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164:noteで初めて変なコメント来たので「責任」というテーマで考えてみた。

皆様こんにちは。
社長と僧侶の2つの顔を持つうえぽんこと上田嵩覚です。

今日は木曜日ですね。
気付けばもう2日で今週も終わりです。

さて、ちょうど150日目の記事
今日のテーマは「責任感」です。

というのも
昨日の記事に対してコメントが来ており

どうやらその人は
ボクがアホだからアホについての記事を書いたのでしょう
ということと

自己紹介のところで僧侶って書いてあるところを
切り取って
僧侶ってそんなんでも良いんですね的なことを
ものすごい皮肉めいた書き方で
いただいたわけです。

当然、返信することもなく
すぐに消去させてもらいましたが

そういうコメントする人って
一体、どんな気持ちで書いてるのだろう?
と、ボク自身が考えてみようと思ったわけです。

ちょっと前の記事で
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

というタイトルの記事を書きましたが
まさにそれに尽きるかなと思うのですが
それを言ったらおしまいなので

今日は「責任感」という言葉を使って
考えていきたいと思います。

先の例で考えてみると
ボク自身の記事の言葉は
ボクの責任で書かれています。

その言葉の責任というものがあるとするならば
ボクの責任と言えるでしょう。

同じようにコメントをしてきた人も
ご自身の責任で書いていることでしょう。

ボクにしてもその方にしても
その発言によってどんな結果になるかは
自分の責任ということになります。

ボクの場合は
そういう変なコメントが来ることは
止めることはできないことですし
相手にどうこう言ってもしょうがないものなので
ボクの責任で削除して
ブロックするという行動を取ります。
※ちなみに今回で初めてnoteでブロックという機能があることを知りました

相手の方の場合は
自由にその発言をしたおかげで
少なくともボクからは良い印象になることはなく
単純に嫌われるという結果を受け取ることになります。

ここで1つ思うのは
その発言をわざわざ名指しで言うことの
目的は何なのか?ということです。

そんなコメントしたら
相手に嫌われるに決まってるわけです。

嫌われるようなことを言って嫌われたとして
それを相手がおかしいと思うのは
そもそも自分の発言の責任が分かっていないという
まさに昨日の記事に書いた
「未来のことが見えない」状態なわけです。

自分がしたことがどんな結果を生み出すのか
全く分かっていないわけです。

反対にボクの立場としては
ボクの記事は基本的にどんな方でも読めるようになっているもので
特定の誰かに向けて書いているものではありません。

それに記事を見るか見ないかも
見る方の判断に委ねられています。

強制的に見せることなんて不可能ですし
嫌なら見なければ良いわけですし
良いと思ったら見たら良いわけです。

見るという選択もその方の判断でしているはずです。
そういった意味では
見る選択も自分の責任で行っているということになります。

そしてボクが誰かをブロックしたり
コメントを削除するという行動によって
その方から嫌われたとしたら
それはボクの責任ではありますが

変なコメントをしてくる方から
気に入られたいとは全く思っていませんので
その結果を受け入れられるわけです。

そんなところで
責任感というものを
もう少し深く考えていきます。

責任を感じることというのは
非常に大事なことだと個人的には思います。

これは何か過ちを犯してしまった時のことだけではなく
仕事をしていく上で
この責任感があるかないかで
仕事のクオリティや能力の向上などに
大きな差が出てくると感じているからです。

責任感がないという状態は
「どうせ〇〇なのだから、このくらいでいっか」
などと諦めともサボりとも思えるようなスタンスで
物事に取り組むことです。

ただ、面白いことに
責任感がある状態というのも
「どうせ〇〇なのだから、これくらいはやっておこう」
というスタンスになるということです。

この「どうせ〇〇だから」という部分が
変わらないのです。

この〇〇の部分に何を入れるかで
後が変わってくるわけです。

責任感のない人の〇〇の部分には
「どうせ、アルバイトなんだし」
「どうせ、誰がやっても同じなんだし」
「どうせ、誰も見てないし」
「どうせ、頑張ってもムダだし」
「どうせ、そのうち誰かがやるし」
「どうせ、やっても変わらないし」
というものが入ります。

反対に責任感のある人の〇〇の部分には
「どうせやるなら、任せてもらったことに応えたいし」
「どうせやるなら、最後までやりたいし」
「どうせやるなら、後で後悔したくないし」
「どうせやるなら、良い結果にしたいし」
「どうせやるなら、誰かが困るのはイヤだし」
というような内容が入ります。

比較してみてどうでしょうか?

