ときには常識を捨ててみる
私は、エレクトーンとピアノを習っています。楽器は、練習が必要です。5分でもいいから、毎日弾いたほうが上手になります。
それが私にはなかなかできません。
レッスンが始まり、先生とひとしきりおしゃべりして、じゃあ始めようか、となったところでしれっと切り出します。
練習してないんだけど…。
レッスンの前に「練習できてなくって…」と言う人はいると思います。それは「練習したんですけど、先生の求めるところまでは至りませんでした」という意味だと思います。でも、私は違います。ほんとうに練習していません。0です。ノー・練習です。レッスンに行こうとしたら、楽譜とUSBがレッスンバッグの中に入っていたから間違いありません。私は、練習のあといちいち片付けません。練習したのなら、楽譜は出しっぱなし、USBは挿しっぱなしのはずです。
前のレッスンからもう1週間かあ。今週も忙しかったなあ、しみじみしながら先生のお宅に向かいます。先生も、はいはいいつものことね、といった感じです。もう何十年のお付き合いです。
こんな私でも、毎日練習したことがあります。発表会前です。少しでも上手な演奏をしたいというよりは、絶対絶対緊張するであろうステージに「できる努力はすべてした」という証を持って上がりたかったのです。
そのかいあって、発表会前の金曜の朝、ちゃんと寝坊して、仕事に遅刻するところでした。今の私が練習時間を確保するには、睡眠時間を削らなければなりません。
発表会後は、決してムリはしない方向で、表現の先にあるものを追い求めることにしました。
具体的に言うと、キーボードを床に直置きし、お座布団に座って弾く方向です。そして、弾いたあとは、ベッドの横らへんにそのままにしておきます。
翌日、仕事から帰り、家事も終わって、さあ寝ようと寝室のドアを開けました。すると目に入ったのが、床に出しっぱなしのキーボードとお座布団。私は、吸い寄せられるようにお座布団に座り、ヘッドフォンをつけました。ただ、足は崩しています。決してお行儀はよくありません。楽器を演奏するときに、姿勢はとても大切なのに。
ブルグミュラーのアラベスク。完全に暗譜してるわけではないけれど、わざわざ楽譜なんて出さないから、間違えもするし、こんなもんかなという演奏になります。そして、何となくの仕上がりのまま、煮詰まる前にベッドに入ります。だって、この状態で煮詰めるような練習なんてできません。おやすみなさい。
翌日も、ぺたっと座って、何となく弾いて、おやすみなさい。それが何日か続きました。
続けられました。
キーボードを、床まで下げたからです。
すると
アラベスク
めっちゃ速く弾けるようになったんですけど。
エレクトーン出身の私にとって、ピアノの鍵盤は重いので、速く弾くのは大変なことです。それなのに、速く弾けるだけでなく、抑揚をつける余裕もあります。クレッシェンドしてゆくのにともなって、疾走感も増してゆきます。何だかとってもいい感じ。
1日5分でいいから毎日練習すれば、上手くなります。ただ、根性だけでは限界があります。ムリせず続けられる工夫が必要です。どこからがムリなのか、というのも人によって違います。
もし、疲れた体でさあ寝ようと思って寝室のドアを開けたとき、目に飛び込んでくるのが、グランドピアノだったら、よし、ちょっと弾いて寝ようかな、なんて思うでしょうか。そんなに環境とメンタルがととのっているなら、プロになっていそうです。
次のレッスンで、アラベスクはあっさり花マルになりました。苦手だった最後の跳躍も、びたっと着地が決まります。
ときには、ピアノは椅子に座って、姿勢を正して弾くものという常識を捨ててみる。
なんのはなしですか
