随筆「84kbの四人」
キム、ルキオ、デニ郎
そしてあの頃インターネットの世界で会話して、すれ違っていたかもしれないキミへ
2020年
今年も危険を感じるほどの猛暑だった。
年々最高気温を更新する夏をなんとか乗り切り、ようやく秋の気配が漂い始めた休日の昼下がり。
部屋に入った瞬間は残っていた暑さに顔をしかめたが、窓を全開にすると、ひんやりとした外気が肌を撫で、脳に心地よい信号を送り込んでくる。
(これなら何とかやれるかな、と言うよりやらないと)
延ばしに延ばしていた事案に、たった今心を決めたところだった。
誰かとの用事も特にない、一人きりの秋の穏やかな一日。
重い腰を上げて気持ちにエンジンをかけたのは、長年手を付けてこなかったクローゼット内の整理だった。
数年分の衣類や荷物が溢れ、扉が壊れかけ今にも外れそうになっている。
二年以上着ていない衣服は無条件で処分ゾーンに固めていく。お気に入りだったシャツも『またその内に着る事があるかもしれない』という甘い期待は結局プラスにならない。なんとなくだがそう思うようになった。
派手すぎて年相応ではなくなったシャツ、流行遅れのジャケット、サイズが合わなくなったズボンたちが、見る見るうちにゴミ袋を三つ膨らませた。
衣類の選別に区切りがついたところで更に気持ちのギアシフトを上げる。
古い雑誌や文庫本、次なるターゲットへと取り掛かっていった。
適当に保管されていた家族の写真は、
(今度アルバムにきちんと整理しよう)
と、いつ来るのかわからない今度に持ち越す。
(さて、ここまで来たのならとことんやるか)
断捨離モードをトップギアに。クローゼット内の荷物を一旦すべて出し切る一大決心をした。
自分にとっては四年に一度あるかないかの大仕事だ。この十年、奥底の荷物など目にしたこともなかった。
(何が出てくるのやら)
宝探しの感覚を混ぜて断捨離を続行する。
数年ぶりに取り出した段ボールには子供時代の玩具や十代の頃の手紙たち。これは捨てずに残しておこう。
携帯電話もネットワーク環境も整っていなかった時代の遺物達。ノートの切れ端やコースターの裏側に手書きされたメッセージが、今となっては懐かしい。
ほぼ全ての荷物を出し終わろうとした頃、クローゼットの一番奥深くから古いパソコンが姿を現した。
二十代前半の頃に初めて買ったパソコンだった。考えてみればそろそろ四半世紀も昔の物になる。
一人暮らしの切り詰めた生活の中、二年のローンを組んで購入したこのパソコンは、当時の私物では中古の車の次に高価なものだった。
今のパソコンとの違いはスペックもさることながら、やはりこのブラウン管のディスプレイだろう。薄い液晶とは違い、狭い部屋を圧迫する存在感を持っている。
(これはさすがに処分しないといけないな、だけどその前に……)
マウスとキーボードを繋いでスイッチを入れる。ディスプレイを見つめながらじわじわと鳥肌が立ってくるのがわかった。
ブォォン──
短い起動音とともにモニターがゆっくりと動き出し、ブルーとグリーンを混ぜたような配色のデスクトップ画面へと切り替わる。
(懐かしいデスクトップやな)
インターネットには繋げず、パソコン内のローカルフォルダに保存していた写真データを見ていく事にした。
比較的新しいもの(それすら十数年前の画像だが)から順に遡っていると、一枚の写真データに目が留まる。
それは、とある飲食店で店員さんに頼んで撮ってもらった写真だった。
楽し気な笑顔で写る四人の若者。その中の一人は自分自身。今の面影が少しはあるが、どう見ても幼い。
(危く捨てるとこだった……昭和生まれはちゃんと印刷してアルバムに整理しないとあかんね)
失う寸前だった84kbの写真データ。
時代を感じさせるその小さなファイルサイズの中の、四人の姿。
マウスを握る手が止まる。蘇る思い出に、目頭が熱くなった。
やがて気持ちのギアはニュートラルへ、そしてゆっくりと、バックギアへシフトしていた。
1996年
夜23時、テレホーダイタイムが始まると全国のネットユーザー達が一斉にインターネットへとアクセスを開始する。
モデムで電話回線を経由してつなぐ時代、23時から翌朝8時までの定額サービスは、インターネット時代の夜明けだったのかもしれない。
この頃、多くの人間が夜更かしになった事だろう。当時の私もその一員だった。
(やっと繋がった……)