責任感がある人とない人で
その後の人生や仕事の出来、能力が上がるか下がるか
どう変わって生きそうに見えますか?

当然、責任感がある人の方が
今後の伸びしろ、成長率などが
圧倒的に高そうですよね。

そんな人にこそ仕事を任せてみよう
新たな立場で頑張ってもらおうと
見ている人は思うのではないでしょうか。

さらには組織的に考えてみても
責任感がある人たちが集まっている組織というのは
良い組織に感じますよね。

ちなみにボクは何かをする時は
「どうせやるんだったら、最大限やろう」
みたいな心構えでやることが多いです。

責任感があるというのは
自分の時間、労力、お金などの資源を
自分がどう使うかをはじめ
自分の行動、発言、選択、判断などが
自分以外にどう影響を及ぼして
どんな結果になるか自分で責任を取ることです。

責任感がないというのは
それらの自分の資源や判断、行動の結果を
自分以外の何かのせいにするということです。

noteを初めて初期の頃に書いた記事で
ボク個人としては好きな言葉ですが
「この世のすべての不利益は当人の能力不足で説明がつく」
わけです。

自分以外の何かのせいにして
生きていても
自分が成長することは一切ありません。

誰かを批判しても
自分が良くなることはありません。

誰かの足を引っ張って
自分が昇進することはあっても
自分の能力が上がることはありません。

誰かにイライラ、怒りぶつけても
相手が笑顔になってくれることも
相手が喜んでくれることもありません。

誰かを悪者にして責めたとしても
自分が本当に望んだ結果になることはありません。

世の中では理不尽と思われることも
不条理を感じることもたくさんあると思います。

そんな時は責任を自分以外の何かに求めるのではなく
自分自身にできることを考えるようにしましょう。

確かにすぐにはそう思えないようなことも
あるかもしれません。

ただ、そのような辛い場面に陥ったとしても
自分はその後の生き続けていくわけです。
生き続けていく以上
いつでもベクトルは他人ではなく自分に向けて
考えていくことが
人としての成長に繋がるのではないかと思います。

さて、そんなところから
昨日の自分の記事を振り返ってみたいと思います。

確かに言葉として「バカ」とか「アホ」という単語は
ボク自身は日常的に使うことはないですし
不特定多数が見るようなnoteで使うこと自体に
抵抗がなかったわけではありません。

実際にそんなコメントが来るぐらいですから
そういう言葉に過敏に反応してしまう人が
少数ですが、いるのは今回の件で理解できました。

ただ、タイトルと中身をよく読んでいただけている方であれば
それが侮辱的な意味の言葉として使っているのか
そうではなくアイコン、記号として使っているのかくらいの
判断はできるのではないかと
ボクは思っていたわけです。

実際には何も理解してもらえてない様子でしたが…。

ボクが今回の件で反省するとすれば
タイトル表記の言葉を過激にしすぎたことかと。

とは言え、そんな少数
しかも記事の内容をほとんど読んでいないような人に対して
そこまで迎合する必要があるかと言われたら
そこまでする必要はないかという結論になり

今後も目を引くようなタイトルがあれば
どんどん使っていきたいと思います。

もう少し言えば
この記事を書いていて
コメントは残しておけばよかった…
と、少し後悔…
反省点はこのくらいです。

ちゃんと記事を読んでくださる読者さんが多く
順調にフォロワーの方も増えていってるようで
非常に有難く思います。

今後も日々、更新していきたいと思いますので
よろしくお願いいたします。

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この記事に関連する他の記事はコチラ☟

6:この世のすべての不利益は当人の能力不足で説明がつく

153:父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。

163:どうやら、良い未来が描けない人のことを「アホ」と言うらしい。
 ※コチラ噂の記事です(笑)


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