【体験エッセイ】落ちこぼれ美大生が断食道場に行き、1ヶ月で人生を変えた話
誰でも人生で大きな転機となったような経験の一つや二つはあるのではないだろうか。
僕が人生で一番転機になったことは、少し変わっているのかもしれない..それは忘れもしない。美術大学の1年生の時に奈良の山奥で、約1ヶ月間の断食修行をしているときのことだった。/文・KENLOCK
「このままだと自分がダメになる」大学一年の秋、生まれて初めて本気で焦っていた。
そんな自分が、思いもよらない行動で人生を変える一歩を踏み出すことになるとは、想像もしていなかった。
高校中退後、大検を経て美大に滑り込んだ僕。偏差値は40未満、勉強は嫌いだった。
祖父が日本画家だったから「絵ならまあ嫌いじゃない」と受験したら、運よく合格しただけだった。
創作に意欲的な同級生とはあまり馴染なかった。大学をサボり、学外の悪友連中と深夜に遊びに行き、朝に帰宅し、夕方まで寝るという毎日。
僕は、すぐに美大生の中でも落ちこぼれになった。体調は常に最悪で、創作への意欲もゼロ。そんな自分に焦りが募っていた。
ある日、自宅の居間で久しぶりに父と顔を合わせた。そんな僕を見かねていたのだろう。ポツリと言った。
「お前、断食に行ったらどうだ。」
あまりに突拍子のない言葉に僕は目を丸くしたが、父は淡々と続けた。
「実は俺も昔は大学に行けず、昼間は寝てばかりで身体も弱かったんだ。そんな時、友達に勧められて断食をしたんだが、そこから何もかも改善できたんだ。」
父はにわかに信じがたい断食体験談とその効能を語った。要約すると断食は苦しかったが、成功すると身体も心もスッキリして、モチベーションが湧き上がり、別人のように生まれ変わることができたというのだ。
根っからの無宗教で化学者の父が、突然、スピリチュアルに聞こえる話をしたのには驚いたが、嘘を言っているとも思えなかった。藁にもすがる思いで、断食について調べ始めた。
それから1ヶ月後、僕は奈良の山奥にいた。信貴山というその山に断食道場があった。
専門家の元、集団生活をして、断食を指導してくれる施設を断食道場という。ネットで調べた結果、安全かつ効果的に断食できることを知り、決断したのだった。
山奥の舗装されていない道、僕を乗せたタクシーが停車した。降り立った僕は断食道場の建物を見て仰天した。
でかでかと看板に「大宇宙教」との金無垢の文字が掲げられていたのだ。
いかにも怪しそうな新興宗教のような名前である。とっさに組織犯罪を行うカルト教団だったらどうしようと背筋に冷たいものを感じた。
「こんにちは。今日から断食の方ですか?」
自動車のエンジン音で気づいたのか、建物の玄関から初老の痩せ型の男が出てきた。
柄本明そっくりで不気味な雰囲気に満ち溢れている。
「あ、はい。でもこれ・・・?」
僕は看板の怪しい教団名が気になってしょうがないので、指を指して「勧誘No」という意思を示した。
「あ、これね。大丈夫ですよ。勧誘なんか一切しませんから。さ、どうぞ」
男性はこの手の質問に慣れているようだった。一方、僕は後に引けない状態だった。周囲に大学を一か月間休むと宣言を行い、遠路はるばるこの山奥まで来ていたのだった。ちなみに携帯は圏外だった。
「いざとなれば逃げる。それしかない・・。」
僕は腹を決め、男の後に続き建物の中へ入った。こうして僕の1ヶ月に亘る断食道場生活がはじまった。
断食の流れはこのようなものだった。
まず、準備期(1週間程度)で玄米菜食による減食を行い、身体を慣らす。
次に、本断食期(1週間程度)では水のみを摂取し、ヨガや散歩で体を動かす。
最後に、回復期(1週間程度)で具なし味噌汁や玄米菜食を徐々に再開し、身体を整える。
期間は3泊から25泊まで選べ、個々の健康状態に応じて選択できる。人生を変える気でいた僕は強気で25泊コースを選んだ。
断食開始後、間もない3日目の夜、これまで感じたことがないような空腹地獄に襲われた。
胃が「ラーメン! カツ丼!」と叫んで暴れている気がした。
道場は標高が高い山頂付近にあり、個室の中は10月でも寒かった。
