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堀雅昭著『靖国神社とは何だったのか』(宗教問題刊)好評発売中です!


堀雅昭『靖国神社とは何だったのか』(画像をクリックするとアマゾン販売ページへ)

堀雅昭著『靖国神社とは何だったのか』
(宗教問題刊、2020年8月12日発売)
四六判、224ページ、定価:1,320円(税込)

【著者プロフィール】
堀雅昭(ほり・まさあき)
昭和37年、山口県生まれ。山口大学理学部卒業。放送大学および山口大学非常勤講師歴任。著書に『靖国の源流』『靖国誕生』『井上馨』『鮎川義介』『寺内正毅と近代陸軍』(いずれも弦書房)など。山口県宇部市在住。


【内容紹介】

靖国神社初代宮司・青山清の子孫である山口県在住の作家・堀雅昭氏の著書『靖国神社とは何だったのか』が、宗教問題社より好評発売中です(2020年8月12日発行)!

靖国神社初代宮司の青山清(1815~1891)は長州・毛利藩に仕えた神官で、吉田松陰の弔いをし、また戊辰戦争で使われた「錦の御旗」の製造に関与するなど、明治維新で活躍した志士たちを、まさに精神面で支え続けた宗教家でした。
そんな彼が明治維新後、靖国神社の初代宮司となり、大日本帝国のため死んだ軍人たちを、「神」として祀り始めるのです。
つまり、青山清の生涯をたどれば、いわゆる国家神道とも密接に結びつく靖国神社の精神的源流、大日本帝国の思想的基盤に自然に行きつくといえましょう。
しかし青山の事績は靖国神社の公的資料でもあまり詳しくは語られておらず、山口県の郷土史界からもなぜか軽視され続けてきました。本書はそんな青山清の伝記を軸としながら、靖国神社の源流に何があったかを解き明かす、知られざる靖国創建史です。
この機会にご関心ある皆様は、ぜひご購読ください!

靖国神社とは何だったのか◎目次

第1章 靖国の原像
2つの神社/維新招魂社の出現/京都蹴上と霊明舎/廃仏棄釈の目的/密造された錦の御旗/福原越後と楠公祭/長州の招魂祭/井上馨と青山大宮司家第2章 伝統と革命
天皇陵の整備/神職たちの神威隊/国学的身分解放/八角形墓の思想/吉田神道とキリスト教
第3章 賊軍と官軍
右翼に殺された大村益次郎/九段のモダニズム/明治天皇と「彰義隊の墓」/陋習を破る遊就館/幻の「愛魂大遊園」構想
付録 2人の宮司はなぜ靖国を去ったのか
徳川康久宮司の違和感/近代を揺さぶる賊軍の系譜/テレビ討論の一夜/安倍首相の琴崎参拝と靖国