23時前後はアクセスポイントへのダイヤルアップが集中し、通話中でしばらく繋がらないのが常だった。
酷い時には15分以上つながらず、仕切り直しにカップラーメンでも食べてから再チャレンジする日もよくあった。
ようやく成功した時、高揚感で脳からアドレナリンがどっと出た気がしたものだ。
世界中の人とこんなに簡単に会話できる。なんてカルチャーショック!——そんな感慨を抱く間もなく、目当てのチャットサイトへと飛んだ。
他のサイトも掛け持ちしていたが、ここが一番楽しい。
いつものメンバーたちが集まっているのを確認し、ルームへ入室する。
tosi>ハロゥ♪どーもです^^>ALL
デニ郎>おっす!とし
キム>オツ!(^^)>tosi
ルキオ>まいど、待ってたで>tosi
当時の会話はほとんど覚えてはいないが、いつからか【デニ郎】【キム】【ルキオ】そして私、四人での会話が日課になっていた。
チャット部屋はオープンで他にも参加者は数名いたが、名前を覚えている相手は他にはいない。
因みに【tosi】は私のハンドルネーム。下の名前を省略しただけの、何の捻りもないネーミングだ。
デニ郎>今日も残業か?今度気晴らしにコンパしようや【デニ郎】とは同い年で、現実社会でも友人のいわゆるリアル友達だ。
少々お調子者だがジョークの波長が合い、四十代になった今でも数少ない友人の一人でいてくれている。
ハンドルネームは名優ロバート・デニーロから捩ったもので、映画好きな一面も持っていた。
キム>デニは遊び人っぽいなw
ルキオ>最近ネットばっかで外で遊んでへんわ【キム】は大阪。【ルキオ】は神戸(兵庫県)の人間だと、何度かの会話から知るようになる。
それ以外はよく知らない間柄ながら、皆二十代前半と年齢も近しいようだった。
インターネット上での相手との会話では標準語がネチケットだと知っていたが、相手が関西人だと分かるととたんに切り替わる。
京阪神エリアに住み、歳の近い者同士。当然のように方言で語りあっていた。
ボケたらツッコム
このニュアンスは、関西弁でなければ表現しづらかったのだろう。
tosi>なんやそれ。俺は今日も社畜やったでw
デニ郎>社畜やのに夜中までネットやってんねんからアホやろ(笑)
キム>みんな忙しい中よう集まるわー
ルキオ>ほんまや。今日はなんか面白い話あった?こんなワードを摩擦なく出し合えるのは、関西圏の同世代同士くらいだ。
四人は自然に、ネット世界の中で特別な存在になっていった。
夜23時からの日々が何か月も続き、1996年も残すところ一か月ほどになった頃。
キム>この四人で忘年会しようや顔を知らなかった同士とはいえ、すっかり友人関係ができていた。会って遊びたくなるのは自然な流れだった。
キム>この四人で忘年会しようや
デニ郎>その意見!反対の反対!!
ルキオ>つまり賛成ってことやろw オフ会OK>ALL
tosi>よっしゃ俺の男前を見せに行くわ
キム>マジで楽しみやわー 場所は大阪でええか?
デニ郎>蟹食べたい! 蟹!!
ルキオ>デニ郎は食い意地張りすぎやろ(笑)
tosi>俺も蟹に反対の反対。キム、幹事よろしくな
キム>了解! メールで調整するわ大阪、神戸、京都。気軽に会える距離だったのも大きい。
幹事のキムがメールで日時と場所を調整し、1996年の年末、京都からtosi(私)とデニ郎が。神戸からはルキオが。大阪のキムのもとへと向かった。
京都から阪急電車で一時間程。梅田駅で降りて、曽根崎警察署のすぐそばにあるカニ料理の店へ、デニ郎と足を運ぶ。
「あそこにいるん、キムとちゃうか?」
店の入り口に、私たちと同年代の男性が立っていた。
「キムけ? おいおいやっと会えたな」
「おっす、どっちがデニでどっちがtosiかまだわからんけど今日はよろしくやで」
「俺がtosiでこっちがデニ郎な、てかお前マジで? こんなイケメンやったんかい」
キムが男前な性格なのはチャットの会話から知ってはいたが、見た目の方も予想以上だった。
だがそれよりも、先に着いていたルキオの姿に、もう少し驚く事になる。
「もしかしてやけど、ルキオ?」
「そやで、tosiやんな?」
目を細めた笑顔が印象的だった。
キムの少し後ろに、派手目のコートを着た女の子が立っていた。
「俺もさっき会ったばかりで驚いていたところや」
キムもつい先程、ルキオが女性だと知ったらしい。
私もデニ郎も、この数ヶ月間、チャットしていた相手が女性だとは一ミリも思ってはいなかった。
