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鳥羽の離島医療会議を終えて:感謝と、次の問い

鳥羽で終えた離島医療会議(第4回)

離島医療会議が、今年もとても良かった。
終わって時間が経っても、体のどこかに余韻が残っています。

今回で第4回目。これまでは島根県・海士町で開催してきましたが、今年はご縁が重なり、三重県・鳥羽での開催になりました。場所が変わるだけで、出会う人も、見えてくる景色も、少しずつ変わっていきます。

海士町から鳥羽へ。縁が“移動”していく感覚

当日は海士町の大江町長や関係者、鳥羽市の小竹市長、議員さん、役場職員、厚労省や国交省の関係者そして現地の医療従事者や住民の皆さんも一体となって、場が立ち上がっていく感覚がありました。

離島医療は、医療機関の中だけで完結しません。
自治体、行政、住民、地域の産業、交通……あらゆる要素が重なって、はじめて“医療が機能する”場所がある。離島医療会議は、そうした視点を持ち寄って、互いの立場を尊重しながら、今と未来を言葉にしていく場でありたいと思っています。

いちばん心に残ったのは、漁協の方の言葉だった

今回、いちばん印象に残っているのは、漁協の方の言葉です。

診療所に常駐の医師がいない日がある地域では、急変時の搬送が大きなテーマになります。海が荒れていたら「じゃあ誰が船を出すのか」という問いが現実の重さを帯びる。過去には天候が荒い中で船が沈み、亡くなる方が出たこともある。そうした背景も共有されました。

その上で語られたのが、「自分たちは決死の思いで搬送している」という言葉でした。
「あの家は子どもが小さいから、今回は行かせない」
「自分たちがやるしかない」
そうやって、誰かの生活や家族を思い浮かべながら、決断しているのだと。

医療者である自分は、搬送をどこか“インフラ”のように捉えていたのだと思います。住民の方が医療をインフラのように感じるのと同じように、医療者は搬送も「あるもの」として見てしまう。でも、搬送を担う側から見れば、それは覚悟で、責任で、ときに命をかける行為でもある。

この“見え方のズレ”に、はっとさせられました。
そして、胸を打たれました。

続けるほど、視点が増えていく

4回目になって感じるのは、離島医療会議は回を重ねるほど「視点の増加」を連れてくる、ということです。

新しい関係者が集まり、新しい課題が言葉になり、ときに良い事例も共有される。
「次に何をするか」ももちろん大事ですが、それ以上に、まず“見える世界が広がる”こと自体に価値があると思っています。視点が増えれば、同じ課題も違って見えてくるし、解決の形も変わってくる。

離島医療会議は、学会でも、行政会議でもありません。
だからこそ、立場の違う人たちが、フラットに、真剣に、自分の現場の言葉で話せる。そんな場であり続けたいと思っています。

感謝と、後日談(新幹線のビール事件)

関わってくださった皆さんに、改めて感謝しています。
運営・登壇・協力・参加、どの立場であっても、関わる人の時間と関わる人の現場が乗っていて、積み重ねで場ができているのを実感しました。

開催後、帰りの新幹線で、感謝のメッセージを書いていました。書き終えた瞬間に、ふっと緊張が切れたのか、ビールを盛大にこぼしてしまい、テーブルから廊下までビールまみれに……。急いでティッシュで拭きながら、これは反省だなと思いつつ、でも自分の中では「ああ、今年もやりきったな」と感じた瞬間でもありました(小さな失敗で済んでよかったです)。


また次の回へ

離島医療会議は、続けることで少しずつ前に進んでいる気がします。
今年、鳥羽で増えた視点を、来年また別の場所でどう引き継ぐのか。
そんなことを考えながら、次の回に向けて、風と土とさん、リトケイさん、そして皆さんと共に準備していきます。

現地集合写真

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