、事実上ないがしろにされている。

 みなさん、ご存じでしょうか。高校生のお子さんをお持ちの方はご存じかもしれません。2022年の学習指導要領の改訂による現行の高校国語のカリキュラムは、以下の通りとなっています。

現代の国語 2 (必修)
言語文化 2  (必修)
論理国語 4  (選択)
文学国語 4  (選択)
国語表現 4  (選択)
古典探求 4  (選択)
※数字は単位数

 上記の通り、旧カリキュラムの現代文は、現行カリキュラムでは、「論説文」や「評論文」といった論理的文章を扱う「論理国語」と文芸的文章を扱う「文学国語」とに分かれ、共に選択教科となっています。つまり、選択教科であるため「文学国語」を履修しなくても済む、ということになります。みなさんが高校生の頃に読んだ「羅生門」も「山月記」もこれからの高校生は読んだことがない、ということもあり得るのです。たしかに、私は高校生に小論文の書き方を教える「在野」の指導者です。高校でも論理的な文章の読み方や書き方の指導を強化してほしいと、日々思っています。しかし、だからといって文芸的文章を読むことや書くことが全く無意味だと思ったことはありません。むしろ、文章はどのような種類のものであっても満遍なく読んだり書いたりすることが本来的な国語教育であり、それをこのようにしてしまうのはかえって国語教育を貧困なものにすると考えます。

 「でも、それは『論理国語』も選択だから事情は同じなのでは?」、そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、同じではありません。多くの高校生は「論理国語」を選ぶはずです。なぜなら、大学受験で専ら出題されるのは論理的文章だからです。ですから、「大学受験を考える『真面目で賢い』高校生」は「論理国語」を必ず選ぶはずなのです。また「国語に苦手意識を持つ理系受験生」は「文学国語」を進んで選択しないでしょう。このように、実質的に「『文学国語』は履修しなくていい」という流れが作られています。

 ただし、これは今問題になったことではありません。学習指導要領の改訂内容が発表されたときから多くのメディアが話題にしてきました。それは以下の新聞の論説記事からも明らかです。

(『高校の国語 文学と論理は分けられない』読売新聞論説2022/01/10)

 上掲記事によると、「文科省側は当初、教科書会社側には「『現代の国語』で文学を扱う余地はない」と説明していた」とのこと。しかし、「検定を行う審議会は「文学の掲載が一切禁じられているわけではなく、直ちに欠陥とは言えない」と判断」し、これを受け、今の選択教科としての文学国語が生まれたとのことです。これに対して、この記事にある、「海外では文学作品と論理的文章を細かく区別して指導していないという。両者を無理に切り分けることで、本当に生徒の国語力は向上するのだろうか。」、「若者の読解力が低下し、リポートを書く力も乏しいと指摘されている。実用的な文章を読みこなし、論理的に書く力を身につけさせることは重要だが、それは文学との二者択一ではないはずだ。」という意見について、私も全く同意であり、よって、この文科省の判断は私も全くナンセンスだと考えます。また、文科省は初めから「『文学国語』を事実上なきものにするつもりでいた」のだということが、この記事からわかります。

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