[アマノ文筆クラブ]これっきりですか?
「これっきりですか?」
熟れきったこの国が、地面に落ちる音がした。
甘い匂いが土を伝い、虫どもが集まって熟れたその果実を食い荒らすだろう。生まれ育った国が食い荒らされるのを指を咥えて眺めていなければならないのは、歯痒い。
そこで法院正親は国家公務員を自ら降り、野に下ることにした。
国家転覆。
そのためには同志が必要である。この国を憂い、共に戦う同志が。
右派の論客はどれも頼りにならず、また国家を転覆させるに足る暴力も有していなかった。この国の暴力は、国家に根付いている。
国はよく出来ていた。
張り巡らされた根を一本一本断ち切るようにして、権力を剥がしていかねばならない。そこで正親は、地方議員になった。消滅可能性自治体の一部を使って「終の集落」を作り、そこへ移民と後期高齢者を住まわせた。後期高齢者は、資産があり、身寄りのない者を優先して選んだ。
金持ちの高齢者は資産である。
正親はそれを理解していた。
権力を持つ企業のほとんどが、国と土地に繋がっている。暴力さえ補助金によって生かされているこの国において、ある程度の資産を持ちながら国家権力から遠いところにある者は、FIREと呼ばれるような生き方をしている者たちのみ。
「終の集落」はブランド化し、金払いの良い後期高齢者がこぞって住むようになると、消滅可能性自治体だったものは潤ってくる。仕事があれば活気が戻る。しかしその活気は国民のものではなく、移民のもの。
やがて移民によるコロニーが出来た。
コロニーは肥大化し、移民は正規のルートを通って集落周辺に増えていく。大手のスーパーマーケットが立ったが、移民はそのマーケットのルールを知らないように振舞う。正親は、あえてそれを見逃し続けた。
補助金の甘い臭いがするスーパーマーケットを、正親は許さなかった。地域のマーケットを推奨し、その役員にコロニーの顔役の一人を送り込むことで連帯感を持たせる。
ブランド化する「終の集落」に集まってくる後期高齢者は、外貨を獲得するための装置でしかなく、そのコロニーは移民の国へと徐々に変わっていった。正親はそのコロニー内で絶大な権力を持ち始める。
コロニーには、学校がなかった。
正確には、移民用の学校がなかった。コロニーに住む人々の公用語は、その国の言葉と異なっていたために、彼らの宗教を基とする建物を建て、そこで教育を行うことにした。カリキュラムは義務教育まで一通りを教えるが、高等教育についてはその限りではない。
そもそも、この国の高等教育は志がない。高等学校は大学のための予備校と化し、大学はモラトリアムのための遊び場だ。その先にある企業は大学の学びを重視せず、それぞれのOJTで各企業ナイズされた人材を求める。
「終の集落」の仕事は、高福祉であり、ホスピタリティである。ホスピタリティを学ぶ学校などない。よって、福祉を学ぶ専門学校が、コロニー内に設立された。原資は「終の集落」に入りたい者のクラウドファンディングによる。
クラウドファンディングによって設立された福祉専門学校では、極めて実践的なホスピタリティを学ぶことと、社会で働く志を学ぶことが重視された。ライスワークではなく、ライフワークを学ぶ場であった。
消滅可能性自治体は正親のやり方を学び、同じように「終の集落」を作った。しかし、補助金によって作られ、志のない国民によって運営されるそれらは悉く失敗する。建物だけが立派に作られた場所に、正親はコロニーで育ったホスピタリティを十分に理解し、経営を学んだ移民を差し向け、その土地を次々と移民の住処として染めていった。
首都圏から老人が次々といなくなり、元いた国民の若者の国となる。
一方で、消滅可能性自治体と呼ばれていた地方自治体は、補助金によって建てられた高齢者福祉施設に移民が次々と働きに入り、「終の集落」としてブランド化されてコロニーを形成していく。
労働者人口は、逆転した。
都市圏で遊び惚ける国民と、後期高齢者の資産を吸って膨らむコロニー。正親は、コロニーがいずれ大きな国家となり、この国の文化を変えるだろうと確信していた。
消滅可能性自治体の国土の八割が、コロニー出身の移民で満たされた時、首都圏に住まう国民はもはや原住民でしかなかった。中小企業も、そのほとんどは移民だったものにその地位を明け渡さなければならなかった。
かつて、その国民はアリのように働いた。
今、その国民はキリギリスのように生きている。
冬は間近だった。いや、すでに冬は訪れているのかも知れない。
晩年、法院正親は「これっきりですか?」の一言が、この国を変えるキッカケだったと供述する。
「いくら私を裁判にかけようが、私には何の落ち度もない。
国家転覆罪?この国は、少なくとも消滅可能性自治体の多くは、私の施策を見本とし、またそれに対抗するためにあれこれ努力をしたのだろう?
移民は国民ではない。
そう言ったのは、あんたらと、あんたらを支持する自国民だ。私はあんたらを支持する自国民の、志のなさにうんざりしたんだよ。
この国は、腐り落ちた。
そう思ったときに、私はこの国の形を、変えてやろうと思っただけさ。
見てごらんよ。
あんたらの大好きな古都のどこに自国民がいるって言うんだ?
そのほとんどを私の招き入れた移民の末裔が運営している。そこを訪れる人々もまた海外からの観光客だ。
特殊出生率の下がりきった民族は、数を少なくして消えていくしかない。代わりの民族が入ってきて、何の問題があるんだ?文化が異なる?働くことに誇りを見いだせないライスワークと惰性の文化など、消えてしまうべきだ。その点、移民はよく働いてくれる。
なぜ、自国民は志を忘れてしまったのだろうな。どこかでほんの少し、軸がズレてしまったのだろうな。
権力にズブズブで、補助金を点滴されて生きる老国家など、新しい芽吹きの栄養にされるだけだ。
私は戦った。私の信じる志のために、戦った。君たちはどうだ?自国民の誇りとやらで、戦うことができたか?それとも、ライスワークをほんの少しだけやって、社会や会社への帰属意識も持たず、のんべんだらりと生きているだけか?」
まくし立てる正親の両隣には、サブマシンガンを持つ移民が彼を警護している。この国の司法は彼を捕まえるつもりでいるが、彼が「終の集落」にいる限り、法院正親はこの国の主であった。
車椅子に乗る正親を、恭しく警護の二人が押して運んだ。
この国が移民に乗っ取られる日も遠くない。しかしそれでこの国が何か変わることもない。もはや、この国のほとんどは移民のものである。ルールのほとんどは、法院正親のカリスマ性によって書き換えられてしまった。
龍の形をしたこの国は、かつて大津波に見舞われたことがあった。
天災によって国民の意識が変わり、人々は懸命に今を生き、働くようになるだろうと考えた人がいた。
しかし、龍の身体に忍び込む根は強靭で、この国は変わらなかった。
龍の身体を栄養に育ちきった大樹から落ちた果実から、新たな芽吹きがあった。その芽は、大樹が腐っていくのとは対照的に、徐々に生育していった。
大樹の姿形こそ違えども、その根底に龍がいる。
「人々が『良く生きたい』と願える場所こそが、国家なのだ」
そう言って、法院正親は静かに息を引き取った。
その後、移民は蜂起し、龍の背はにわかに硝煙の匂いに包まれる。
隣国の侵攻と相俟って首都圏は乱れたが、国外まで名が通り、世界中のセレブが後年を過ごそうとしていたからか、「終の集落」にほとんど被害はなかったと言う。
甘野充さんのアマノ文筆クラブ、初めての参加です。
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