猫短歌:時の経過
誕生日忘れていたよきみが空色になりもう二年半だね/銀猫
たんじょうびわすれていたよきみがそらいろになりもうにねんはんだね
昨日は次男猫の誕生日だったということを、昼過ぎ頃に思い出しました。朝から、何か用事があったような気がしていて、スマホのスケジュールアプリやリビングのカレンダーの書き込みを何度も見直していたのですが、思い出せずにいました。
その後、数人の友人とやっているグループLINEの中で、友人のひとりの誕生日だという話題が出て、それでやっと思い出したのです。彼女と次男猫は、誕生日が同じ日だったので。
人間だって、死んでしまったらもう誕生日を祝ったりしません。というか、わたしはそうなんですが、世間もそうなんですよね… このあたりのことは、実家が相当に世間の常識がない家庭だったので、自信がありません。ちなみに、パートナーの実家は、もともと誰の誕生日も祝わない家庭だったそうなので、パートナーの常識も当てにならなくて。
あ、歴史上に名を残すような人だと、「生誕XX年」とかあるか。そこまで有名になればね。
そのかわり、人間の場合は命日に何がしかの儀式めいたことを行うことに倣い、猫息子、猫娘の場合も、命日にはちょっと長めに話しかけたりしています。わたしの場合はね。
次男猫がいなくなった直後は、かなり強烈なペットロスになりましたが、時が上手に解決方向に気持ちを運んでくれたので、二年半も経てば、こんなもんなのかもしれませんね。たぶん、きっと、これはよいことなのだと思います。
だって、捨て猫を拾ってしまうかもしれないし、またパートナーが仔猫を見て「運命のコ」だって言い出すことがあるかもしれないし。いつまでも引き摺っていたら、新しい出会いがあっても受け入れられないもんね。
きみのことは、いまでも大好きだよ。ずっと大好きだよ。忘れたりしないからね、そこはおかーさんを信用してね。
ちょっとだけだけど、きみの6kgオーバーの重みがなつかしくなってしまった。三女猫(約6kg)にお願いして、抱っこさせてもらおうかな。
この短歌は、「毎日文学」の #9月21日の創作 に投稿したものです。
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