「はじめに」全文公開

 靖国神社が長州由来といわれる理由は、明治維新の産物だからである。このため皮肉を込めて「長州神社」とも揶揄されてきた。
 維新の最初の震源地は山口県の萩であり、扇動者は長州藩士の吉田松陰であった。しかし松陰が靖国神社に祀られたのは、はるか後の明治21年5月である。維新後の国民の前にヒーローとして登場するのは、さらに5年後の明治26年末、徳富蘇峰が『吉田松陰』を出したときであった。
 後にマルクス経済学者となる河上肇がこの本と出会ったのは、山口高等中学校に入学したときで、「非常な感激を以て読んだ」と『自叙伝』で回想している。以後、河上は萩の松陰神社に何度も出かけ、松陰の筆跡を印刷した書を何枚も買って寄宿舎の壁に貼るほど松陰ファンになる。理由は、「電火的革命家」が主宰する松下村塾が「徳川政府顚覆の卵を孵化したる保育場」であったからだ。松陰は左翼からも人気があった。
 ところで松陰は、東京伝馬町の獄舎で処刑される前年の安政5年9月に『西洋歩兵論』を書いていた。「兵は正を以て合ひ、奇を以て勝つ」という孫子の言葉を紹介し、旧来の和流兵学の常識を超えて、「足軽以下農兵に至るまで」を集めた「西洋歩兵」の必要性を説いたのだ。それはフランス革命期のナポレオン軍に似た民兵である。松陰の時代の先取りが維新革命の原動力になったことは、門下生の久坂玄瑞が外国船攻撃で文久3年5月に身分を超えた光明寺党を下関で立ち上げ、翌6月に高杉晋作が同様の奇兵隊を結成したことで証明される。松陰由来の「西洋歩兵」が徳川幕府を転覆させて、明治という新時代を用意したからだ。
 この「西洋歩兵」は、神社界にも影響を及ぼした。
 文明開化のシンボルとして明治2年に東京九段に登場した靖国神社は、最初は東京招魂社という名であった。しかし、さかのぼれば幕末長州の招魂祭(招魂社)に起源を持っていた。それこそが徳川幕府と干戈を交えた長州藩の「西洋歩兵」の戦死者たちを祀る祭事であり、彼らを神に仕立てる慰霊装置であったのだ。本書の主題のひとつが、こうした招魂祭を長州藩で主導した青山清が、後に靖国神社の初代宮司になった流れを追うことにある。
 青山清はたまたま筆者の祖母・野村ヒサの祖父で、藩政期は萩の椿八幡宮の大宮司家・第9代として青山上総介を名乗っていた神官であった。清の名は、明治4年の廃藩置県から後なので、本書でもそれまでを青山上総介、それ以後を青山清と区別して表記した。
 一方で地元でもほとんど知られてないが、青山は幕末の弘化3年に藩主・毛利家の氏神「平野大明神」を復活させ、境内に平野神社の再興する計画を立ち上げていた。「平野大明神」にこだわった理由は、毛利家の祖先が平城天皇の皇子・阿保親王であったからだろう。「一品」の位にあった阿保親王の落胤の大江音人が毛利家となり、「一に三つ星」の毛利家家紋も「一品」をデザインしたものであった。実にこの大江氏時代の氏神が平野神で、京都市北区に鎮座する平野神社に祀られる今木神、久度神、古開神、比咩神の四柱の総称である。
 時代が下って関ヶ原で徳川家に敗れた毛利家は、移封先の長州・萩の地に鎮座する椿八幡宮に祖先神である「平野大明神」を祀らせるため、随行の青山元親(青山左近大夫)を大宮司にすえた。それが藩政期における萩の椿八幡宮の青山大宮司家の始まりであり、青山上総介は、そこから数えて9代目の子孫だった。
 その意味では幕末の平野神社再興プランは、関ヶ原敗戦体制のリセットの意味があった。その延長線上に徳川幕府と戦って死んだ家臣たちを招魂祭で祀り、結果として多くの招魂社が長州藩内に誕生した流れを知るとき、明治になって出現した靖国神社の本質が見えてくる。
 本稿は季刊雑誌『宗教問題』(合同会社宗教問題刊)編集部の求めに応じて、平成27年の夏号から令和2年の夏号までの5年間、20回連載した「維新の長州精神史」を元にしている。これに新たな資料を加えて改稿したもので、結論からいえば靖国神社側がこれまで公表してこなかった創建秘史である。
 付言すれば、雑誌連載中に靖国神社で2人の宮司が連続して辞任した事件があったが、いずれも因縁めいた出来事であった。
 最初の騒動は第11代の徳川康久宮司が、徳川慶喜の曽孫という立場から明治維新を総括して問題となり、平成30年2月に辞任した事件だった。2回目は同年3月に就任した小堀邦夫宮司が一度も靖国神社に親拝されない天皇(現・上皇)に対して、「陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」との不敬発言をして10月に辞任した出来事だ。このため11月に山口建史氏が第13代宮司に就任したが、年が明けて創建150年を迎えた令和元年7月に、祭儀課長のセクハラ疑惑が『週刊新潮』で報じられるなど、前代未聞のゴタゴタが続いた。本書の最後に「2人の宮司はなぜ靖国を去ったのか」という付録の章を設けたのは、こうした時事問題に触れるためである。
 なお、「靖国神社とは何だったのか」というタイトルは、連載の終わりが見えてきたころに『宗教問題』編集部と書籍化の打ち合わせを行っていた際、小川寛大編集長の口から飛び出した言葉である。「『何だったのか』と、過去形でしょうね」と言われたのが今でも耳に残っている。靖国神社はすでに過去の遺産なのか、それとも新しい靖国神社がここから生まれるのか。忘れられた近代史から一人ひとりが答えを見つけていただきたい。

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