宇野書店に行ってきた
先日、批評家の宇野常寛さんが、開いた「宇野書店」に足を運んできた。
八月中旬に行ったのだが、ここに行ってみた感想は、『庭の話』を読んでから書いた方が良さそうだな、と思って、先送りにしていた。
のだが、ようやく、『庭の話』を読了したので、感想を書いていきたい、と思う。
先に、購入した本を紹介しておく――。
・宇野常寛『庭の話』
・柄谷行人『世界史の構造』
・國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』
・丸山真男『日本の思想』
の4点を購入させていただいた。

まだ、『庭の話』しか読み終えていないので、他もじっくり読んでいきたい。
さて。
購入品の紹介は、ここまでにし、宇野書店に行ってみた感想に移りたい。
まず、お伝えしたいのは、とても居心地の良い場所だった、ということだ。
とても静かな店内で、ふかふかとした芝生の感触を足元に感じながら、本との出会いを楽しめる。僕の他にも何人かお客さんがいたが、みな、本を見ることに集中しており、「物」との関係を楽しむような空間がそこには、形成されていた。もちろん、友人と一緒に来ていて、小声で会話をしている人もいたが、そんな人たちもやがて、本を見ることに集中し始めていた。
僕には、本を読む友人がおらず、当然、周囲からかなりズレていて疎外感、孤独感を感じている。
しかし、この宇野書店にいる間は、コミュニケーションはなくとも、自分と同じように「本」との出会いに集中している人たちが近くにいることを感じることができ、とても安心した。この感覚は、『庭の話』に書かれていて、家に帰って、『庭の話』を読んで、あれは、そういうことだったのか、と、とても腑に落ちたのを覚えている。
それと、宇野常寛さんが店内で作業をしていて、その姿があまりにも自然で最初は、ぱっと見で客か、と思ってしまったことが強烈な印象として残っている。近くを通りがかるまで、全然、気がつかなかった。もっと言ってしまえば、途中で、ふと、顔を上げたら、気がついたら宇野さんが前に立っていて「ありがとうございます」と、声をかけてくださるまで、確信を持てなかったまで、ある。
この感覚は、宇野書店の試みがもたらしたものなのだろう、と思う。
昔、僕が通っていたスポーツジムなどにいた、いわゆる「主」のように威張っている人もいない、その場にいる誰もが、平等な空間。
僕みたいに「共同体」が苦手な人間にとっては、とても居心地の良い空間だろう。
『庭の話』を読んだ感想と重なってしまうが、別に「孤独」であることは、特別なことではないと、宇野書店を訪れ、改めて実感した。
また、気が向いたときに、行きたい、と思う。
次に、訪れたときに、どんな本に自分が興味を示すか、とても楽しみだ。
