見出し画像

成長<変化

「僕、成長とかどうでもいいんです。なんで成長しないといけないんですか?」

これは、僕が社会人1年目か2年目くらいの時に、ミーティングで上司から厳しめのフィードバックをもらっている最中に、実際に口にした言葉である。おそらく一言一句レベルでほぼそのまま喋っており、自分でもなぜそんなにクリアに覚えているのか定かではない。ただ、心の底からそう思っていて、それはそれで切実な主張だったのだろうと推察される。

いきなり、扱いづらいカミングアウトから書き始めてしまい、心苦しい限りなのだが、今日はまさにこの「成長」について考えてみたい。(そんなにたいそうな話を展開するわけでもないけど)

いま、今月発売されたばかりの『弱さ考』という本を読んでいる。成果と成長を求め続けられる環境で「強いビジネスパーソン」を目指し、うつ病になった著者が、今の社会の価値観や働き方について、ひとつひとつ丁寧に思索を深めていく書籍である。資本主義の強烈な引力に引き摺り込まれるように、効率と生産性を追求し続ける終わりのないマラソンが続き、コスパ・タイパの発想に24時間追い回され、余白も自由も失ってしまっているのではないか、的な話が書いてあり、個人的には共感するところも多く、たくさんの人に読んでもらえたらいいなと思っている。

その中で、成長と変化についても多くの言及がある。社会や経済が目まぐるしく変わり続ける中で、働く個人もものすごい速度で変化し成長することが至上命題になっており、ある種の強迫観念に囚われてるのではないか、みたいな感じ。

読みながら思考を巡らせていて、「成長をしたいという欲求はそんなにないけど、変化はずっとしていたいな」と自分が思っていることに気がついた。そのことについて少し書いてみようと思い、冒頭の"思い出"を引っ張り出すに至った。

自分がどこに違いを見出しているかでいくと、「自分の外側のモノサシがあるかどうか」である。(ここからの話は、言葉の解釈も主観的だし、あくまで僕自身の感覚に紐づいている個人的な見解として聞いてほしい)

「できなかったことができるようになる」ことを成長と呼ぶことも多いと思う。正直、このこと自体は僕も普通に嬉しいし、めっちゃテンション上がる。あと、まだ見たことのない景色だけど、「子どもがすくすくと成長していく」ことは、もう何物にも代えがたい喜びだろうし、超ポジティブなことだと思う。

なんだけど、こと仕事やビジネスにおいては、「成長」という言葉は一定の指向性をはらんでいるように思う。「成果を出すために求められるスキルが身につく」であったり、「業務をつつがなく遂行できるようになる」であったり、成長のベクトルがある程度規定されていることが多い。

それは、求められる役割を果たして、ちゃんと組織に貢献するために超大事なことだし、僕自身もそこと向き合ってやるべき努力をやっていかないとな、というのは本当に思ってる。本当に。
ただ、「そこにテンションが上がるか」と聞かれると、約10年前と同じ回答が口をつくかもしれない。「成長しないといけないのも分かるんですけど、変化じゃダメですか?」というのが今の回答かな。

これは完全に主観的なイメージだが、成長は山登りのようなストイックさを感じる。目指す山頂があり、そこに向けて時に険しい道も踏み分けて、苦難を乗り越えながら到達していく感じ。
一方で、変化は川下りのような軽やかさを感じる。(いったん水流の激しい渓流下りではなく、穏やかな川を想像していただきたい。)上流から下流に向けて流れる水に身を委ねて、漕いだり流されたりしながら、気がつくと想像もしてなかった大海が目の前に広がっている感じ。

あえて極端な物言いをすると、成長は能動的な営みで、努力や意志を要する。対して、変化は受動的な営みで、意図や計画の範疇を超えて勝手に現れる。目指して勝ち取るのが「成長」、気づいたら手の中にあったのが「変化」というイメージかな。(かなりデフォルメしてるので、能動的に変化を生み出す局面も、気づいたら結果として成長していたパターンも、大いにあり得るという前提ではいる。なんなら、指向性を持った変化のことを成長と呼ぶのかもしれない。まぁ、あくまでも全体的なニュアンスの話として受け取ってもらえたらと思う)

となった時に、僕が成長にはテンションが上がらず、変化に対して前向きになれるのは、根本の人生観とつながっている気がする。それは、「自分の人生やこれからの未来を、コントロールできないし、したくない」という価値観だ。

成長を目指すということは、行き先を決める=可能性を絞り込むということであり、自分の意志と行動で得たい未来を引き寄せる試みとなる。でも、世の中がどうなるかなんて分からないし、自分自身についてだってこの先何が起こるかなんて知りようがない。その前提に立ったときに、ある特定の尺度でフォーカスを絞り込んだ状態で人生を前に進めていく、ということに僕はある種の恐怖を覚える。あらゆる可能性に自分をひらき、起こることに適応しながら一歩ずつ進んでいきたい、という想いが強い。(つくづく、「何かを起こして、欲しいものを手に入れる」のではなく、「起こったことを受け入れて、手に入ったものを味わう」ことに振り切ってるなぁ、と改めて気づいた)

なので、いろんな出来事や予想外の展開が繰り広げられる中で、自分が変わっていくことはとても楽しい。何がなぜどう変わるのかを観察するのはシンプルに面白いし、環境も自分も変わりゆく中で、それでも揺るがない不変な部分と出会えるのも刺激的だ。今も刻一刻と変わっているし、これからも変わり続けると思う。

切り取り方や光の当て方を変えれば、それも一つの「成長」であると言えるんだと思う。ただ、どうしても成長という言葉で表現されたときに、窮屈な感じがしてしまう。単純な人間なので、「成長したね」と言われたら素直に嬉しいし、周囲からの「成長してほしい」という期待に応えられる自分でありたいとも思うが、それは社会・会社の一員としての自分の声だなという感じがする。(そしてそこに違いがあることは、なんら間違っていないとも思う)

なんだかんだ長くなってしまったが、要するに「個人的に成長欲求はそんなにないけど、変化するのは楽しいし、今後も変わり続けていきたいぜ!」というお話でした。急に終わっちゃいますが、今日は以上!