見出し画像

国民国家を終わらせた男──プリゴジンという無意識の終末者

国民国家を終わらせた男──プリゴジンという無意識の終末者

誰も気づいていなかった。
おそらく本人さえも気づいていなかった。
だが、プリゴジンとワグネルは、国民国家という近代の夢を終わらせた男たちだった。

国民国家は、ナポレオンから始まった。
人民の名のもとに戦い、血を流し、国家を“自己犠牲に値する共同体”として成立させた。
それは近代の宗教であり、自己を超えて生きるという幻想の器であった。

しかし、バフムートに現れたのはまったく異なる存在だった。
彼らは国章もなく、正規の軍服もなく、国旗の下にも立たず、ただ戦った。殺し、奪い、前進した。

それは王の軍隊でもなく、国民の軍隊でもない。
彼らは契約された暴力、帝国以前の暴力の再来である。
プリゴジンは、カエサルの名を語らぬままローマを破壊した蛮族のようだった。
彼は「戦争は国家の独占ではない」と証明してしまった。
いや、戦争とは国家のみに委ねるには野生すぎる本能だったことを思い出させた。

国家を背負わぬ戦士たちが国家を破った瞬間。
そこにバフムートがある。

そして皮肉なことに、彼はロシアのために戦ったわけではない。
プーチンのためでも、ロシア国家の理念のためでもない。
ワグネルという“戦争自営業者”として、ただ戦争の技術と欲望に従っただけだ。
それはむしろ、国民国家に代わる**新たな「暴力の主体」**の誕生だった。

国民国家は、徴兵と教育と徴税によって人間を「兵士」に仕立てた。
だがワグネルは、そのすべてを無効にする。
囚人であろうと、傭兵であろうと、彼らは国家を必要とせずに戦う。

この事実こそが、国家というフィクションの終焉を告げている。

プリゴジンは革命家ではなかった。
思想家でも、独裁者でもない。
だが彼は、“国家なき戦争”の可能性を世界に知らしめた。
それはすなわち、「国家なき共同体」の幻影が舞い戻ってきたということだ。

人は再び、旗ではなく「隊」に従い、国ではなく「契約」に従うようになる。
それは中世の再来か、あるいはポスト国家時代の到来か。

いずれにせよ──
プリゴジンは、気づかぬままに歴史を終わらせてしまった。

国家に命を捧げる時代は、終わった。
これからは、契約と暴力と欲望が人間を動かす。

そしてそれが始まった都市の名は、バフムートだった。

いいなと思ったら応援しよう!