139:嫌われる人と余計な一言
皆様こんにちは。
社長と僧侶の2つの顔を持つうえぽんこと上田嵩覚です。
昨日、いろいろあって飲みすぎてしまい
完全に二日酔いで迎えた日曜となりましたが
noteはnoteとして今日も元気に
126日目の記事を書いていこうと思います。
今日のテーマは
「嫌われる人と余計な一言」という
少しネガティブにも見えるタイトルです。
これは様々なところで出会った人たちの中に
どうしてそんなこと言ってしまうんやろうな~
って思う人が何人かいて
そんな人たちについて考えてみようということで
記事にしてみました。
タイトルは少しネガティブに見えるかもしれませんが
同じような経験をしたことある人には
ちょっと共感してもらえるのではないかとも
思っています。
「余計な一言」
人の印象は
驚くほど「たった一言」で決まるのではと思います。
もちろん、一度の会話で
全てが決まるわけではないですが
人が「あ、この人ちょっと苦手かも」
と感じる瞬間のほとんどは
ほんのたった一言の少ない言葉から生まれます。
その少ない言葉が、余計な一言です。
第一印象は出会って数秒で決まると言われますが
人が嫌われるのも
この一言という一瞬で決まってしまうとボクは思います。
言わなくてもいいことを言ってしまう
聞かれていないのにアドバイスしたくなる
空気が読めないわけではないのに
なぜか言葉が勝手に飛び出してしまう
そんな一言が場の空気を重くして
相手の表情を曇らせ
心の距離をひそかに広げてしまうことに繋がります。
そして、気づいた時には
「あの人、ちょっと苦手」
というレッテルが貼られる結果になっています。
ちなみにですが
嫌われる人も余計な一言を言ってしまう人も
どちらも自分から進んでやろうとしているわけではありません。
どんな人でも「嫌われたい」とは思いませんし
「余計な一言」を言いたいと思っていません。
むしろ本当は好かれたいはずです。
誰かに理解して欲しいですし
近づきたいし、役に立ちたいと思っているはずです。
それなのに嫌われてしまうのは
好かれたいと思って頑張りすぎてしまったからとも言えます。
相手のためを思って言う
良かれと思って伝える
沈黙が怖くて埋める
こういった「思いやり」のつもりでしていることが
独りよがりになった瞬間
余計な一言に変わるのではとボクは思います。
嫌われる人の多くは
他人を傷つけたいのではなく
「自分を認めてもらいたい」ことが多いように感じます。
余計な一言というのは
こんな自己防衛の気持ちから
生まれてくるのではないでしょうか。
余計な一言について
もう少し考えてみると
余計な一言を言ってしまう人は
つい口が滑ってしまうことあると思いますし
もしかしたら、意地悪な性格なのかもしれません。
けれどもそれ以外にも
不安から出てくる時があると思います。
例えば
・沈黙が怖い
・嫌われるのが怖い
・自分の存在を確認したい
・すごいと思われたい
・負けたくない
・認められたい
こういった小さな不安が口元にまで登ってきて
結果、言葉として飛び出してしまうわけです。
だから、余計な一言とは
単なる「しゃべりすぎ」の人だけではなく
自信のなさを埋めるための行動とも言えます。
人が発する言葉には
その人の心の状態を一番正直に映し出すとボクは思っています。
ということは
そういった余計な一言が
その人の弱さを露呈していることの表れでもあります。
反対の観点から見てみると
思いやりというものは言葉にならないものが多く
また優しさも、沈黙や話す以外の行動の中にあるものです。
気にかけながらも口を出さないこと
相手が言われたくないことを察して黙ること
相手のペースに合わせて引くこと
相手の表情を読んで、あえて触れないこと
こういう沈黙や行動が優しさや思いやりと感じます。
けれども、余計な一言はその沈黙を破壊する行為で。
沈黙の優しさより、言葉の正しさを押し付けることです。
それを感じた瞬間に
相手は少しずつ距離を置き始めて
嫌われていくことに繋がります。
「沈黙は金なり」とは
思想家のトーマス・カーライルの言葉のようですが
沈黙には力があります。
沈黙することで
会話に余白が生まれたり
相手に時間を与えたり
自分にも余裕を持たせることができます。
余計な一言を言ってしまう人は沈黙を恐れていると感じます。
なぜなら
沈黙の中では「自分の不安」が
はっきり聞こえてしまうからです。
沈黙を怖がる人は
言葉で不安を埋めようとするので、言葉が多くなる。
そしていらない一言、余計な一言を発してしまうのです。
沈黙に強くなることは、人間関係に強くなることとも言えます。
そして嫌われる人は
人間的に悪い人ということではありません。
ただ、タイミングが悪い…。
・言うべきときに言わない
・言わなくていいときに言う
・黙るべきときに話す
・話すべきときに黙る
こういったことが続くので
人が離れていってしまうわけです。
人間関係とは、結局のところ
タイミングに左右される局面が非常に多いものだと思います。
正しいかどうかより、適切かどうかが重要になります。
「その服あまり似合わないね」
「そのやり方、効率悪いよ」
「もっと頑張ったほうがいいよ」
「その程度で悩むなよ」
「私のころはもっと大変だった」
「なんでそんなこともできないの?」
こんなことを悪気がなく言ってしまう…
むしろ、本人は
「いいことを言っているつもり」である場合すらあり得ます。
しかし、受け取る側にとっては、
それらは全部、否定のように聞こえてしまうわけです。
余計な一言は
たいてい「善意の皮」をかぶっているいることが
問題をさらに厄介にさせているわけです。
ここまで、余計なことを言って
人から嫌われる人を焦点にしてきましたが
そういった人を嫌う人側の話もしていきたいと思います。
余計な一言を言われてすぐに嫌う人もいると思います。
けれども、すぐに嫌うという感情や行動になるのもまた
聞き手側も余裕がない状態かもしれません。
人間関係は一方通行ではなく
常に双方向に作用する関係です。
相手は余計な一言を言ったかもしれませんが
こちらもそれを多少は許容する
余裕を持って対応したいものです。
人は、自分が疲れているときほど傷つきやすいし
誰かの小さなミスに敏感になってしまうものです。
そんな時は特に相手の言葉の棘に
必要以上に反応してしまう気持ちも分からなくもないです。
ただ、たった一言で
全てを決めてしまうような対応を取ってしまうとしたら
それは片方だけの問題とはなかなか言えないのかなと思います。
さて、そんなこんなで
今日の記事をまとめていきたいと思います。
ほんの一言が、人間関係を大きく変えてしまいます。
けれど
その、ほんの一言を飲み込むだけで
壊れる予定だった関係が救われることもあります。
余計な一言を言わないように気を付けたいと
記事を書きながら自分も改めて思いました。
ただ、実際には
余計な一言を発してしまう人に限って
自分がそうであることに気づけていないというのは
世の常と言える現象です。
そして余計な一言を言われたとしても
サラっと流せるような人物でありたいと
ボク自身も思います。
特にボクは飲み屋さんなどで知り合うことも多いので
ホントにいろんな方と出会います。
自分の成長のためにも
今一度振り返ってみたいと思います。
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