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これから大きくなる君へ|パパが芸人を目指してから今に至るまで【前半無料】

それがどんな夢でもパパは本気だ

今回は、noteの募集企画に合わせて、我が子2人に宛てた手紙のような感じで、2人の「好き」をどれだけ本気で応援する覚悟なのかを残しておこうと思います。

「パパは、あなたたちのどんなささいな夢でも本気で支えて、その挑戦を応援するよ!」このメッセージを私がいつ死んでもいいように子どもたちに宛てた手紙として言語化しておこうと一念発起です。

一般公開は恥ずかしいので、ちょうど半分あたりから有料にさせてください。売上は我が子たちの滅多にいけないキッザニア利用費用に充てたいと思います。

パパはお笑い芸人を本気(マジ)で目指してた

パパは実は小学生4年生頃まで、休み時間でもお絵描きしてるくらい漫画が好きで、特に「ドラえもん」を作る科学者になりたいと思ってたんだよ。科学者になって、ドラえもんを作って、ノーベル賞を受賞して、最終的には家がそのまま車になったみたいなキャンピングカーに乗って世界の色々なところに行くのが夢だった。親には科学の本とか雑学の本をたくさん買ってもらって、よくわからないのに読んでたね。

それから、小学校高学年になると、(モテたい一心で)人を笑わせたり楽しませたりすることに夢中になっちゃって、友達とアホなネタを作ったり、近所の田んぼや空き地や藪原を探検したり、いたずらしあったりして、爆笑しまくってた。

パパのお笑いポリシーはその時から変わってなくて、人を傷つけて取る笑いと下ネタの笑いは絶対にしないってこと。これは鮮明に覚えてる。その時、影響をモロに受けたのはめちゃイケってテレビ番組とか、世紀末リーダー伝たけしっていう漫画とかだよ。アホなことをまじめにやるってのがカッコよく見えたんだよね。

中学生になると、人を笑わせること自体が自分の存在意義とか付加価値のように考えるようになって、お笑い芸人を本気で目指すようになっていく。そこからパパの目つきが変わっていったんだよね。本気ってやつだ。(マジって読むんだよ、これ)

「サイトー」ってやつと「らっつぁん」ってやつとトリオで「ヤミナベ」って名前つけてコントを作ってみんなの前で披露するようになったんだよ。ヤミナベっていうのは、真っ暗闇の中でやる鍋のことで、「何が出てくるかわからないけどとにかく面白い」って意味を込めてつけたんだ。

中学生にしては真面目にお笑いに取り組んでて、お笑いノートを作って、いつでも使える一発ギャグを溜め込んだり、すべらない話を書き留めたり、学校で一番面白いってことには自信と小さな誇りを感じてた。

なぜ人が笑うのかとか、テレビに出たらどんなトークの切り返しをするか?とか、そんなことを本気で売れるつもりで研究してたね。あのノートどこいったのかな。。。正直、今でも使えると思う。

高校からは真剣(ガチ)になっていった

サイトーとパパは、熊本出身のお笑い芸人くりぃむしちゅーに憧れてたから、彼らと同じ高校に入って、そこの文化祭でお笑いをやると誓ったんだ(実際、くりぃむしちゅーの2人もこの高校で同じことをしてたらしい)。そしてその宣言通り、熊本の上から2番目の進学校に2人で合格して、パパは文化祭の実行委員になって、お笑いの披露の場を作ることになるんだよ。

ここからが真剣(ガチ)な取り組みになるんだけど、

パパは生徒会に入って文化祭のルールを変えようとしたんだ。ヤミナベとして3人でコントをやりたかったんだけど、高校のルールで「校内の生徒しか、文化祭の余興のコーナーには出演も参加も出来ない」ってことになってたからだ。文化祭のルールを変えるには生徒会に入って、変更案を提出して、先生達に承認してもらう必要があったんだけど、

生徒会選挙で、パパはやらかすんだよ。

全校生徒が体育館に集められて、立候補者たちがステージで並んで座り1人づつ立ち上がって意思表明をする生徒会立候補者たちの演説会の当日。

他の立候補者たちはみんな真面目にきちんと座ってたのに対して、入学したての高校1年生で尖り切ってたパパは人と違うことが好き(そもそも一年生の時点で生徒会に立候補するのがかなり稀)だったのと、ステージが暑かったのもあって、長ズボンをひざまでまくり上げて、扇子であおぎながら演説の出番を座って待ってたんだ。当時はそれが反骨心があってイケてるとか考えてたんだと思う。

そして、演説では力強く「お笑い芸人目指してます。文化祭の余興で他校の人もステージに立てるようにルール変えたいです」と自信満々にスピーチしたよ👍 会場の反応は見てなかったのか見ないようにしてたのか分からないけど、全く覚えてない。コビーの"勇気ある数秒"くらい「無音」だったのは確かだね。