また、何も口にしていないことで更に身体が冷え込んでくる。時の経つのが永遠のように感じられた。
気を紛らわすために携帯を見たくても圏外。過去の失敗や後悔が頭を駆け巡る。
高校中退、悪友との無意味な夜遊び、その場しのぎの課題制作。
自分の人生がまるで空っぽに思える。
生と死というものが表裏一体にも感じられてきた。
どうしようもない自分が生かされてきたこと自体が奇跡のように感じられ涙が出そうになった。
薄い布団にくるまりながら、徐々に意識が朦朧としてくる。
断食道場は最初の懸念を払拭するくらいアットホームで、むしろ居心地のいい場所だった。
美人なお金持ちの奥様、銀座のホステス、滝行好きなメガネおじさん、トトロみたいな気のいいおばちゃん、陶芸好きのおじいちゃん、幸薄いお姉さん、ギョロ目のおじさん。
おそらくみんな何かの問題や課題を抱えてここに来ていた。
昼間は1階の和室で自由に過ごし、グルメ番組を見ながら「出たらお寿司!」「いや、焼肉!」と目をキラキラさせる会話が弾んだ。
最初は空腹で会話どころでなかったが、1週間を過ぎると身体が軽くなり、冗談を言い合う余裕も出てきた。
いろんな人が道場に集い、集団生活をしていた。夜は21時頃、就寝時間となる。
各々が個室に篭り、空腹や道場の外で直面していた問題、課題と向き合って過ごしていた。
「明日の朝、御来光を見に行きませんか?」
道場で仲良くなった40代半ばの男性が提案してきた。滝行好きなメガネおじさんだ。
彼は過労による鬱病を克服するために滞在し、3日後に道場を卒業することになっていた。彼は嬉しそうに続けた。
「朝、山頂のお寺で日の出を見ようと思ってまして。まだ暗い内に道場を出て、境内へ行くと綺麗な朝日が見れるんです。それはもう格別で・・」
「是非いきましょう。」
自分でも思いがけず二つ返事していた。道場に来るまでは朝、起きる事すら苦手だったが、道場での規則正しい生活に慣れてきていた。
2週間、何も食べていないのに日の明ける前から山登りという提案も前なら無謀に感じただろう。だが、その時にはワクワクする気持ちが芽生えており、自身の変化に驚いてもいた。
翌朝、5時半頃、まだ外は暗かった。御来光を見るべく道場の前には4~5人が集まっていた。
澄んだ冷たい空気だった。
微かな外灯を頼りに一同は山頂の境内向けて歩き始めた。山道を少し歩くと石階段が続いており、息が切れてくる。
頬に汗がつたうのを感じながら、全員無言で歩いていた。
1400余年前、聖徳太子が物部守屋討伐の際に戦勝祈願をしたことから信仰されてきたこの山には、1000年以上の時を経ても御来光を見るために多くの人びとが朝から集まってきていた。やがて僕たちは境内に到着した。
薄暗い地平から徐々に光が現れて、地上のすべてのものを照らし始めた。
僕たちは息を飲んで日の出を見ていた。これまで見たことのない眩い光だった。
巨大な生命のエネルギーそのものが自分に宿っていくように感じた。
自身は何か人に誇れるものがあるわけでもない、何も成し遂げてもいない存在だった。
それでも一歩ずつ着実に進んでいけばいい、日の昇る姿を眺めていると、いつの間にそんな気持ちになっていた。
その後は順調に回復期を迎え、待ちに待った初めての食事をとることになった。
玄米が少量だけ入った粥だ。
通常時では信じられないような粗食である。キラキラと光って見える米粒を少量ずつ、口に運ぶ。液体になるくらいよく噛んで咀嚼する。甘く香り高い粥を飲み込む。
泣いてしまいそうなくらい美味しかった。
ゆっくり30分ほどかけて粥を食べ終える頃には、身体の芯から万物への感謝の念で満ちていた。
相変わらず、自分に夢という夢はなかったが、大学に戻ったら、演劇サークルに入ろうと決意していた。悪友とは縁を切ることにした。
ただ、新しい何かに挑戦したかった。
世の中に恨みつらみを言い続ける仲間とは距離を置こうと思った。
何かに流されるのでなく、自分の心に聞いて、いい方向に向かって前に進む。断食で得たのは、内なる声に耳を澄まし、信じてみたいと思える力だった。
