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なぜ「なりそこねた男/女」という怒りが噴き出すのか?──それは、小王国が崩壊し、貢物の循環が断絶されたからである


なぜ「なりそこねた男/女」という怒りが噴き出すのか?

──それは、小王国が崩壊し、貢物の循環が断絶されたからである


私たちはなぜ、「女叩きをする男」「男叩きをする女」という
憎悪と不満の構造に囲まれているのか?

それは個人の問題ではなく、感情の未熟でもなく、
構造が壊れているのだ。

では、どの構造が?

それは、「小王国(=民衆の自律的な共同体)」である。



かつて、性とは「小王国の儀式」だった

女が貢物として媒介され、男がその責任を負う──
その回路は、決して国家や大企業が管理していたのではない。
それは地域社会、部族、家族、村落、職能集団──
すなわち「小王国」が担っていた。

小王国には神話があり、祭祀があり、
「誰が誰を贈るのか」「誰が誰を迎えるのか」という秩序があった。

この秩序が、男と女を「媒介可能な存在」にしていたのだ。



しかし今、中央だけが巨大化した

大企業、国民国家、グローバル市場──
中央の権力と制度は膨張したが、
その周囲に広がっていた小王国たち(町内会、親族、職能共同体)は焼失した。

その結果、何が起きたか?

● 女は貢物としての回路を失った
● 男は迎え入れる場を失った
● 双方は「媒介されない個人」となり、漂流しはじめた



貢物なき社会において、性は「商品化」される

媒介されない女は、自らを“市場”に投じるしかなくなる。
だが市場は、選ばれる女と選ばれない女を、容赦なく数値化し、選別する。

男は、媒介されない女を「自ら選ぶ責任」を負うが、
小王国の祭祀が失われた今、どこにも責任を託せない。
彼はただ、選ぶことを恐れ、自己完結し、女を叩く。

こうして「女叩き男」と「男叩き女」は誕生した。
どちらも、媒介されなかった者、貢物の儀式から排除された者である。



そしてこれは、少子化の構造原因でもある

子が生まれるとは何か?
それは、**小王国の祭祀が完了し、女と男が交換された先に現れる「祝福」**である。

だが、貢物の制度が失われ、媒介もなく、
「選ばれもしなければ責任も生じない関係」が横行する社会においては、
子は祝福ではなく「負担」「不利益」「リスク」と化す。

少子化は、恋愛の失敗ではない。
祭祀の失敗である。



結語:

今、女は貢物ではない。
男は王国の主でもない。
そして民衆は、小さな王国すら持たない。
それゆえに、交換の回路は崩れ、性は憎しみとなり、子は生まれなくなった。

──祭祀なき社会の、沈黙の終焉がここにある。

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