パパの高校の生徒会は「信任投票制」で、立候補者ごとに◯か × をつけて全員分を投票して、◯が過半数超えたら当選のシステムだった。パパの高校は熊本ではかなり歴史が古くって、その当時で確か創立120年前後くらい長い歴史があったらしいんだけど、その歴史の中で初めて「不信任」が過半数超えたんだよね(笑)

特に、2〜3年生の先輩たちからの反対が多かったらしいと聞いたよ。滅多に無いことらしくって、前例が見つからなかったみたいで、先生が可哀想だと思ったのか、信任投票は形だけだったのか知らないけど、生徒会に入れることになる。そしてすぐに「他校の生徒が文化祭の余興ステージに立つ」案は当選初日に否決され、意思を失った生徒会員が1人爆誕した。

文化祭のステージで初めての漫才の結果がエグかった

漫才コンビ「りんごタルト」結成

そんな結果にはめげずに、それならサイトーと2人コンビでやるしか無い!心を切り替えて、女子ウケを狙って「りんごタルト」というコンビを組むことにする。女子を狙ったのは、不純な動機もあるけれど、けっこう戦略的にも考えてて、「女子は笑いやすいし、笑い声が目立つからウケが他人に波及しやすい」という狙いがあったんだ。

文化祭はたしか9月で、漫才をやることに決めたりんごタルトは7月後半から準備をし始めたと思う。

その当時のパパのお笑い理論は「●●の応用」

高校生当時の自分なりにお笑いを研究するなかで、「緊張と緩和」だとか、「期待と意外性」だとか、「共感と裏切り」だとか既存の理論にたくさん出会って、自分たちりんごタルトの(進学校通ってた)賢さを活かすなら「内輪ネタの応用」という観点で攻めようと考えた。

内輪ネタっていうのは、「その集団の常識を利用してそこをイジって笑いを誘う」というモデルだと当時の自分は整理してたよ。

漫才の構成を「戦略的」に考えていく

あとは、その「集団」をどの範囲にするかで、把握すべき常識が決まってくるってこと。

高校の文化祭の観覧者はパパの高校の生徒たちのみだから、ターゲット集団は「パパの高校の生徒」として、この高校あるある(はたから見たら変な常識)を集めることにした。あと、当時の高校野球で、「ハンカチ王子」が爆流行りしてて、知らない人はいないレベルだったこと、ハンカチ王子の苗字が奇しくも「斎藤」である点も活かすことにした。

早稲田実業学校高等部3年時にエースとして夏の甲子園に出場。決勝再試合の末、田中将大擁する駒大苫小牧を下し優勝を果たす。同大会において、斎藤が青色のハンカチで顔の汗をぬぐう行為に注目が集まり「ハンカチ王子」と呼ばれた。この愛称は同年の流行語大賞トップ10にもノミネートされている。

ハンカチ王子こと斎藤佑樹氏のwikiより

アウェーの中で迎えた文化祭本番、人生変わった

ちょっと前に書いた、生徒会選挙でのツケが回って、前評判の時点から非難轟々。文化祭の余興のなかで一年のペーペーが漫才をやること自体、けっこうな物議をかもしてて内心先輩たちからの圧を怖がってたけど、「みとけよ!やってやる」って感じで強がってた。

文化祭の余興のタイムテーブルは大体こんな↓感じだったと思う。

  1. 軽音部グループAのオープニング

  2. 1人で歌う人

  3. ダンスグループ

  4. 応援団?

  5. 団体のコント

  6. 軽音部グループB

  7. 先輩コンビAの漫才

  8. 先輩コンビBの漫才

  9. りんごタルトの漫才

  10. 先輩グループのコント

  11. 軽音部グループC

  12. 1人で歌う人

  13. 先輩グループのエンディング

めっちゃくちゃドキドキしながら出番を待ってて、先輩コンビBの漫才を観てた。彼らはかなりスベり散らかしてて場の空気がかなり冷めてたのを覚えてる。彼らが漫才を終えて舞台の袖に戻ってくる時、小声で「すまん」って言われたことだけ記憶に残ってる。

司会のアナウンスまで永遠のような長さに感じてたな。舞台の袖から斜めに見える体育館に、密集して座ってる高校生たちの期待と不安としらけたムード。絶対いけるっていう自信と、やべー死にたいっていう緊張と不安が交互にやってきて、

司会が「次は、珍しい一年生コンビによる漫才!りんごタルト、どうぞ〜〜!!」と合図

「はいどーも〜〜
りんごタルトです」

そこからは無意識にネタが進んで、必死に演じてた。

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