「女って気づかれたくなかってん」
なんとなく、というふうに話すルキオ。
以前、ネットで知り合った相手に懲りた事があり、私たちのチャットサイトでは性別を隠していたらしい。
言い出す機会がなかったようだが、それにしてもルキオという男性的なキャラクターを何ヶ月間も演じ続けていたとは。
ネット世界ならではの面白さと同時に、その反面にも思うところがあった。
出会い頭に思いがけずサプライズがあったものの、すでにチャットで積み重ねた友情は本物だったのだろう。その日のオフ会では性別など関係なく、四人はすぐに打ち解けた。
料理は一人一万円台のコース。カニの刺身、焼きガニ、鍋。社会に出たばかりの身には少し高い会だったが、あの店が食べ放題の焼肉屋だったら、25年後の今も記憶には残らなかっただろう。
あと五千円出す事で、その場が記憶になる。この日に学んだ教訓だった。
アルコールが進み、皆かなり酔っぱらってきた頃。
「ところでルキオはチャットの時に誰が良い感じやと思ってた?」
切り出したのはデニ郎。全くお前って奴は……だけどうん、それは興味がある。
「tosiが良い感じやと思ってた」
予想外の言葉にちょっとドキドキしたっけ。
デニ郎とキムはチャット上でも面白く周囲を盛り上げるタイプで、二人の印象には勝てないだろうと思っていたから、意外だった。
「ほんなら実際に会って話してみた上で、やっぱり誰がええ男やと思う?」
イケメンのキムが今度は自分だろうと聞き直す。
「やっぱり、tosiやな」
細い目をさらに細めたルキオの笑顔を、まともに見返せなかった。
コースを食べ終えた頃、店員さんに撮ってもらった記念写真には、少し頬を染めた自分が写っている。

四人での初めてのオフ会は、あっという間に数時間が経っていた。またチャットサイトでの再会を約束し、その日は解散する。
翌日の夜には、全員いつものチャットサイトにいた。
デニ郎>昨日はオツ!オフ会楽しかったよなー
ルキオ>お疲れ>ALL キムも幹事ありがとうな
キム>今度は京都で飲もうや
tosi>本当の京都教えるわ、裏京都やけどw
ルキオ>裏京都ってなんやねん(笑)楽しみやわ
デニ郎>次はとしが幹事な!
tosi>オッケ、その時はもっと飲むで23時が過ぎるとtosiになる日常が再開した。
関西圏に住む四人の同年代による他愛のない会話。ボケやツッコミにニヤニヤしながらキーボードを叩く日々がまた始まる。そう思っていた。
だがそれを撃ち破るメッセージが、突如モニターに飛び込んでくる。
チャット部屋からではなく、一対一のメッセンジャーソフトから。差出人はルキオだった。
四人での会話を続けながら、バックヤードでルキオと二人の秘密の会話。
だがルキオのメッセージに、私は二日連続で不意を打たれる事になった。
それは、
『自分が重い病気に罹っている事』
そして、
『今までに何度も手術を繰り返している事』
予想と反したもう一つのカミングアウトに、あの時の私はなんてレスを送っただろう。
『とりあえずタバコ、やめよか…』
こんな気の利かない返信になってしまったっけ。重い会話に慣れていなかった頃の、苦い思い出だった。
それからもチャットサイトでの会話は数ヶ月続いた。その間に四人でのオフ会は二度開催されたが、段々と仕事やプライベートが忙しくなり、私はいつからかインターネットの住人【tosi】からフェードアウトしていく事になる。
2020年
デニ郎とはネットの世界ではなく、現実中心の付き合いに戻っている。二十代の後半にはお互いの結婚式のスピーチもやり合った。
独身時代は毎日会ってた時期もあったが、家族が出来てからは会う回数も減り、今では年に一回か二回、飲みに行くくらいになっている。
キムとはたまにメールがあって、子供の写真を見せあったり、自信作の詩を披露し合ったりしていた。
だがそれも十年ほど前に途切れてしまっている。
ルキオは、最後のオフ会で会ってから音信不通になっていた。
インターネットの世界には虚実が入り混じっている事は、重々承知している。
その上で、ルキオのカミングアウトは今でも本当の事だと思っている。
黄昏時の部屋。どれくらい経ったろう?
84kbの四人の写真を見つめながら、気づけば1996年に浸っていた。
やがて、キーボードを叩く音が静かな部屋に響き始める。
病気には負けなかったよね?
今、どんな四十代になった?>ルキオ
