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ことばと新人賞、落選コメントに感動!


1.ことばと新人賞とは

今年初めて、第7回ことばと新人賞に応募しました。
2,500円の選考料を支払えば、5名の選考委員(下読みなし)が全ての応募作品にコメント(無記名)を書いてくれてメールで送付される画期的な文学新人賞です。

選考委員
江國香織、滝口悠生、豊﨑由美、山下澄人、佐々木敦

発表誌及び副賞
文学ムック「ことばと」vol.9(2025年11月刊行予定)
受賞作は「ことばと」掲載に加え、単行本化

この選考システムは、選考委員の一人、豊崎由美のアイデアであるようです。(『どうかしてました』151ページ参照)

2.作品へのコメントはストライクど真ん中!

私の応募作の内容と、選考委員からいただいたコメント(ほぼ400字)はここには記しませんが、コメントはあまりに的を得ていて、腑に落ちすぎで、ダメ出しを受けてこんなにスッキリしたのは、人生初のことでした。

そして何よりも、落選作でもここまで読み込んでいただけたことに、心からの感謝の念を感じざるを得ません。
選考委員の皆様には、この場を借りて篤く御礼申し上げます。

3.私と小説

私が小説を書き始めたのは2021年6月なので、4年半前のことです。
そのきっかけは誰にも言えませんが、文学部日本文学科出身にもかかわらず、自分が小説を書こうなどとは、夢にも思っていませんでした。

当時から続く私の小説のコンセプトを鑑みると、選考委員による切れ味鋭すぎのダメ出しが、実によく染みてくるのです。
「小説をナメんじゃねぇ!」とガツンと叩かれた気分で、益々、やる気が湧いてきました。
選考料の2,500円は安すぎです。

4.私の思想

小説を書き始めてから4年半、やっと自分の思想らしきものが形を現してきたようです。
その核(コア)はとてもシンプルで、ありきたりかとは思いますが、人は「何者かになる」「何かを成し遂げる」ことより、どんなに情けなくても「ただ生きる」「役割を演じきる」ことのほうが大切なんじゃないか? ということです。
「結果」より「過程」が大切、というビジネスの常識とは逆の考え方です。
ご理解いただけるよう、歴史上の人物の例で説明します。
20代の頃の私の憧れの歴史人は高杉晋作でした。
しかし現在は、鳥羽伏見の戦いの後、やる気満々だった幕臣たちを見捨て、船で江戸に逃げ帰り、切腹圧力の中、あれよあれよと生き続け、明治以降も長い余生を送った徳川慶喜の人生もそれなりにかけがえのない人生、というか、自らの人生を振り返ってもブザマなことの繰り返しだったし、百人百様のどんな人生(配役)でも「ただ生きる」「役割を演じきる」ことが、肉体を持った三次元物質世界を生きる人間の目的でいいんじゃないか? と思っています。

5.死ぬまでの間のヒマつぶし

小説を書き始めた4年半前まで、私のアイデンティティ(存在証明)は、「マーケティング・リサーチコンサルタント」、つまり、現在の肩書でした。
今現在も肩書はそのままですが、それは職業。
私のアイデンティティは、音楽と文学の表現者です。
音楽と文学は、必ずしも職業である必要はありません。
「アイデンティティ=職業」という常識は、昭和の価値観だったんじゃないか?
20代の頃の私は、ロックミュージシャンでありたいという「未来の自分像」と、欠乏感・不全感満載の「現在の自分」とのギャップに苦しんできました。
もちろん、今の私は、文学の新人賞を受賞したいですが、受賞しようがしまいが、書き続けていこうという意思と欲求はあります。

戦争も犯罪もなくならないし、お金という手段を目的に転倒させた(自分を含めた)変態どもが跋扈する、この三次元物質世界。
一日も早く、こんな世界からトンずらしたいと思いながらも、折角、両親に産んで育っててもらったし、不自由極まりないながら、肉体を持って生きるこの世界で、まだまだ愉しんでみたいという気持ちもあります。

私にとって音楽も文学も、ただ生きることと同じで、死ぬまでの間のヒマつぶしなんでしょうね。


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