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悟りのプロセスとネタバレ

こぶらはシヴァ神が好きである
むしろシヴァ神かもしれない
だから、全てを破壊する
けどね、破壊、創造、維持は全てこの瞬間なのかもね

本稿はかなりぶっちゃけた「悟り」のプロセスを書いている
「夢を見ている夢」を、
片っ端から壊すことになるかもしれない

けど内観の内容であって再現性はないだろうし、
そもそも微塵も需要がない着地をする

「あぁ…悟り勘違いね…?」
ワンチャン…そうだったら良いのにな👻
それくらい、何度もここを踏みしめている


「私は悟った」
これを言えないのも事実
言えるのも事実
思索の中でどちらも通ってみることにする



●悟りの段階

◯神秘体験→なーんも関係ないから、
もし神秘体験と出会えたら楽しんどくとよろし。

瞑想中細胞が開く感覚があったのは凄かった😳

◯一瞥体験→どう定義するかによるけれど、余計な思考が全てすっ飛ぶ瞬間とする。
充足(不足がない)を実感する瞬間。
けれど、その瞬間に気づくとすぐに思考がやってくる。

◯覚醒1
「真我」「在る」…神聖な世界の入口に立つ→
思考、肉体、現象が存在の土台でないことの理解。
それは何者の影響も受けず、何者の影響も与えられない。
何かはわからない。
「私」だけが「わたし」と呼べる土台。
ここから徐々に使う言葉に神聖さが宿り始める。

※ここからの「覚醒後1〜4は順番とかないと思う」ただそんな感じだったとだけ…


◯覚醒後1
それはあまりにも呆気ないものであり「私は間違えているかもしれない」と思考が騒ぐ。
色々な知識を集めて照らし合わせようとする。
わからないコンテンツと出会うと揺れる。
振り子に悩まされる。



◯覚醒後2
色々な指差しを試してみたところ、どうやら自身は「光の性質があり、それは即ち愛である」という理解が腑に落ちる。

太陽は光ではなく、太陽は光に照らされるものである。

その性質は「あるがままの受容(無条件の愛)」であるという言葉が当てはまる。

ちなみに視覚が無くてもそれは同じである。





◯覚醒後3
全ての物事は主客未分であるということの気づきが齎される。
「見る=見られる」
そこに主体、客体がないということ。
全ての物事は一つであるという理解。
だが、なんかこれをONENESSとは呼びたくない感。
二つでない。非二元性である。
死後、熟睡中をONENESSと呼ぶほうがしっくり来る。


◯覚醒後4
全ての物事は起こるべくして起こるという理解。
「起こるべくして起こるという理解」という思考も、齎されるものである。
祈りを捧げるとき、人間が祈るのではなく。祈りが齎される。


ここまでで、
存在と世界が別物だという前提が崩れる

それは梵我一如であり
即ち「汝、それなり」


けれど、「私」とはその名前ではない
「私」とは思考の産物であり存在しない
「在る」が、「私」は存在しない
肉体は確かめられる
思考は確かめられる
現象は確かめられる
「私」は想念である
※「悟る私はいない」という理解はここ


◯覚醒後5
「わたし」とは言葉を選ばなければ「定義されないものである。けれどそれではない」

否定系の完成
そして、否定系のなかでしか「全てを否定しないこと」が実現できない事の理解が訪れる

肯定は閉じ
否定は閉じない

私が想像する「私」は…いなかった
空性のこれが土台なのであろう感

諸法無我
諸行無常
縁起
涅槃寂静
これらが説明文としてしっくり来る


◯覚醒2
神聖な世界を手放す
目覚める
夢から覚める


◯悟り

あ、何も変わんねぇやこれ(笑)

※もう非二元とかに拘らんから「私は悟った」と言えるようになる
けれどここらで向き合ったものは全て自由に使える


「私は悟った」って言えるのは、めちゃくちゃ自由だ
けど、ぶっちゃけ精神世界で右往左往してただけでもある
だから「人としての未熟さ」は別に解決していない

なので、やっぱり言いにくくもある


電車で席に座ったら寝た振りするとかしてる奴が「悟った」とか言えないでしょ?笑

けど、最後が「なんも変わんねぇやこれ」はかなり大事だと思う
最後の執着がそこにはあるから
こぶらは中ボスをたくさん残してきちゃった😭


◯悟り後

あぁ死にてぇ!
よし、生きよう!
哲学とかめんどくせぇ←イマココ
真っ当に生きなきゃ😫ぐぇ

そして2年半〜3年くらいの迷走の果てに…
得られた成果は…


「俺、悟ったから…(震え声)」


これくらい許してや?
最高だろ?


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中論

真我


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